たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

淡路の忌部氏

2018-08-14 09:39:03 | 阿波・忌部氏2

<南あわじ市>

 

南あわじ市に、賀集(かしゅう)という地区があります。

その昔賀集は、「かしお」と呼ばれおり、

「鹿集」あるいは「鹿塩」の文字が当てられていたのだとか。

鹿子西谷、鹿子奥、鹿子北谷など、

賀集地区には「鹿」という字名の地が多く存在し、

さらには「印部」という小字も見られるそうです。

淡路島に関わる史書の中に、「忌部は八幡村の旧名なるべし」

という記述があることからも、賀集八幡という集落の近隣が、

忌部(印部)村と呼ばれていたことは間違いないのでしょう。

 

また以前、賀集地区では「淡路焼き」

という焼き物が造られていたと聞きます。

忌部氏は備前焼で有名な備前国にも進出し、

「伊部」という地名を残していますし、

古代・中世にかけて淡路国の中心地だった

南あわじ市・三條のあたりは、

淡路人形浄瑠璃の発祥地であると同時に、

多くの楽人(雅楽演奏家)を抱えた土地でした。

「焼き物」「雅楽」はともに、

阿波忌部氏が残した功績だと考えると、

この一帯こそが淡路の忌部氏の

拠点だった可能性が見えてきますね。