<岩井戸神社 いわいどじんじゃ>
能登の昔話の代名詞とも言える「猿鬼伝説」と、
能登に伝わる「鬼の祭り」の分布図を重ね合わせると、
物語の主人公である猿鬼が、奥能登の伝統行事
「アマメハギ」のモデルになったと考えるのは、
決して不自然な推論ではないでしょう。
もしかすると、猿鬼というのは、
渡来系部族の中にいた「ならず者」で、
子供を食らったり、娘をさらったりするなどして、
村人を悩ませていたのかもしれません。
下手に腕力や呪術力を持っていたことから、
始末をつけるのに苦労した一面があったのだと思われます。
真脇の縄文人が「善良な」渡来人から知恵を授けられ、
木柱列を立てたり、土製仮面をかぶったり、
イルカなどの動物を利用したりと、
「人身御供」の代替行為を行っていた一方で、
一部の渡来人たちの間では、大陸由来の生け贄文化が、
脈々と引き継がれていた可能性もありそうです。
能登の「妖怪退治」の場面になると、
必ずと言っていいほど登場する「気多の神」は、
古くからこの地を納めていた「能登の首長」であり、
異端の民たちを征伐した英雄だったのかもしれません。