<射楯兵主神社 いたてひょうずじんじゃ>
もともと倭鍛冶部という集団は、
砂鉄を利用した鉄穴流し製鉄が主流となる以前に、
すでに銅を原材料に青銅器の鋳造を行っていた人々、
また、褐鉄鉱(スズ)による産鉄作業に従事していた人々
(およびその後裔)だったと思われます。
当初彼らは、水田耕作の普及により大量に必要となった、
「農具」等の製造をしていたと想像されますが、
韓鍛冶部と呼ばれる渡来系の技術者から、
より効率的な製鉄技術を学んだことにより、
次第に武器の生産へとシフトして行ったのでしょう。
韓鍛冶との交流が深まるにつれ、
倭鍛冶は自らの古い先祖であるイソタケルや、
イソタケル直系の子孫・大国主神への信仰と同様、
渡来系技術者の持ち込んだイタテ神・兵主神も、
「鉄の神」として崇めるようになったのかもしれません。
恐らく、生活と労働のために鉄を製造していた倭鍛冶に、
争いの武器として鉄を活用することを指南したのは、
新たな技術を携えてやってきた韓鍛冶だった可能性が大です。
だとすれば、韓鍛冶たちはいったい何の目的で日本へと上陸し、
「武器」の製造を広めようとしたたのでしょうか……。