<野見宿禰神社 のみのすくねじんじゃ>
元祖相撲取りのひとりである野見宿禰は、
天穂日命(あめのほひのみこと)の14世の子孫、
つまり出雲国造の血を引く人物だといわれています。
出雲大社を訪れた際、境内の一角に野見宿禰神社が
建てられているのを見かけましたが、
たつの市の野見宿禰の陵墓にも、
出雲大社の宮司家である「千家家」
の家紋が刻印されており、出雲と相撲、
そして出雲と播磨の深いつながりを示す証となっていました。
一方、野見宿禰は出雲国造ではなく、
オオナムチを先祖とする説も存在するそうで、
この的場山のふもと以外にも、
野見宿禰の墓の候補地がいくつかあると聞きます。
当時垂仁天皇が、何を目的に「天覧相撲」を
催したのかはわからないものの、
当初から「宮仕え」を念頭に、
野見宿禰を大和に招いた可能性も高いのでしょう。
考えてみますと、垂仁天皇の時代というのは、
葬祭儀礼の見直しや相撲の国技化はもちろん、
新羅王子ともいわれるアメノヒボコの来日や、
皇女である倭姫命の伊勢神宮創建など、
神道や宮中行事のターニングポイント
となるような出来事がたくさん起こりました。
もしかすると、垂仁天皇という人物は、
渡来人をも巻き込んだ、大規模な「宮中改革」を
行おうとしていたのかもしれません。