<熊野・大馬神社 おおまじんじゃ>
インターネットが発達したことにより、
現地を訪れなければ得らなかった
悲喜こもごもの感動が薄れがちになり、
また「他人の私見」に惑わされて、
素直に心が動かなくなっているのが、
私たち現代人の悪しき習慣だと思います。
きっと私が大馬神社で感じた既視感、
そして理由のわからない違和感は、
そんな過剰な期待によるものなのでしょう。
ただ、家に戻って改めて考えている最中、
大馬神社には「ある弊害」が、
潜んでいることにも気づきました。
その弊害とはいわゆる「修験道」の残影です。
大馬神社のご神体でもある美しい滝は、
その昔修験者の禊の場だったと思われますし、
それ以外にも、当時の名残を伝える社が、
参道沿いに並び立っております。
決して修験道を否定するわけではありませんが、
こうした「聖地にそぐわない人工的な匂い」が、
神域の空気を曇らせているのは確かでしょう。
ちなみに、大馬神社の社殿の下には、
「鬼(海賊)」の首が埋められているのだそうです。
神社に漂う「人間の痕跡」というのは、
もしかすると、もともとあった聖域の色彩を、
著しく変えてしまうものなのかもしれません。