<中臣印達神社 なかとみいたてじんじゃ>
素麺ブランドとしても名高い、
たつの市揖保町の「いぼ」という名称は、
『播磨国風土記』に記される「粒丘(いいぼおか)」
から名付けられたそうです。粒丘は現在、
中臣印達神社(なかとみいたてじんじゃ)背後の
「中臣山(ちゅうじんやま)」に比定され、
境内には「粒丘」と刻まれた碑が置かれていました。
ちなみに、「粒丘」の物語を簡単に説明いたしますと、
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昔、新羅からやってきたアメノヒボコという神が、
難波国への立ち入りを拒否され、播磨国にやって来ました。
そして、播磨の主であるアシハラシコヲ
(大国主神・オオナムチ・伊和大神)に、
「宿を得たいので、土地を与えて欲しい」と伝えたところ、
「陸地は私が所有しているので無理だが、海中なら構わない」
と断られてしまいます。アシハラシコヲの言葉に従い、
海に向かったアメノヒボコは、
剣で海の水をかき回して大きな渦を造り、
そこへ船を並べて一夜を過ごしました。
しかし、アメノヒボコはその後も
一向に立ち退こうとしなかったため、
アシハラシコヲはその強硬な態度に、
「土地を奪われるかもしれない」と不安を感じ、
国の守りを固める神事をすべく、
高い丘の上で食事をしたのだそうです。
その際、相当慌てていたのか、
ご飯粒をたくさんこぼしてしまったことから、
食事をした丘を粒丘と呼ぶようになりました。
【参照サイト:ひょうご歴史ステーション】
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これが、現在の揖保(いぼ)という地名の始まりだと言われています。