<射楯兵主神社 いたてひょうずじんじゃ>
先日、「倭鍛冶は日本古来の鍛冶集団、
韓鍛冶は渡来系の鍛冶集団を意味する」
という説をご紹介しましたが、
別の視点から考察しますと、射楯兵主神社に
祀られるイタテ神・兵主神の二神は、
両神とも「韓鍛冶」が奉斎していた神であり、
イタテ神=新羅系の韓鍛冶集団の神、
兵主神=百済の韓鍛冶集団の神、
という見方もできるそうです
(参考書籍:古代の鉄と神々)。
以前の記事でも触れたように、
イタテ神は新羅との関連が深く、
また兵主神に関しても、
元は古代中国の神話に登場する
「蚩尤(しゆう)」という戦の神であると同時に、
中国南部を中心に分派する
「苗族」の始祖とも目されるなどの話を聞きます。
イタテ神は北方ルート、兵主神は南方ルートから、
各々「朝鮮半島を経由してやってきた」と想像すれば、
先ほどの「イタテ神は新羅」「兵主神は百済」
という説も決して不自然ではないのでしょう。
となると気になるのが、兵主神との噂が根強く残る、
新羅系の「アメノヒボコ」との関連かもしれません。
アメノヒボコに関しては、のちのち詳しく
取り上げるつもりでおりますが、
アメノヒボコという謎の存在が、
古代播磨国・但馬国の「鉄のカギ」を
握っている可能性は高いように思われます。