夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

狸 7

2006年05月01日 20時58分05秒 |  河童、狸、狐


その晩はその母犬の出産でまたまた岬の静かな生活は台無しになった。
体が弱っていたせいだろうか、かなりの難産らしかった。
「かった」というのは、ワイフ狸が古狸や私を決して産室には近づかないように釘をさしたからだった。
子供を生むのは女の仕事、男が近づいてはいけない、でも用があるから、呼べば何時でもこれるところにいてって念を押され、男たちは産室を遠巻きにしてうろうろと顔を見合すばかり。

その間も、ワイフ狸は産室から顔を出しては、水だ、柔らかい布が欲しいだと、用を言いつける。そのたびにこちらは大慌になっていた。気持ちが高ぶっているのだろう、目の前にあるバケツが目に入らなかったり、水を床にこぼしてみたり、布を出すのにダンボールの箱を幾つもひっくり返したり、普段の私が見たら、大笑いに笑うようなバカなことが演出されていた。

そわそわ、うろうろしている古狸へ
「なあ、お前は自分の子供の何千頭もの出産に立ち会った経験者だろうし落ち着けよ。お前の子供じゃないじゃないか」って、自分の気を休めるために軽口を叩いていたけど、そういう私も褒められた状況じゃないことは判っていた。
でもやはり出産という種の大事に心平穏でいられる奴なんかいるわきゃないか。

やっと朝方には全部の子供が産まれた。ワイフ狸のお許しがでて、産室に行ったが、産まれたのは六匹の可愛い子犬たち。母犬は子犬たちを満足そうに、誇らしげに見渡していたがそのうち疲れ果てたのだろうすやすやと眠り始めた。
そっと産室を出て、古狸と顔を合わせ、
「安心したんだな、出産って言うのは凄い労働だよな。
それでもメスは自分の好きな相手の子供を産もうとするんだな。
凄いな。
それにしてもお前の子供のときはどうするんだ、そんなに先の話じゃないだろう。
他人の出産でさえあんなにおろおろしていたんだから、お前パニックになるんじゃないか」
「なに、あいつはちゃらちゃらしているみたいで、芯は強い。その場になったら大丈夫だよ」って口先では安心しているようにいう。
「女は強いよ。でもお前が参っちゃうんじゃないかと、それが心配になってきた」
「そのときはこの辺のメス狸を呼び寄せるよ」古狸は、だから付き合いも必要なんだなって口の中でぼそぼそといっていた。

水と餌を毎日取り替えに産室まで行っていたが、4,5日すると赤ん坊たちがよろよろと庭に方へ出てくるようなり、母犬も外に顔をだすようになった。

母親と母親予備軍の犬と狸はその子供たちの遊ぶ様子をなんともいえないような幸福そうな顔をしてみていた。

私のテレパシーのレッスンは、どうするのかが決まらないためにまだ開始されていない。

古狸は付き合いの必要を感じたのだろう、彼を訪ねて狸たちが何匹も訪れるようになり、ワイフ狸は客の応接に暇が無かった。

太陽は空にかかり、雲がゆっくりと太陽を拭いていく。
蛙の声や鳥の声以外には、何も聞こえないこの岬の一日が、雲の流れよりも遅くゆっくりと過ぎていく。
世はこともなしか。

「痛たっつ」足元の痛みに下を見たら、子犬が私の足に噛み付いていた。
母犬は「ごめんね」とでも言うかのような顔をして見せながら、それでも満足そうなくすくす声を抑えていた。

                               05/01/2006 09:37:39


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