<大田市五十猛町>
日本書紀に記される「イソタケル」という神様が、
朝鮮半島の新羅を経由して上陸したとされるのが、
大田市の五十猛町の海岸だったと言われています。
「樹木の神」として知られるイソタケルは、
紀伊の国(和歌山県)を守護する神々の一柱ですが、
全国で最もイソタケルをご祭神とする神社が多いのは、
実はここ島根県だという話を聞きました。
ちなみに、以前は五十猛町を「磯竹」と表記し、
町内には畑井、畑中、畑谷……など、
渡来系部族である秦氏の「畑(秦)」
を冠した地名が点在しているそうです。
「磯」も「竹」も渡来人との縁が深い言葉ですし、
山陰一帯には徐福の口伝も残りますから、
この地と朝鮮半島とがごく親密な関係を
築いていたことは確かなのでしょう。
恐らく、朝鮮半島から移住してきた人々の大半は、
「朝鮮半島に渡った日本人の帰国者」であるか、
「朝鮮半島を通過してきた大陸の人」だったはずです。
「竹」を持ち込んだ「磯の人」である彼らは、
スサノオへの信仰心が強かったため、
「スサノオの子」とも呼ばれていたのかもしれません。