<銅矛資料>
『播磨国風土記』の記述の中に、
「神功皇后の朝鮮半島征伐の際、
船の舳先に祀ったのがイタテ神だった」
という内容が見られます。
また、住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』には、
船玉神とイタテ神との関連が示唆されており、
イタテ神が海人族の信仰する
「航海神」であった可能性も高いようです。
恐らく、イタテ神という神は、
矛や楯を手に敵地に乗り込む武神であると同時に、
航海の安全を守るための船玉神でもあったのでしょう。
ちなみに、矛や楯という鉄製品は、
戦いに挑む際の武具として利用されただけでなく、
儀礼用の祭祀具としても欠かせないものでした。
古文献の中には、宮中の大嘗祭において、
「大嘗宮南門に矛・楯を立てた」という話が残っており、
矛は紀伊国の忌部氏が、楯は丹波国の楯縫氏
(忌部氏と同系列)が作成したのだとか。
これらの内容から察するに、イタテ神はイソタケルと同様、
「敵地」あるいは「新天地」に先陣を切って乗り込む、
先鋒部隊(を象徴する神)であり、
矛や楯の製作者の守り神だったことがわかります。