たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

集結の地

2018-08-24 09:56:26 | 阿波・忌部氏2

<南あわじ市>

 

「淡路島は日本の縮図」など申しますが、

古代淡路について妄想しておりますと、

阿波国の忌部氏のように、

突出したひとつの集団が、

この島を治めていたわけではなく、

たくさんの氏族が寄り集まって、

ひとつの国を造っていたのではないか、

というイメージが湧き上がってきます。

 

北は播磨、中央は紀伊・難波、

そして南は阿波と言った具合に、

各々の地域が近隣国と

綿密なつながりを持ちながら、

大和朝廷との緩衝材のような役目を

果たしていたのでしょう。

淡路島の古墳の形状や年代から見ても、

この地を支配していた有力な豪族は、

ほぼ存在しなかったとも言われております。

 

恐らく、淡路島という場所は、

天孫族が日本を治める過程の中で、

天皇に恭順した各地の部族や、

部族の代表らが集結した地であり、

それらの中には、多くの渡来系の

人々も混じっていたはずです。

そして、彼らが最終的に向かった国こそが、

お隣の「阿波」だったのでしょうか……。