<洲本市・由良>
古代、淡路島に渡来人が上陸し、
日本に様々な文化や産業を伝えたのは、
ほぼ間違いない事実なのでしょう。
彼らは、古代イスラエル氏族の末裔であり、
阿波国に一大拠点を築いた忌部の人々とも、
ごく近しい関係にあったのだと思われます。
気になるのは、彼ら渡来系の人々が、
淡路島をどう認識していたかということですね。
ちなみに、私的な印象ではありますが、
北淡と呼ばれる兵庫県寄りの淡路島北部と、
南淡と呼ばれる徳島県寄りの淡路島南部とでは、
明らかに別物のような「風土」を感じるもの。
実際に、淡路島の北と南では 方言なども異なるそうですし、
厳密に分けると、北部・中部・南部ごとに、
交流の深い他の県(地域)が違うとも聞きます。
数年前、淡路島北部を観光した際は、
島内にこれほど「山」があるとは想像できず……。
今回、南あわじ市の一帯を車で回りながら、
想像以上に山地が多いことに驚きました。
主に忌部氏の痕跡が残るのも、
徳島県寄りの南あわじのエリアでして、
古代ユダヤとの縁を伺わせる地名が、
淡路島南部のあちこちに散見されます。