たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

粒丘

2019-04-14 09:18:30 | 鉄の神々1

<中臣印達神社 なかとみいたてじんじゃ>

 

素麺ブランドとしても名高い、

たつの市揖保町の「いぼ」という名称は、

『播磨国風土記』に記される「粒丘(いいぼおか)」

から名付けられたそうです。粒丘は現在、

中臣印達神社(なかとみいたてじんじゃ)背後の

「中臣山(ちゅうじんやま)」に比定され、

境内には「粒丘」と刻まれた碑が置かれていました。

 

ちなみに、「粒丘」の物語を簡単に説明いたしますと、 

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昔、新羅からやってきたアメノヒボコという神が、

難波国への立ち入りを拒否され、播磨国にやって来ました。

そして、播磨の主であるアシハラシコヲ

(大国主神・オオナムチ・伊和大神)に、

「宿を得たいので、土地を与えて欲しい」と伝えたところ、

「陸地は私が所有しているので無理だが、海中なら構わない」

と断られてしまいます。アシハラシコヲの言葉に従い、

海に向かったアメノヒボコは、

剣で海の水をかき回して大きな渦を造り、

そこへ船を並べて一夜を過ごしました。

 

しかし、アメノヒボコはその後も

一向に立ち退こうとしなかったため、

アシハラシコヲはその強硬な態度に、

「土地を奪われるかもしれない」と不安を感じ、

国の守りを固める神事をすべく、

高い丘の上で食事をしたのだそうです。

その際、相当慌てていたのか、

ご飯粒をたくさんこぼしてしまったことから、

食事をした丘を粒丘と呼ぶようになりました。

【参照サイト:ひょうご歴史ステーション】

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これが、現在の揖保(いぼ)という地名の始まりだと言われています。