たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

野見宿禰の伝承

2019-04-23 09:46:58 | 鉄の神々1

<たつの市・揖保川>

 

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今から2000年近く昔、大和国に当麻蹴速(たいまのけはや)

という相撲の名手がいました。時の天皇である垂仁天皇は、

「誰か当麻蹴速と相撲が取れる強者はいないか」と家来に尋ねると、

「出雲国に野見宿禰(のみのすくね)という人物がいるそうです」

という答えが返ってきます。そこで天皇は、野見宿禰を大和国に招き、

当麻蹴速と相撲を取らせることにしました。

 

その結果、野見宿禰が勝利したため、天皇は野見宿禰に領地を与え、

自分のそばで仕えるよう命じました。宮仕えとなった野見宿禰は、

皇后である日葉酢媛命の葬儀の際、それまで行われていた殉死

(家来たちを生き埋めにする)の風習を排除し、

代わりに埴輪を埋めることを提案します。

 

その功績により、野見宿禰は土師臣(はじのおみ)の姓を与えられ、

後裔氏族である土師氏は代々天皇の葬儀を司ることになったのです。

その後野見宿禰は、故郷である出雲国へと帰還する途中、

播磨国まで来たところで、重い病気にかかり亡くなってしまいました。

【参照サイト:ひょうご歴史ステーション】

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野見宿禰に死を嘆いた村人たちは、

揖保川(いぼがわ)の河原から山の上まで一列に並び、

手渡しで石を運んで立派な墓を造ったといわれています。

野原にたくさんの人が立ち並びながら働いたことから、

その場所は「立野(たちの)」と呼ばれ、

それが現在の「たつの(龍野)」になったという話です。