たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

播磨の忌部氏

2019-04-21 09:13:13 | 鉄の神々1

<粒坐天照神社 いいぼにますあまてらすじんじゃ>

 

先日の記事内で、射楯神社のご祭神である

「イタテ神」と、紀伊忌部氏の祖である

「彦狭知命」との関連を示唆しましたが、

中臣印達神社のご祭神がイタテ神であり、

本殿に「アワチ(アワヂ)」と

名の付く社が合祀されているとすれば、

中臣印達神社に阿波忌部氏が関わっていた

としても不自然ではないのでしょう。

 

そして、こちらの粒坐天照神社と

讃岐忌部氏の祖である「手置帆負命」

一族との接点は、中臣印達神社と同様、

忌部氏とのつながりを浮かび上がらせます。

つまり、昔この一帯は忌部氏の支配地だったか、

忌部氏が移住した土地だったとも考えられるのですね。

 

仮に、中臣印達神社の鎮座する

「中臣(なかじん)」という地名が、

中臣氏から取られたものであるなら、

後年になって中臣氏が土地の支配権を奪い、

その証として忌部氏の氏神であった、

「阿波遅神社」を中臣印達神社に合祀したのかもしれません。

いずれにせよ、忌部氏がある時期にこの地で、

「イタテ神」や「アマテル神」と共に、

何らかの祭祀を行っていたことは確かなのだと思われます。