<岩井戸神社 いわいどじんじゃ>
能登人の気質を表すとき、
「能登は早くから海外と交流していたため、
新たな人や風習を柔軟に取り入れる
大らかさがあった」などと言います。
ただし、裏を返せば「長いものに巻かれる」
という道を選ばなければ生き残れないほど、
日々様々な外圧にさらされてきた土地だった、
とも言い換えられるのでしょう。これは決して、
「すべての渡来人が鬼」という意味ではなく、
「様々な思想や価値観を持った人が入り込んで来た」
という意味で、能登の人々にとって「鬼」とは、
ときに力強い味方でもあり、
また恐ろしい敵にもなったのだと思われます。
古代の能登を探る中で心に響いて来たのは、
「能登人は寛容だったから」のひと言で、
能登の風土を語ることへの違和感でした。
能登の人々が臨機応変に「異物」を受け入れてきた裏には、
「祭り」という隠れ蓑を利用するしかないほどに根深い、
この地の人々の心の葛藤が見え隠れするのです。
能登という場所に、なぜこれほど多くの祭りが
残されているのかを考えると、そこには
「絶対に祭りを止めてはいけない」という
切実な理由があったのかもしれません。
次回はそれらの謎に迫るべく、能登を代表する
「ある鬼」の伝説について空想してみることしましょう。