たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

牛の供犠

2018-08-13 09:29:06 | 阿波・忌部氏2

<石上神宮 いそのかみじんぐう>

 

ひと口に古代イスラエル氏族と言いましても、

「生贄の習俗を持つ部族」と「生贄を禁じる部族」

とに分かれていると聞いたことがあります。

ただし、生贄祭祀(牛の供犠)の形跡が見られるのは、

朝鮮半島南部の新羅が中心だと言われており、

大陸ルートを通り日本にやってきた渡来人の多くが、

朝鮮半島北部の扶余族や狛族だったと仮定すると、

基本的に渡来人のほとんどが、

それらの習俗とは無縁だったはずです。

 

確かにユダヤ民族には生贄に関する記述もありますが、

長い旅の道中、他の狩猟民族などとの関りを持つ中で、

独自の祭祀として進化した部分もあったのでしょう。

主に、古い時代に来日した人たちや、

南の黒潮ルートを選んだ人たちは、

長期間、経由地には留まらずに、

日本に向かった可能性が高いゆえ、

大陸の文化には染まりにくかったと思われます。

 

ちなみに、桓武天皇の時代に、

「牛を殺して漢神をまつるを禁ずる」

というお触れが出されたそうです。

もしかすると、物部のいざなぎ祭文の中の、

天中姫宮といざなぎ大神のやりとりのように、

イスラエルの異なる部族、あるいは同じ部族間でも、

「王道」と「外法」とを巡り、

様々な駆け引きがあったのかもしれません。