夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

鳥の水炊き

2006年09月18日 20時04分24秒 |  食べるために生きる
外出しなくてもよいように材料を買い込んでいました。
今晩のメニューは鳥の水炊き。
博多風に一羽をつぶしてやりたいんですけど、残ったらどうするのってことで一度もやったことはないんです。
皮付きの鳥(今日は骨付き肉はなし)での水炊き。

メニューを作ったときにはもう寒いほどの日が続いていて、先日の庄屋鍋もちょうどよかったんですけど、今日は台風一過、暑い。汗だらだらの夕食となりました。

明日は30度だそうですね。

今年は作っていないので、冷麦でも作りますか。
豆腐の糠漬けを仕込みました。

私の小さな恋人たち 目次

2006年09月18日 17時38分27秒 |   私の小さな恋人たち
まだ転載途中ですが、
目次を作っておきます。




追憶 恋人たち
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/22f29a05431ef116b21e0512236aae67

思い出 メー
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/9772a6f230b6d856ec54e986b18b6fad

我が名はミミ
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/43bad6ab9acb1dde73908170746e0239

ミャー
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/f54f6f1aa587bcd8057203fda384af18

恋人たちの英才教育 ミャー
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/08a54d27010639a41f88bfa139c66120

母性 ミャー2
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/dd99ce702b0025138ab518ac94ff6e33

モモ
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/178b1543688948d7e17139b7885a9453

タマ
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/6f3b29a072ea888845d31c0142e73522

カルガモの行列
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/36d6af0d43978514e49cd595f094f39a

ミー
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/60d1e6fab748535bac6926a24b14ceae

午睡
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/f50e13f2ae5b0a82c4c5e89589d51d7f

モモ2
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/7927ef73ea93100cd8a33cf0af044788

布団猫
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/7bc2c5c22c23fe3a62d6365024883ba0

猫の川柳
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/6aa9b4da8358361fba687b84d8db0486

猫、ネコ、ね~こ
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/5f64afac21b16a7aa05b29ff60484873

三渓園の鳥たち
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/90a0d7f1fe4cbdab02e5d2d08eb8f2ab

河童、狸、狐の目次

2006年09月17日 22時28分24秒 |  河童、狸、狐
(ご注意; ここで使用しておりました河童の写真がFlickrというサイトで無断で使用されておりましたので、削除しました。

The Kappa photo that covers this page, has been deleted, because I found an illegal copy on flickr site. If you come from the site, I feel sorry for this.)





河童と狸は多少手を入れて転載を終了しました。
狐も少しづつ掲載を始めました。

こちらに目次をつけておきます。
(Gooのブログでご覧になる方はタイトルをクリックされるとジャンプします)

河童
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/4691d6fa8e3715cb2c767ce7642a3179

河童の独り言
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/c90fe52ed1b7ae6344013f4798e117a3

なお日本河童連盟というのがあり、河童の飼いかた、名前の付け方のヒントなどを紹介している。
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/db59ce680a2e39cd7e8e2f0a2c1e9c91


狸 1
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/280a699c0dd786e4639d12decba61161

狸 2
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/4e37bd7ea572728f5432eb9fe713012c

狸 3
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/c81876460988e730e6c151bfbd28603b

狸 4
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/60983c06c0e67677fc40bdda9c159baa

狸 5
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/f433ddd86d21e99d92c2f034740ba5e9

狸 6
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/576eb2e95cb4812f1620e2443c583334

狸 7
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/281134ae9fc98d17522ec064e370a355

狸 8
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/ef1e4ad17a9d8156697209a182f86a2f

狸 9 (完)
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/80d5e854a990e86bdf588e734104bf5f

狸  借問此何時 春風語流鶯
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/79e82d9fc80111c357fc02fed5d07f94

狸!
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/7d52297f739121bd06da0441dd19c12e



狐 1
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/888617b243ce150a7aaa137384c6fd91


狐 2
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/63644b8fcbeaede4110dd7f24fbfff6d

狐 3
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/159be27327a98599f7c08dccfd426f68

狐 4
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/d8ec3e5ce8e71a38364ff8997a029084

庄屋鍋  とだえせでいつまで人のかよひけむ

2006年09月15日 23時31分36秒 |  食べるために生きる


急に涼しくなりましたね。
秋、冬の衣類を岬においていますので、まだ夏の装い。
これでは寒い。
ということで、今夜は庄屋鍋をいたしました。


台風が近づいているそうです。
岬も台風の下になるのでしょうか?


とだえせでいつまで人のかよひけむ
      嵐ぞわたるわたる谷のかけ橋
              西行

遠聽江上笛

2006年09月15日 23時24分03秒 |  漢詩を長崎弁で
遠聽江上笛
臨觴一送君
還愁獨宿夜
更向郡齋聞 

   韋應物


川面を流れてくる笛の音
送別の杯を酌み交わす
寂しさに眠れぬ夜
この笛を思い出すだろう




川を伝わってくる笛の音
別れの杯を酌み交わす
寂しさに眠れん夜には
この笛を思い出すじゃろな~


竹里 王維

2006年09月15日 23時11分04秒 |  漢詩を長崎弁で
獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照
   王維

竹の林の中で
琴を弾きながら歌う
知る人もないこの林にも
月だけが光を送ってくる

竹林の中で
琴を弾いて歌う
だ~れも知らんこの林にも
月だけは光を送ってこらす

夢幻泡影 でも何をやれる?

2006年09月13日 08時58分11秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
以前、子供のころから原爆症が発症するかもしれないと恐れを抱きながら成長してきたことを書いたことがある。
でも、それは可能性の問題で、今になるまで(胃潰瘍やその他の病気がもしかしたらその影響だったのかもしれないけど)原爆症は発症してはいない。

原爆症に代わって私を悩ませているのが昏倒。20年ほど前に初めて経験し、その後10年後、5年後、3年後と間隔を狭めながら続いている。一昨年からは半年とか3ヶ月とかになってきた。昨年も、2度に渡り昏倒し、救急車で病院に運ばれたりすると、死が可能性の問題としての遠くの存在ではなくなってしまった。

昨年も最初の昏倒の後、人との関係とか、経常的な仕事やプロジェクトなどを理由もきちんと説明しないで、強引にやめてしまい関係者に迷惑をかけた。仕事上の人にはある程度の説明はしたけど、個人的に親しい人や、あまり知らない人のグループでは説明することをはばかられて、ただ「辞めた」って辞めてしまい、非難轟々だったことも知っている。でもそのまま続けていってある日突然死んでしまいましたってことになるよりもいくらかはましだろうって思いだった。

でも今年も昏倒は起こったけど、未だに生きている。
だから永続性のあるものはそれ以来何も引き受けていない。今の仕事も非常勤のもので、会長は私の状況を知っている。
いつでも死ねるような状況に自分を置いておかなければならないとなると、誰かを好きになったとしてもそれ以上の関係になることはできないだろう。
仮にプロジェクトを企画したとしても、私の状況をきちんと理解して、私が倒れたらその場で私の代わりができる人がいなければ、何もできないし、それだけの力のアル人なら私がいなくても、最初から自分でできるわけで、私が存在する理由がない。
単発性の、短期の、人との接点ができるだけないものだけしかできなくなってしまった。

世の中、何かに邁進することもできないで、先の夢も、プランもなく、人との絆を今以上に強固なものにすることもできなくて、ただ夢の中のようにふらふらと生きていくことは結構辛いということを実感している今日この頃。

つい最近も言っていることがネガティブだと非難された。
私自身としては、今でもいくつかの企画を抱えているし、やりたいこともありその方法を模索しているし、そんなにネガティブだとは思っていない。ただ現状をかなり厳しく見るのでそんな風に見えるのかなとも思うけど、それだった甘く見て後で困るより厳しく見て、それに対処できるようにして進むことが成功への鍵だと思っているだけ。
ただ、そうはいいながらも、本能的に永続的な、強力な指導力を発揮するような形でのプロジェクトの立案などというものからは身を引こうとしているだろうかと思えてしまう。


セミオノワ

2006年09月12日 20時32分17秒 | 芸術・文化
今テレビでセミオノワが若い日本のダンサーにちょっとだけ指導をつけているところがオンエアされていたけど、さすがに旨いね~
知らん顔して、ブラックスワンのグランフェッテをずっとダブルで踊っていましたね。

誰かが外人の場合は表現豊かに踊るけど、日本人は教えられたとおりに踊るって言っていたけど、それはそのポジションによるものだと思う。外国人の場合は(もともとその傾向が強い人が多いけど)日本へ来るような人、人の前で踊っているような人は日本まで招聘されるようなバレエ団のソリスト以上の人たち。ソリストやそれ以上ならその人なりの踊りができなければ。これは日本の田舎のバレエ団でモ同じこと。
でもコールドバレエでそれをやって一人目立ったら逆に失敗。

でも日本のバレエには逆にソリスト以上でも言われた動きしかできない人が多い。これはバレエだけじゃないのだけど。国民性なんかな~

アーティスト・イン・レジデンス これから

2006年09月12日 12時38分07秒 | 芸術・文化
長文だし、変更の可能性大です。



アーティスト・イン・レジデンスのオーナーやマネージャーで作っているメーリングリストがあって、そこのオーナーへ先ほどメールをしていてふと思ったことがある。

レジデンスもさまざまな問題がある。
一時期この形態が持てはやされて、自治体などで巨額の投資をして素晴らしい設備を作り上げたりしたときもある。でも関心のある市長が危うくなったりすると、議会で不要論が出てきて、マネージャーたちは悲鳴をあげることになる。特に予算編成時期とレジデンスの翌年のプログラムの公募が重なるので、彼らの心痛は人事とは思えない。(アメリカやヨーロッパでも立派な施設はあるけど、軍の基地や学校、空きビル、そしてお城まで! 大概は遊休施設の活用で、ハードにお金を掛けているところは少ないと思う。)
そんなこんなの現実の現場の問題はいろいろとあるにしても、ではレジデンスの今後はどうなるのだろうということ。

今の公的なレジデンスではきちんとしたプログラムの上で、部門を決めて、公募して、アーティストを受け入れている。また当然制作型のアーティストしか受け入れていない。それでも申請がはるかに多くて、当事者としてはこれ以上変更しなくてもいいという気持ちが強い。

でも海外からのアーティストから協力を持ち込まれる私のような立場から見ると、日本のこの形がだんだんとアーティストの要望にそぐわないものになってきているのを目にしている。
現実に来月も二人ヨーロッパからのアーティストをお世話するし、逆に日本のアーティストもつい先週離日したのをお世話したけど、この三者とも既存のシステムやプログラムには入れなかった。
いつもこのようなアウトローたちのお世話が持ち込まれてしまうので余計に、なんとかならないって感じになってしまう。
でも、マネージャーと話をして、そんならこういう風に考えてよっていうとそれなら可能ですっていうこともあるのだけど。
規則の方から見るんじゃなくて、このアーティストは受け入れたいかどうか、受けいれたければどう柔軟に対応できるかって考えてくれればこちらは嬉しいんだけど。


それは別として、まず、一番多いのは、作品、活動がクロスオーバーしてきている。今までのカテゴリーでは縛れないもののほうがむしろ当たり前になってきている。
TransArtistsの代表などとも話をするけど、これは日本だけの状況ではないみたい。でも、設備、サービスを提供するほうが受けている制度的な制限はヨーロッパなどでは運営者のもうすこし柔軟な対応でなんとか追いついているのだけど、日本でもマネージャーがもう少し行政に影響力をもてなければと思う。

公的なAIRの施設ではそこへの投資が地元への還元として入ってくるのを評価できることを求められることも多い。(芸術的な活動だからと地元との接触をまったく気にしないでやっていたところも知っているけど、昨年から運営母体が変わってしまった)とすると多くの場合に、製作過程を見れるものが喜ばれる。
でも今アーティストからの生の希望を受けていると、制作をしていても作品も過程も人に見られないようなもの、デジタルアーツや作家(ライター・イン・レジデンス)などがあるし、それ以上に企画を立て、そのために日本の状況を視察したり、日本でのネットワークを作りたい作家からの依頼も多くなってきている。またアーティストではないけど、展覧会その他の企画のためのキュレーターたちの研修、研究目的の来日は厳密な意味でのAIRには入ってこない。

上に述べた彼女とは、アーティスト・イン・レジデンスではなくレジデンスという形でもっと広範な活動を可能にしたようなものへ変わるべきだろうと話をしている。

ただ、研究、研修などの目的でレジデンスをやれるところはないことはない。ただ来日する側からは東京圏とか近畿圏に希望が集中しているのも事実だし、実はこの二つのエリアはレジデンスに関しては活動が低い場所でもある。都の新しい施設が堂動いていくのかその辺で非常に興味がある。

またレジデンスでプログラムのかっちりした活動というのも公的な施設ではこのような形しか難しいのかもしれないけど、もっとフレキシブルな形でのレジデンス、ヨーロッパに昔からあるサロン的なものももっと増えて行って欲しいし、そのための公的な助成が可能になれればと思う。
実際問題としてアーティストは彼らの作業日程や自分たちが申請した助成金などでの向こう側の理由もあるのだけど、多少でもフレキシブルにそのような申請の判断がされるといいと思うのだけど。
前回の横浜のトリエンナーレでもサロンが紹介され、この点にも注意を喚起していたし、完全に民間ベースでやっている人たちも京都や東京でもなきにしもあらずだけど、あまりにも個人的な友達チャネルで終始しているのがちょっとつらい。これをもう少し枠を広げるような形のものが出来上がるべきだと思う。

個々の問題となるけど、地元に産業があってレジデンスができているようなところは結構たくさんある。陶芸では常滑や、信楽など、また紙などもそうだ。
マネージャーたちと話をしていると、地元産業と旨く行っているところもあるし、常滑のように産業があるからかえって難しいという話も聞く。でも常滑の活動はとても活発だし東京でやる展覧会だって、地元の産業のバックアップがなければ是だけの作品は生まれないだろうと感心するものが多い。
これらはここの状況に大きく依存するのだろうし、マネージメントには困難があるのだろうけど、地元の産業が旨く絡んでいって、長期的な戦略として取り入れられる方法も探っていかなければ。

悩みは尽きず、話はまだまた続く、、、


野望 王績

2006年09月11日 22時59分27秒 |  漢詩を長崎弁で
王績の「野望」を紹介したくてYahooで探して詩がでているウエブサイトに行きました。(漢字を書くのに旧字などがあって、手書きパッドを使ったりしなければならないので自分で入力するのが大変なんです)

さてその詩を見つけ出しましたが;
http://residence.educities.edu.tw/f5101231/indext89.html


野望

東皋薄暮望
徙倚欲何依
樹樹皆秋色
山山唯落暉
牧人驅犢返
獵馬帶禽歸
相顧無相識
長歌懷採薇

ところで、Yahooの検索には翻訳サービスが付いていますよね、それで試しにやってみました。


野原は望む
東の皋は、薄暮、望んで、
徙は欲の何依に寄りかかる。
みんなの秋の景色を植えて、
山山はただ暉が落ちる。
牧者は犢が戻ることを駆って、
馬帯禽が帰することを狩る。
相顧の無は知り合って、
長歌懐采薇。

まったく理解不能だけど、ここまでできるようになったって褒めるべきなんでしょうね。

それであいも変わらず恥知らずにも試訳、まあYahoo訳とそれほど変わるもんじゃないですけど、ご愛嬌。


暮れなずんだ野原を
あてどもなく歩く
木々は秋の色をまとい
山々は夕陽に染まる
牧童は牛を納屋に帰し
狩人は獲物を家に運ぶ
誰も知らず、帰る家もない私は
意に染まぬ食を拒んで死んでいった先人を偲ぶ


ちなみに姐さまご推薦の大阪弁訳のウエブサイトに倣って、

陽の沈みかかっつとる野原を
どこんいこうともなく歩きよった
周りの木は紅葉して
山は夕日に染まとった
牛飼いは牛を納屋に連れて行き
狩人は獲物をかあちゃんのところに持って行きよる
誰も知り合いもおらんうちは
いやな奴からの食べもんはいらんちゅうて死んでいった人んことを考えとった