<粒坐天照神社 いいぼにますあまてらすじんじゃ>
先日の記事内で、射楯神社のご祭神である
「イタテ神」と、紀伊忌部氏の祖である
「彦狭知命」との関連を示唆しましたが、
中臣印達神社のご祭神がイタテ神であり、
本殿に「アワチ(アワヂ)」と
名の付く社が合祀されているとすれば、
中臣印達神社に阿波忌部氏が関わっていた
としても不自然ではないのでしょう。
そして、こちらの粒坐天照神社と
讃岐忌部氏の祖である「手置帆負命」
一族との接点は、中臣印達神社と同様、
忌部氏とのつながりを浮かび上がらせます。
つまり、昔この一帯は忌部氏の支配地だったか、
忌部氏が移住した土地だったとも考えられるのですね。
仮に、中臣印達神社の鎮座する
「中臣(なかじん)」という地名が、
中臣氏から取られたものであるなら、
後年になって中臣氏が土地の支配権を奪い、
その証として忌部氏の氏神であった、
「阿波遅神社」を中臣印達神社に合祀したのかもしれません。
いずれにせよ、忌部氏がある時期にこの地で、
「イタテ神」や「アマテル神」と共に、
何らかの祭祀を行っていたことは確かなのだと思われます。