<南あわじ市>
南あわじ市に、賀集(かしゅう)という地区があります。
その昔賀集は、「かしお」と呼ばれおり、
「鹿集」あるいは「鹿塩」の文字が当てられていたのだとか。
鹿子西谷、鹿子奥、鹿子北谷など、
賀集地区には「鹿」という字名の地が多く存在し、
さらには「印部」という小字も見られるそうです。
淡路島に関わる史書の中に、「忌部は八幡村の旧名なるべし」
という記述があることからも、賀集八幡という集落の近隣が、
忌部(印部)村と呼ばれていたことは間違いないのでしょう。
また以前、賀集地区では「淡路焼き」
という焼き物が造られていたと聞きます。
忌部氏は備前焼で有名な備前国にも進出し、
「伊部」という地名を残していますし、
古代・中世にかけて淡路国の中心地だった
南あわじ市・三條のあたりは、
淡路人形浄瑠璃の発祥地であると同時に、
多くの楽人(雅楽演奏家)を抱えた土地でした。
「焼き物」「雅楽」はともに、
阿波忌部氏が残した功績だと考えると、
この一帯こそが淡路の忌部氏の
拠点だった可能性が見えてきますね。