夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

私にとってのブログ?

2007年08月31日 20時14分15秒 | 日記
今日のTBのお題は「あなたにとってのブログって?」というものだった。

このお題の作者のように備忘ということも確かにある。仕事場や、事務所、家などと幾つかの場所を点々とすることもあるし、ブログに書いていて下書きにしておいて、必要なときに開けてみることもある。
ブログでニュースやそれに対する人々の反応を知るということは、限られた人のブログしか訪問しないので、私にはあまり意味がないみたい。

それよりも、私にとってのブログの意味は、世の中との接点ということなのでしょうか。ブログを書いていて、コメントを頂く。その方のところでコメントをつける。会社を辞め、家に引きこもり状態にあると、知人とのコミュニケーションが非常に少なくなってしまう。それを保ち、まだ、生きているよ!って信号を発するのが私にとってのブログの意味なのかもしれない。

散歩をして、それを続けるために写真を撮り、それをブログに発表する、それで散歩に付加価値を付けて、三日坊主でやめないようにしているということも副次的な効果なんだろうと思うし、もしかしたら、私にはこれが一番いいのかもしれない。

少子化対策?

2007年08月31日 14時34分31秒 | 日記
妊産婦の受け入れ先を探していた救急車が地元の奈良県では搬送先がなく大阪で探し回って、その間に事故を起こし、胎児が死んだという痛ましい報道があった。

政府が少子化対策を打ち出してもう何年にもなる。担当の国務大臣まで据えて、その対策に余念がない、、はずなのだけど、いったいこれはどうなっているのだろう。

子供を作って欲しい、、だけのPRで終わっているのだろうか?
でも、実際問題として、妊娠した、でも分娩施設もない。
産まれた、でも子供を抱えて、どうやって生活の中に育児を取り込んでいく?
今までの状況が続いているのならまだしも、それが悪化の一途を辿っていることを皆さんはご存知だろうか?

産科の状況だけ見ても、日本産科婦人科学会の会員の52%が50歳以上の医師であることを。(2003/4年、厚生労働省)
そして、平成16年に開設された分娩施設は病院が6.診療所が25。ところが分娩取り止めの施設はそれぞれ、38と71もあることを。
この傾向はずっと続いている。
今までの政府の取り組みは何も効を奏していないとしか思えない。

奈良では去年も同じような事件があっている。救急車が搬送できる病院が奈良には殆どない。県は改善を約束していたと思ったけど、殆ど効果的な対策は打ち出されていない。

しかも、これは奈良だけのケースではなく、今日本の殆ど全ての県で同じような状況が多発しているのだ。県立病院、市立、町立病院などの地域の要になるような病院からでさえ、産科の閉鎖のニュースが飛び出してくる。

これはもう自治体だけに任せていてはどうにもならない問題だと思う。少子化を食い止めようとするのであれば、このような抜本的な問題、環境をもっと政府が真剣に取り組む必要があるのではないかと思っているのだけど。政府の担当者には充分わかっているはずなのに何故、何も改善されないのか不思議でならない。





妊婦搬送先探し、都市も難航 「県境越えは日常」(朝日新聞) - goo ニュース

デジカメ練習帖  デンドロ(?)

2007年08月31日 10時07分15秒 |  デジカメ練習帖


相変わらず素材がないので、手近な物で間に合わせ。
ごめんなさいです。

この花、花屋で買うときに名前を聞くのを忘れました。
花や花のつき方はデンドロに似ているのですけど、茎が緑。
お分かりの方は教えてください。
といっても、ここまでクローズアップにすると判らないかもしれませんね。
山を見る必要はないけど、せめて木の樹形や、植わっている環境くらいは見ていないと、、、花だけ見ても、あばたかどうかさえ判らなくなる。
なんちゃって、、

図鑑ではないので、お許しあれ。



でも、このところ灰色っぽい白だったり、茶系が増えてきていますね。
私もだんだん歳相応になってきたのでしょうか。
灰の色、戻る土の色、、、
それらが懐かしく、身近に感じられるような、今日このごろ、
  根岸の里の詫び住まいかな

まだこんなことを言っている間は、ごめん、憎まれながらも世にはばかりましょうか。

名残

2007年08月29日 11時00分52秒 | 日記
8月16日に岬に来たときに隣りのうちで咲いていた紫陽花をコップに入れ、そのことを名残の紫陽花としてアップしましたね。8月20日にも夏の終わりというタイトルで同じ紫陽花を紹介しています。

今回満月が撮れればと思い、また岬に参りましたが、家を開けてまず迎えてくれたのがいつもの愛しの彼女(トップの人形)と今回のサプライズ、紫陽花でした。

花屋で買う紫陽花は水揚げが難しく、なかなか長持ちしませんが、この紫陽花はもう2週間もあの異常気象ともいえるような夏の暑さを耐えて待っていてくれたのですね。葉っぱもまだまだぱりっとしていて、元気そのもの。もしかしたらこのまま根を出して再生するのじゃないかと期待を抱かせるくらいです。
もちろん、その間ここには一度来ただけで、水も替えてやっていない、健気って褒めてあげたい。



名残って言葉は、死に行くもの、過ぎ行くものへのシンパシーがニュアンスとしてあるのだと思います。だからこその「名残の紫陽花」であり、「夏の終わり」だったわけなのですけど、、、

最近は何事も強く、たくましくなってきたのでしょうか。
私がいろんなものが儚く、脆く、そのなかで涙していた、昔の時代がむしろ懐かしいものとして思い返されるようにな歳になっただけのことなのでしょうか。



久しぶりのような雨、猛暑も終わり、これからはほんとうの秋の訪れとなるとの予報でした。それを聞くと、あのうだるような夏の暑さの中で謳歌し、五月蝿いとさえ感じていた蝉の声も、今はなんとなくいとおしいような感じに聞こえます。儚い命への共感なのでしょうね。
そしてそれはまた、一つの夏が終わったことへの感慨なのでしょうか?

それにしても、残された一里塚が短くなったことへの思いではなく、走りすぎてきた時間への懐かしみであるというところに私の限界を感じて妙にこだわっています。

極小の無限

2007年08月29日 10時06分16秒 | 芸術・文化
一光年を秒とするこの無限に広がる宇宙の中で、
小さな命が生まれる。

その宇宙に生命が生まれてから今までの時間ですら極小ともいえないほどのつかの間。
その種の持つ時間、そして種の個体の持てる時間。

固体としては無限とも感じられる時間。
極小の極小の時間の中で生物は必死に生きていく。

愛を探し、その愛の中で自分の生の記憶を育て残していくために。

それは親から授かり、子へと受け継がれていく、種の記憶。

作家が世評を気にするのは、作品を作り、評価してもらう環境を作るため
作家が自分自身を必死に見ようとするのは、その作品に込める魂を磨くため
世評のため、作品のために自分を見失い、汚すのであれば
それはもう作家ではない。
そのような作家から生まれる作品はもう作品ではない。
どんなに有名になろうとも、いつかはその作家は自分でそのことに気がつくだろう。

人の一生が至上なのではない。それは環境。
人の愛が至福のものでもない。それも環境。
愛は単なる手段、人の一生は単なる道具。
恵まれた愛、幸福な一生は、それを受け継ぐ幸福な子孫への贈り物。





懸案 一つ解決     改 写真を追加しました

2007年08月29日 00時56分03秒 |  岬な日々
岬に越してきて以来、一つ気になっていたことがあった。それは写真家の東X照Xさんの(以前の)お宅が近くだったはずということ。なにせお伺いしたのは10年以上前のこと、どこだったか忘れてしまい、いつもなんとなく心の隅から?マークが染み出してきていた。

東浪見に洞庭湖という名前の湖(池?)があります。JRの上総一ノ宮などにはJRのパンフレットが置いてあり、この湖を巡る散策コースなどが紹介されています。

本家の洞庭湖はちょっとまえに鼠が大発生したという記事が出ていたりしていましたね。
私的には、屈原がここで入水自殺(?)をしたことが一つ気になること。
また長崎人としては長崎のペーロンの一番最初がこの湖でその屈原の遺体を捜すために出した船から始まったといわれていることなどです。

でも、東浪見の洞庭湖は岸がコンクリートで護岸され、風景としてはまったく壊されてしまっています。桜の名所だそうですけど、私はこんな湖に映る桜なんかは見たくない。
湖の風景としては、隣りにある椎木堰や中原堰のほうが自然たっぷりの美しさでよほどすばらしいと思えます。




洞庭湖に行く前に立ち寄ったこの二つの堰にはダイサギやアオサギのかなり大きなグループが羽を休めていました。それにアオサギもちらほらいましたね。



ところでその洞庭湖へ入る直前に、あれこの家? そうこれこそ考えあぐねていた東X照Xさんの家。それがこんなところにありました。私の家から20分もないところでしたね。かれはその後長崎へ移り住んだのは知っていますけど、何となく気になっていたことが一つ判明してちょっとすっきりって感じ。よかった。

見果てぬ夢

2007年08月29日 00時25分41秒 | 日記


今日は満月、大恩ある大阪の叔母様に頼まれていた月のウサギの写真を撮り
、あわよくば嫦娥さんの湯浴み姿でも盗撮できれば通信社にでも売って大金持ちになれるかと期待していたのですけど、残念、私のよこしまな心が通じたのでしょうか、空に厚いベールを引かれてしまいました。来月の満月は中秋の名月。それを待つしかありませんね。
折角レンズテストなどを繰り返して、満を持していたのですけど、憂き世には思いの届かないことばかり多くて、僕ちゃんの人生は茨に溢れております。

と、言うことで今日は写真なし。暗闇の鴉を撮っても仕方がない、で、す、ね。

キュウリのラタトューユ

2007年08月27日 10時54分45秒 |  食べるために生きる


昨日散歩をして帰りにスーパーに寄りました。
とにかく暑くて汗だらだら、冷やしたラタトューユなんかいいんじゃないかと思い、ふとズッキーニを見ましたら小さなズッキーニがなんと一本240円!
冗談じゃないと諦めかけましたけど、まてよ、キュウリでも代用できるって言われていたな、やったことがないからやってみるかということで、キュウリで代用することにしました。

結果は、キュウリで作りましたといわれない限りちょっとわからないくらいです。
ズッキーニがなかったり、高かったらキュウリで充分ってわかりました。
お試しあれ。


今回も以前ご紹介したラタトューユの作り方と同じレシピ。ソーセージなどが入らない、完全に野菜だけのもの。違いはキュウリと、トマトを缶詰を使ったくらいです。

満月と皆既月食

2007年08月27日 09時20分39秒 | 日記


今月の28日が満月に当たることは8月13日の日記にアップしていましたけど、
この日は皆既月食もあるのですね。
でも天気予報をみると雲に隠れてしまう確率がかなり高そう。
大気中の水分が多いということは月が出てもくっきりとした画像はあまり望めないかも。

さて、どうなりますやら。
仲秋の名月になる9月27日まで満月の写真はお預けでしょうか。

レンズテスト

2007年08月25日 22時24分51秒 |  デジカメ練習帖
レンズテストです。
AF70-300



中央部をトリミングしたもの (トップ画像と同じものです)



タムロンレフレックス500



トリミング後



500に2倍のテレコンバーターを付けて1000mm相当。



トリミングしたもの




レンズの焦点距離は35mm換算ではそれぞれの1.5倍になります。

500と500*2では多少ブレが出ているかもしれません。

露出その他もオリジナルどおり。
300をトリミングした方がより鮮明に出ているかもしれません。
長玉の場合、レンズの性格と、露出時間がどうしても長くなりますので、ぶれやすくなります。このクラスだとミラーが上がる振動でさえ問題になります。難しいですね。

今日も薄雲がかかっていました。今月の満月は28日ですが雲が多そう。来月の仲秋の名月を待ちましょう。