夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

小さな秋

2005年10月31日 18時13分36秒 |  岬な日々


毎日歩くことを日課に決めて三日坊主にならないように岬でも歩き始めた。
今日は「水引」を見つけて、とってくることが目標。
家を出てすぐにアケビがなっているのを見つけた。車で走っていれば絶対に見つからなかっただろう。これもスローライフの賜物。散歩の途中のエネルギー補給にありがたくいただいた。
途中のみかん畑のみかんも少し失敬して、(って言っても、誰も収穫に来ないのを知っているし、あまり罪悪感はなかった。)これも胃袋に。岬はあまり暑くないので甘さはいまいちだけど、自然なみかんの匂いは絶筆もの。



烏瓜が綺麗に色づいていて、花器に指したいと思ったけど、まあこれは後日の楽しみ。楽しみは取っておかなければ。



山茶花や、野ボタンなどの花が咲いている家並みを通り過ぎて、刈り取られた水田を抜けて対岸の山懐に入る。

昔風の屋根の高い田舎家が木々の間に埋もれるように建っていて、その間を縫っている小道をたどっていく。道がどこかで行き止まりになるのではなんて心配始めたころ農作業中の人と会い、この道がどこかへ通じているのかを聞いたら岬ダムまで通じているとのことで、だんだんと狭く木々が覆い尽くす林の中を進んでいく。

畑や道そばには、つわぶきや、あざみや山あじさいなどがまだ咲いているし、そのほか名前も知らない野の花が咲いている。道に覆いかぶさるように茂っている草も秋の色を身につけ、目を楽しまさせてくれる。かなり早いピッチで歩いているにもかかわらず汗もかかないし、一番気にしていた怖い蛇もでる気配もない。
我知らず一番野歩きに適している時期を選んだんだと密かに喜んでいた。



自然薯の蔓がそこここに見つかり、自然薯をほりあげるのは大変なのであきらめざるを得なかったけど、「むかご」がたくさん見つかり、これはありがたく頂いてきた。
これは家に帰って塩茹でにして、今日のご馳走となった。

それにしても「水引は?」「あった。」道の両側に水引があちこちに咲いている。これを掘り起こし、今日の作戦の成果とする。

帰り道、ダムから降りてくると、道そばが桜並木になっていて、そばにはアジサイが植えられている。この辺は車で行き来するときには見えない場所なので、花の時期でも気がつかないだろう。いいところを見つけた。来年の楽しみができた。



これから冬に入っていく。
この町の自然は私にどんな冬の楽しみをとっておいてくれるのだろう。

税金・健康保険・介護保険???

2005年10月26日 18時10分11秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
10/26/2005 20:10:01

私どもの仕事場では厚生年金に入っていて、試算してもらったところ、そこそこ食べていける程度の年金はもらえそう。
しかもロングステーなど、海外の生活費の安いところに滞在すれば年金であちこち見て回れそうというので、その資料などを集めていた。
マレーシアやオーストラリア、スペインやポルトガル、果ては日本語が通じるから冬は沖縄、夏は北海道なんてね。

ところがこれは私の不明で自分が責められるべきことなんだろうけど、年金にも所得税がかかる。健康保険や介護保険も結構かかってくるというので、これを引いていくと、あれ、そんな余裕はないって事に気がつかされた。
退職金がなく、税務署との戦いで貯金も叩き、借金までしたのに、安らかな眠りはこないことに気がついた。
社会の尖兵として働き、やっと定年を迎えた人の年金からもこのような所得税や、健康保険などを引かなければならない日本の政治を呪いながら一生を送るわけ?


落とし穴 税金

2005年10月26日 18時03分08秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
さて、岬という終の棲家を得て、その手直しや、荷物の運び込み、身の回りの整理などとさまざまなことをやり始めた頃に、税務署からの呼び出し状が来た。

私はある大使館に勤めていて、本国で所得税が支払われているということは聞かされていた。他の国の大使館に勤めている連中からは給与総額と、本国で支払われた税額を出せば、(日本での税額よりも多いので)税務署はそれだけ見て、所得税を0にするよって話を聞いていたので、98年から本国政府から、これだけの所得税を本国で支払っているというメモが各人に回されることになり、これで日本の所得税を払わなくてもいいとばかりにそのメモをつけて確定申告をした。(計算違いで本来0のはずが、いくらかの税金を払うことになり。なんだろうといぶかりながらも、本国と日本で二重課税になっている何とかして欲しいってわざわざメモまでつけて出したのだけど、)
それへの税務署の対応だった。

私としては今まで支払った所得税が返されるのかなってくらいの感じで応対したのだけど、半年も何度も話し合いをして、その結果は、本国での所得税の支払いは認められない。またどうせ0になると思って適当に書いた添付資料を悪意があって書いたものとして5年にさかのぼり、重加算税まで付けられてしまった。
おまけに市民税もこれによって修正を受けた。

応対に当たった税務署の職員は、もし異論があるのならば、その旨を主張する事もできるけど、その場合は強制捜査に踏み切るっての脅しをかけてきた。強制捜査って言っても、私の口座などは全て自発的にコピーを出しているのだし、後は私どもの大使館か本国政府、理論的には不可能なのは判っていたけど、これ以上何度も呼び出しを食い、あちこち資料を求めて飛び回るのもいい加減うんざりしていたので、サインをしてしまった。

まじかに迫った定年に備えて蓄えた定期も、その他のものもこれで全て皆無となり、未だにその支払いに追われている。

気に入った家、その環境、そして多少の預金などを持って、定年を迎え、このせわしない世の中から隔絶して生きていく、その夢はどこへいくのだろう。

河童の独り言

2005年10月26日 10時01分15秒 |  河童、狸、狐

空がだんだんと白くなり
真っ暗な闇が少しづつ薄れ
湖と取り巻きの山の襞を形作っていく
湖の表面や山の襞からは乳白色の水蒸気が
周りを浸していく
鳥たちも朝の挨拶を交わす



空はあくまでも青く
山の斜面は秋色に飾られる
風は冬の訪れの消息を伝え
湖の面をなでていく
時折、下へ降りていかなかった鳥たちが
木の実を見つけて、喜びを交わしている。

これから長い冬の準備


そして夜
湖面に何千もの月の破片をちりばめる
空では星たちが私を見守っている
安らかに眠れ、
そして明日がまたいい日でありますようにと


お爺の生まれたところは
ここからずっとずっと川下だったそうだ。
今は団地とかいうものができ、
星の数よりも多い人間のうちが建っているという。

おとうの生まれたところも
ずっと川下。
街や村ができ、
途中にはダムというものが
川を堰きとめている。

おれが生まれたところは
これからちょっと下ったところ。
でも田んぼができ、
農薬とかいう毒を流している。

おれは綺麗な水と魚を求めて
ここまで川を上がってきた。

ここにも人間のうちが建ち始め、
人間がうろつき始めた

でももうこれ以上は上れない。
川も狭く、浅くなる。
魚もいなくなる。

冬もここでは長い。

あの奇妙な人間という代物
頭を飾る皿も持ってなければ
美しい甲羅もない
水の中では生きられないし
力も弱く
群れなければなにもできない存在
彼らは自分が壊しているものさえ気がつかない

そんな人間がおれの棲家を無くしてしまう

孤高を守り
自然を敬い
秘かに生きてきた
われわれはこれからどこに行けばいいのだろう












海の幸、山の幸

2005年10月17日 18時00分57秒 |  岬な日々

岬に来て小さな喜びを発見した。
それはこの地が海の幸、山の幸に恵まれていること。

岬も、隣の大原は漁港なのは知っていたけど、大原が日本で一番イセエビの取れるところだとは知らなかった。
大きなスーパーでも新鮮ないわしなどがバケツ一杯250円なんて売り方をしていたりする。
今は秋刀魚が店頭を賑わしている。
もともと長崎出身で東京の魚なんか臭くて食べれないと言っていた私なので、新鮮な魚にありつけるのはとてもうれしい。

果物は、岬は岬梨で有名なところ。梨の時期には栗も、葡萄も、柿も出回る。
栗は自宅の周りに3本ほど見つけた。買わなくてもたくさん食べられる。
柿は農家のおばちゃんたちがやっているお店で、庭に植えられていた柿、姿の悪い、売り物にならないようなものだけど、安くで手に入る。でも味は同じ。

若手がやった村おこしで、あちこちにみかんが植えられている。ただ長崎生まれにはこちらのみかんは甘さがなくて、ちょっと敬遠。でも花の時期のあの匂いはすばらしい。そのうちマーマレードか何か工夫して見ようと思っている。

春から初夏にかけても、国道に面した農家の売店ではいろんな果物が売られている。
果物が好きな私としては、思いもかけないプレゼントだった。

もちろん、野菜類も新鮮なものが手に入る。でもこれはそのうちに自分で作ってみようと計画中。

農家のお店には花もたくさん並べられている。新鮮。花を生けて、一週間、二週間後に戻ってきてもまだかれずに咲いている。これは一番うれしいこと。


岬へ

2005年10月15日 16時33分37秒 |  岬な日々


ずいぶんと昔から私は終の棲家を探していた。

もちろん伊豆やその他の有名地も探した。確かにこれらの場所には素敵な家、設備などが完備し、温泉も入っているところもあり、景色も素晴しいところがあった。おまけにバブル崩壊後の値崩れでそれが夢ではないこともあった。
でもこれらの場所はシーズンには交通渋滞で辿りつくまでに何時間もかかり。オフになると店も管理事務所を閉まってしまい、朝ごはんを食べようにも車で30分以上もかけて街まで出かけなければならないそんな場所ばかりだった。

業者や友人からの情報であちこち走り回りながら何年か経ったある日、千葉の不動産屋からこれはどうでしょうかと二つの物件がもたらされてきた。一つは内房の屋敷で書院造の築山を持つ庭と、運転手用の部屋の着いたガレージ、物置などがある素晴しいものだった。海は見えないけど、歩いて1分。
本当に喉から手が出そうだったけど、ふとこの家を買ったら、家人に全ての用を言いつけ、私は一日中床の間を背に背筋をぴんと立てて座り、高尚な本を読む、そのような生活が求められるのではないだろうか。そして毎日業者に家や庭の整備を頼んでその家の格式を守ることに汲々としなければならないのじゃないだろうかそんな思いに駆られてしまった。
だから泣く泣くこのうちは諦めた。

もう一つが、今の岬。
オリジナルでは一階は陶芸かガラスのアトリエになっていたらしい広いスペース。2階にリビングと寝室が二つ。台所もプロ用の機材が入っている。結構こだわりのある人が設計したような作り。そして何よりも決定的だったのは檜の風呂。そして風呂の窓には八重桜が触れるように枝を延ばしている。
思っているほどには庭が広くなくそれで躊躇していたけど、友人がこんなところでは
草刈が大変。何時も居るわけではないので、来るたびに草刈だけで終わってしまうよって忠告してくれて、それもそうかと思い直した。

3方ががけになっていて、崖には木が生い茂っており、他のうちが立つこともない。
ってことでここが私の終の棲家。

ここの一角には他に4軒のうちがあるが3軒は私がこちらを買って以来、もう数年になるが一度もきたことがない。持ち主を探して、友達を紹介すれば年に数万でも貸してくれるかもしれない。だって今もだれも使わないので荒れてきているから。でも私はあえてそれをしない。

風の音、虫と鳥の声以外は何も聞こえないこの静寂と緑に包まれた棲家と環境に私は十分満足しているから。


質問 貴方のリズムはいくつ?

2005年10月15日 16時29分24秒 | 芸術・文化

ところで先ほどの「微小な差の認識」は別な目的で書き始めたのだけど、頭だけで終わってしまった。

全くの無知な素人の仮説だけど、演奏家というのはいくつものリズムを感じながら演奏をしているのではないかということ。

一つは音楽家が持っている絶対的なリズム。(これは数学的なリズムとその国民性、文化から来るリズムも含まれている。)前のBlogで例えばウインナワルツは2拍子目がちょっと長いって書いたことがあった。オランダ人の若い音楽家が能の音楽をやろうとして、「一番難しかったのは自分のリズムを棄てて白紙で能のリズムを取り込むことだった」って話をしていたこと、騎馬民族は馬の上で育つので3拍子になるって思っていたら、実はモンゴルなどの音楽では無拍子が多く、今まで何を勉強してきたのだろうって、自分の浅はかさに驚いたことなどを書いていたと思う。

二つ目は、メロディを浮かべながら演奏しているときに音楽家が感じている感情的なリズム。ただあまりにも感情的になりすぎるとクラッシックがポップスになってしまう。
ダンスの場合は身体の動きとダンスの大きさという物理的な制約があるのでもっとわかりやすいかもしれない。
ダンサーなどの場合にはこれは自分の身体からするリズムだと思う。
大きな動作を求められれば、普通はリズムは遅れてくるもの。

三つ目は、感情的にメロディを弾いているときに、どこかで感じているであろうきちんとしたリズム。これは上の1と2の間にあるのだろうと思う。
エモーショナルな演奏をしていても、(リズムは2になっている)音楽家ならどこかで(1の)正当なリズムを刻んでいて、でも自分の演奏をするために、また感情に流されすぎないように格調を与えるためにも、どこかでリズムを引き戻している。それが3っ目のリズム。
ダンサーの場合はメロディに合わせるためには感情に導かれた大きな動作、踊りを意識的に小さくするか、早く踊るか、リズム全体を遅らせるか、、の選択になるかもしれない。

常に刻まれている1のリズムがあるから、ルバートを繰り返しても、フレーズ全体ではキチンと収まったりすることができる。
しかし1のリズムだけしかなければ、それは単なる指の練習にしかならない。

感情に導かれたままなら、それはバーやナイトクラブの演奏で終わるかもしれない。

その間のどこを取るかなんだろうけど。

でも1のリズムであっても、もしかしたら演奏家はいくつかのリズムを持っていると思う。当初からのリズム、ルバートをした後でのリズムなどなど。

彼らの頭や、身体にこれらがどう治められていて、どう機能しているのか、とても興味がある。


これは形を変えれば、ビジュアルアーティストにとっても同じことが言えるかもしれない。感情と理性。

「山を登りながら考えた。知に働けば角が立つ、情に棹差せば流される、とかくこの世は住みにくい。」(夏目漱石 草枕 冒頭)


千葉県夷隅郡岬町

2005年10月15日 15時53分22秒 |  岬な日々


お気に入りの椅子がある。

なに、人に貰った使い古しのマッサージチェアなのだけど、これが妙に身体の線にぴったりでこれに身体を包まれているとなんとなく安心感があるのだ。







その椅子に身体を預け、窓越しに秋の装いを始めた百日紅の葉を見ているとこの上もない上質な時間に身をゆだねている気持ちになる。





本とお茶をサイドテーブルに用意すると、もう立ち上がれない。

お腹が空いてきたと思っても椅子から立ち上がるほど重要な問題だろうかって思い返し、この贅沢な気分を壊してまで食事の用意をしようとは思えなくなる。





昨年の暮れには東京へ戻るまでの二日半、殆どをこの椅子の中で過ごし、危うく餓死しそうになっていた。

それほど危うい魅力のある椅子なのだ。





私はなんと幸運なのだろうと思う。

仕事も自分の我がままし放題で許してもらえたし、

人生の最後には自分の好みの家を見つけられ、気に入った椅子に身を置いて、この上もない平穏な気持ちを味わうことができる。







もちろん私が手にすることができるうちだから、中古なんてものじゃなく、太古に近い物件だったし、はたして後何年このような状態を保てるのかは判らない。

もしかしたらあと数年しか持たないかもしれないが、多分このような毎日を送っていれば、その頃には私は完全にぼけているか、訪れる人も無いままに餓死して、白骨化していっているかもしれない。

でもそれはそれで大往生ではないかと秘かに期待しているところもある。

今更、これを改修し、思い通りのデザインに変えて行かなければならないほどには生きていないだろう。



だから、あえて世の中に老骨を晒してまで、これ以上のものを手にする意味もない。





今が満足なら、それでいい。
人の醜さを嫌というほど見てきた私には、ここから立ち上がって人の世に入っていく意味が見当たらない。
世の中の波ができるだけ押し寄せないように、密やかに、密やかに生きていくことが望み。









我がままを言えば、思いやりのある、優しく聡明で、美しい女性が身の回りを世話をしてくれることだろうか。



でも一つの思いを叶えるためには、二つを我慢し、三つのトラブルを抱えるくらいなら、私は今のままの平穏な生活をとる。



世は全て事もなく、

神は空にしろしめす。



なんとなくこの言葉が判ってきたような。



2005年10月13日 15時48分24秒 | 私も作ってみました
10/13/2005 09:50:18

頭上に広がる蒼い空。

黒とも思えるような透き通った空気を感じさせる空。
太陽はその恵みを身体の心まで届けてきている。
暖められた身体に風はひんやりと心地よい。


目の前の林や草原には夏の性の喜びが実っている。
鳥たちも、動物たちも冬の支度に余念がない。




秋この一番豪華で華麗な季節はまた厳しい冬への入り口の季節。
そして春の実りへの準備の季節。


蒼い空の下、赤や黄色に彩られた森や、林、田畑の中では、

心浮いた季節の現われとは裏腹の、
厳しい冬支度に追われる季節。




蟋蟀が鳴く

予定と調和、
それが神が決め給もた、自然の摂理。


規律正しく生きることが神の望み、人の幸福 、





久米仙人のBlogからの移植です。