<南あわじ市>
淡路島での遊猟の最中、応神天皇が見た「海を渡る鹿」は、
諸県君牛(もろのあがたのきみうし)という日向の豪族でした。
諸県君牛は、娘である髪長媛(かみながひめ)を
天皇に差し出し、一族の帰順の意思を示すため、
鹿の皮をかぶって応神天皇のもとへ参上します。
実は、天皇が「縁の土地で遊猟をする」という行為は、
国土を平定した証とも言われており、
猟の対象として選ばれた動物のほとんどが「鹿」でした。
諸県君「牛」が鹿の皮をかぶるという奇妙な光景には、
何らかの裏事情があった気配も漂わせますが、
古代の大陸には「牛」をトーテムとする部族も存在し、
日本に渡来していた可能性が囁かれています。
三韓とも呼ばれる古代朝鮮半島の三国
「百済」「新羅」「高句麗」うち、
主に新羅を中心に殺牛祭祀という儀礼が伝えられ、
新羅の民・ワイ族の影響を受けた秦氏などが、
日本に「牛祭祀」を持ち込んだ痕跡があるそうです。