<射楯兵主神社 いたてひょうずじんじゃ>
古代の製鉄民を示す表現として、
倭鍛冶部(やまとかぬちべ)、
韓鍛冶部(からぬちべ)という言葉があります。
倭鍛冶とは日本古来の鍛冶集団、
韓鍛冶とは渡来系の鍛冶集団を意味し、
倭鍛冶はオオナムチ、韓鍛冶はアメノヒボコを
奉斎していたという説が有力です。
『播磨風土記』の「国占め」の物語の中では、
両者が鉄を巡り領土争いをしたとも
受け取れる内容が書かれており、
射楯兵主神社に祀られる「射楯大神(いたてのおおかみ)」、
「兵主大神(ひょうずのおおかみ)」の二神も、
それぞれ倭鍛冶部(やまとかぬちべ)、韓鍛冶部(からぬちべ)
に置き換えても間違いではないのだとか……。
ただし、射楯兵主神社の社伝上での祭神名
(イタテ神はイソタケル、兵主神がオオナムチ)や
本殿内の配置を見ると、そう単純に
事は運ばないような気がいたします。
例えば、
1.射楯大神は東殿、兵主大神は西殿に鎮座し、
神饌を献ずる際には西殿から行うこと
2.東殿と西殿の間に空殿の中央殿が設けられ、
例大祭のときのみ九所御霊神
(西殿に合祀という説もあり)を祀ること
などの由緒を加味すると、恐らく、
イタテ神と兵主神との間には、
明確な格付けがあると同時に、
空殿となっている中央殿の神が、
本来この地に祀られていた
本当の「鉄の神」である可能性も否めません。