<南あわじ市>
淡路島の最高峰である諭鶴羽山の山頂には、
諭鶴羽権現という神仏が祀られており、
一説には「熊野権現の奥の院」と
呼ばれていると聞きます。 山頂からは、
国生みの島である沼島はもちろん、
四国や和歌山、大阪などを一望できるそうですし、
諭鶴羽山に登れば、当時の日本の「大都市」や、
海の向こうからやってくる渡来人の動きなどが、
手に取るようにわかったのでしょう。
もしかすると、諭鶴羽山の山頂付近には、
阿波忌部氏が剣山で行っていたように、
鶴の羽つまり「鳥」を崇める部族が、
拠点を構えていたのかもしれません。
そして、海や山麓に散らばる「鹿」の部族や、
のちにやってきた「牛」の部族などを、
高い場所から管理していたのでしょうか……。
ちなみにその昔、淡路島には、
大和朝廷の狩猟地である
「淡路宮」が置かれたという話です。
何でもその理由は、この地にたくさんの
「鳥獣」が棲んでいたからなのだとか。
「国土統一の証」ともされる天皇の遊猟が、
本当に鳥や獣を狩る目的だけだったのか、
今となっては真相はわかりませんが、
恐らくこの淡路の地でも、
部族同士の争いや天孫族への国譲りが、
行われていたことは確かなのだと思われます。