今、タチアオイがたくさん咲いていますね。
家の庭には一つもないのです。
どうもタチアオイって好きじゃない。
なぜって聞かれても、好き嫌いは理屈じゃないから答え難いけど。
もしかしたら、多くのタチアオイが、これでもかって言うくらいに派手な色、花だからかな?
これだけ咲いてくれているのだから、少しは撮らなければなんて、一種の義務みたいな感じて撮ってみましたけど、こんな風に白黒っぽく撮ってみたり、、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a3/35b58fe7258807ae190206b26785a6b0.jpg)
この位ならまだ許せるのですけど、、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/27/445ea2d55163aadc0bd19d233ea97090.jpg)
こんな風にド派手になってくるとね、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/3e/19d82a7aec8d3d555cb0abd7766854c5.jpg)
ちょっと、私の範疇を超えちゃう、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/83/c3c80043dba9ebec5a6a31e76416ece1.jpg)
ところで、お勉強。
現在では葵というと、このタチアオイが一番目につく花かな?
葵は上代に、日本に入ってきた花なのだそうです。
万葉集には
梨棗黍に粟嗣ぎ 延ふ田葛の
後も逢はむと葵花咲く
16-3834
棗(なつめ)
黍(きび)
嗣ぎ(つぎ)
延ふ(はう)
田葛(くず)
葵(あふひ)
ボクちゃん、なんて親切!
なんて詩がありますが、これは食用の植物を織り込んだもので、当時の葵はフユアオイで食用として植えられていたということです。
それが古今集や、新古今集ではフタバアオイを指すようになりました。
葵祭りの葵ですね。
以前、式子内親王の
忘れめやあふひを草にひき結び
かりねの野べの露の明ぼの
新古今集 3-182
をご紹介したと思いますが、これは葵祭りの前夜に賀茂神社に泊られたときのことですね。
またまた、この賀茂神社の葵から徳川家の葵の紋が生まれたのもどこかに書いておりましたな。
同じ葵でも、時代によって、意味するものが違うのです。
いや~、 お勉強しましたな~
んだども、何の役に立つ?
まぁ、一生役に立つことはないでしょうな。(きっぱり)