たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

海人と修験

2018-08-27 09:10:59 | 阿波・忌部氏2

<洲本市・由良>

 

神武天皇が熊野から吉野へ巡幸した際、

井戸の中から体が光り尾のある人が出てきたため、

天皇が名をたずねると「国津神、名は井氷鹿」

と名乗ったと、記紀には記されています。

実は、修験者(山伏)と呼ばれる人たちは、

海人族出身の人が多かったという話があり、

腰に鹿の毛皮を巻いたり、鹿皮を背負ったり、

鹿角のついた杖を持ったりする出で立ちは、

海人の習俗が元にあるそうです。

 

吉野の国巣の祖である石押分之子と同様、

吉野首らの祖である井氷鹿という神様も、

海人族の一派だったのでしょうか……。

ちなみに日本書紀における、

神功皇后の新羅遠征の件では、

「磯鹿の海人名草」なる者が登場しますが、

一説に磯鹿の海人は、神武東征の物語の中で、

天香山の土を持ち帰った人物とも言われています。

恐らく、神武天皇の東征を支えていたのは、

海人族であり、すでに国津神と化していた

渡来人(忌部氏)だったのかもしれません。