<洲本市・小路谷>
淡路島とユダヤとの関連を決定づけたのが、
洲本市の海岸で発掘された石組みの遺跡です。
その形状は、阿波の各所で見かけた
石造りの祭壇によく似ているものの、
どこか近寄りがたい空気を
纏っているようにも感じられます。
現在、それらの遺跡は
埋め戻されているとのことですが、
同じ場所に置かれていた
レプリカを見た際に漂ってきたのは、
祭壇というより「墓所」の空気感でした。
ちなみに、先日記事内でご紹介した、
「鹿」の紋章が刻まれた指輪は、
この遺跡から発掘されたものです。
ただし、写真で見る限りそれほど
古さを感じる造形ではないため、
信憑性に関しては何とも言えず……。
この物証だけを手掛かりに、
ナフタリ族が淡路島に上陸したと
断定するのは難しいのでしょう。
ちなみに、淡路島の名刹・千光寺には、
「猟師に射られた猪は海を渡って、
淡路島の山奥へ逃げ込み千手観音となった」
という由緒が伝わっているそうですが、
ナフタリ族という部族の象徴は、
鹿ではなく猪だったという説も存在します。
鳥、鹿、牛など多くの「鳥獣(部族)」
が棲むと言われた淡路島には、
もしかすると「猪」が暗示する人々も、
やって来ていたのかもしれません。