<五十猛神社 いそたけじんじゃ>
記紀の出雲神話の舞台となっているのは、
「神と人間」が混在していたころの「イズモ」です。
ゆえに、日本書紀における出雲関連の話は、
スサノオやイソタケルの「神としての側面」と同時に、
スサノオやイソタケルを「出雲にやってきた渡来人」
と仮定した上でのエピソードも記載しているため、
物語の解釈が難しくなっているのでしょう。
恐らく、イソタケルという存在は、
偉大なる父・スサノオの息吹を宿す
紛れもない「神」であると同時に、
スサノオへの信仰とともに、大陸より日本へと
帰還した人々を指す名称でもあったはずです。
もしかすると、イソタケルが「人」として生きていた時代、
朝鮮半島にいた彼らは、スサノオの神託に従い、
日本へと向かったのかもしれません。
朝鮮半島を経由し「イズモ」に上陸した
「スサノオの子」たちは、優れた知識と
目新しい文化を数多く持ち帰ったことから、
「韓神」という名で呼ばれるようになったのでしょうか……。
彼らは国津神の血を引きつつも、
表向きは渡来系として定義され、
「国造り」「国譲り」の場面のキーマンとして現れたのち、
「陰の氏族」として日本建国にも関わったのだと思われます。