夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

寝てるのは、私だけかな?

2008年09月30日 09時51分13秒 | 日記
つらつら世の中を見渡すと、世の中で寝ているのは、私だけだね~



明日は知人のライブが日暮里である。

土曜日は、お友達の出版記念。
   彼のイベントの初日もその日だと思っていましたが、日にちを間違えていました。来週の土曜日なのだそうです。今年はこのイベントに絡むものがなく、傍観者でしたので、つい情報に疎くなりました。
この日には、別な知人さんのところのサーフィンのコンペと、
別なお友達のシンポジウムがトリブっちゃった。

ほかにも何かあったけど忘れちゃった。

ごめんなさい。知人のライブ、もう一つありました。
日曜日、川崎にて。
FM放送でレギュラーになる番組が10月からスタートなのだそうで、それの記念ライブだそうです。近いのですけど、行けるかな~?

そして、また一つ。
知人の来日公演が今週から始まる。
来週は東京のPit-innやBody & Soul、そして横浜が予定されているみたい。

来週もまた友人、知人のライブをはじめとして、いろいろ世の中動いているみたい。
それはまた来週、、、、 グウグウ、、、スウスウ。。。


栗の渋皮煮  もちろんレシピつき

2008年09月29日 18時07分53秒 |  食べるために生きる
先日の「今日は頂き物の多い日」を書いた日、実は、瓜の漬物や、ゴーヤを頂いた方からは、栗の渋皮煮をご馳走になったのです。美味しかった~ 
この方は庭に栗の木があるのに、渋皮煮のためにわざわざよそから栗を買われている。それくらい気合の入ったものなのです。美味しくって当然なのかもしれません。

渋皮煮は、作りたいものの一つだったのですけど、あの手間を考えると躊躇していました。でもこの味を知ったらもうどうにも抗えませんね。なんて思いながら我が家へ帰ってきて、翌朝見ると、ベランダのテーブルに栗が落ちている。あぁ、神様も作れっていっているのだなと覚悟を決めました。
この日は夕方には東京に戻らなければならなかったんですけど、栗を集めてきて、皮を剥きました。

結果はとてもおいしくできました。
ですから、お約束のレシピもつけておきますね。


材料

栗は鬼皮を含めて800グラムほどを使いました。
砂糖はストックが500グラムの袋しかありませんでした。もし足りなければ、出来上がりを東京に持っていったときに再度、砂糖を加えて煮ればいいと思い、これでスタートしました。最終的にはこれで十分でした。
重曹を大匙4杯ぐらい。

作り方

鬼皮を剥く;
鬼皮が上手に向ける人は下のプロセスは要らないかもしれませんが、お湯につけるといくらか楽に鬼皮が剥けます。
お湯のなかに栗を入れます。



お湯がぬるいくらいに冷めてきたら、栗の鬼皮を剥き始めます。
渋皮を傷つけないように慎重にね。
これが結構大変な作業。





灰汁抜きと、渋皮取り、栗を煮る;

鍋に水と栗を入れ、重曹を大匙あ1-2杯程度入れて茹でます。
お湯が沸騰したら、灰汁をとりながら10分から15分程度煮ます。
これ以下でも同じですが、煮るときには栗を崩さないように弱火で煮ましょう。
灰汁はきっちりと取らないと渋みが残ります。



煮汁を全部捨てて、栗を水に晒し、私は歯ブラシを使いましたが、つめ(の方がやりやすいかもしれません)で渋皮を取ります。何度か煮ますので、いっぺんにきれいにしなくても大丈夫。でも栗はできるだけ水につけた状態に保ちましょう。

もう一度鍋に水と栗を入れ、重曹をまた、大匙1-2杯程度いれて、茹でます。
お湯が沸騰したら、火を止めて、煮汁を捨て、栗を水に晒します。
このとき、再度残った渋皮を取りましょう。
黒い線状になったところは爪で端からとると案外とりやすいです。

栗が柔らかくなっていれば、次の工程は短くしても大丈夫です。
鍋に水と栗を入れて茹でます。沸騰したら、火を弱めて灰汁を取りながら、10分ほど煮ます。煮汁を捨てて、栗を水に晒します。


砂糖を入れて煮ます;

鍋に水と栗、砂糖を入れます。
今回は上のような理由で砂糖は500グラム使いました。
沸騰したら15分ほど煮て、冷ましながら、砂糖が沁みこむのを待ちます。
これでできあがり。


追加;

今回は、砂糖が少ないかと思いましたが、これでいい味になっていました。砂糖を足す必要はなかったですね。
また、出来上がりの栗にブランディをたらしてもおいておくと、お酒の好きな方にはいいかもしれません。漬け込んで1日くらい寝かせると、おいしくなりますよ。
マロングラッセの方が「高級」なんて思われている肩もあるようですけど、渋川煮を汁からあげて、表面が少し乾くくらいまでおくと、下手なマロングラッセよりも、美味しく感じられました。


栗がたくさん残りましたので、こちらは茹栗にしましたけど、これはこれでこの時期の定番。美味しく頂きました。まだずいぶんと残っています、、、



今週末には岬にいけませんので、今年の栗はこれで食べ納めでしょうか。
でも、思いもかけず渋皮煮にトライでき、美味しく食べることができました。
きっかけを下さった知人の方にお礼を申し上げておきましょう。
こちらではまたお作りになるとのことでしたが、きっと美味しく出来上がるのでしょうね。

田舎には、何もないという人もいます。
でも、私にはこんな贅沢をさせてくれるうれしいところに思えてなりません。








2008年09月28日 09時37分05秒 |  岬な日々


さて、先ほどは動物の話でしたけど、
ベランダに出てみると、出してあるテーブルの上に栗が一個落ちていた。
ベランダにかぶさるように枝を出している栗がもう、食べごろになっているのです。
で、記念の一枚。
栗香合は丹窓窯のもの。頂いてからまだ使ったことがない。今年はどうかな?

昨日は知人のお宅で、栗の渋皮煮を頂いた。お庭には栗の木があるのだけど、わざわざ他から買い求めて作られているという気の入れ方。さすがに美味しかった~
今度はマロングラッセを作るとおっしゃっていた。
家の栗も美味しい栗。そのまま煮てもとても美味しい。知人はやはりこの栗で渋皮煮を作りたいと騒いでいたし、別な友人は、モンブランを作るって張り切っている。
私? 私は食べるだけ。

さて栗拾いに出かけましょう。



今朝はキョンの声で起こされた  鶯のささ鳴き、 そしてカケス

2008年09月28日 09時03分27秒 |  岬な日々
今朝早く窓の下をキョンが大きな声で鳴きながら通っていった。
ギャ~というような、猫が踏み潰されたような声で、なんとも下品な声。いやでも目が覚めてしまう。
おかげで、早起きしたのはいいけど、なんとなく眠たい。
(知人がこれがキョンの声だって教えてくれたけど、確認はしていないので間違いでしたら教えてくださいね)
千葉県のキョンはWikipediaによると5300頭いるのだという。
行川アイランドが閉鎖になったときに逃げ出して繁殖したという噂があるのだけど、こちらでは今やごく普通の動物。キョンの情報を求めると、あっという間に、どこでみた、ここにいるってレスが帰ってくるくらい。

昨日は、別な知人の畑がハクビシンにやられて、野菜や果物が全滅したと嘆いておられた。その畑の地主さんはハクビシンを8頭も捕まえたそうです。キョンも害獣の指定を受けているけど、ハクビシンもここらのみかんや梨の農家には大敵。市役所に申請すると、捕獲用の檻を貸してくれるのだそうです。

狸や、狐のような「ありふれた」動物以外にも、このほかにもアライグマや、アナグマ、キョンやハクビシンがだんだんと「ありふれた」ものの仲間に入ってくるようです。

ところで、今朝は、キョンの声で目が覚めて、もう一眠りしようかとベッドに行きかけたときに、鶯の声。ササナキしていると思ったら、「チャッ、チャッ、コロコロコロ」だって。ませた子ですね。
鳥の図鑑などでは冬の時期はササナキの時期で、本鳴きはしないと書かれているけど、この辺の人たちにとっては、鶯は一年中本鳴きしている、秋から冬に一部ささ鳴きが聞こえるというのが常識。
知ったかぶりに、梅に鶯が来て、「ホーホケキョ」なんて鳴くことはないよ、本鳴きはもっと後だよなんていわれるけど、この辺じゃそれも大いにあるのですよね。
この辺では雪はほとんど降らないけど;

梅が枝にきゐるうぐひす春かけて
      鳴けども今だ雪は降りつつ
            古今集        

なんてのは、昔は嘘だと思っていたけど、「ところ変われば」なんでしょうかね~

なんてことを思っていたら、目が覚めてしまった。
今、ベランダの外の木にカケスが20羽ほど、群れになって飛んできて、これまた下品な声で鳴き交わしている。



今日は頂き物の多い日     

2008年09月27日 22時06分40秒 |  岬な日々


今日は不思議と頂き物の多い日でした。
お昼のレストランは先日の猫ちゃんの写真のお礼とかで無料。
下は、このレストランのオーナーの丹精のもの。



近くの知人を訪ねましたら、大きなゴーヤや瓜の塩漬け、バジルのソースなどを頂きました。
夕食は途中で買った秋刀魚にこれらの頂き物を調理して、ありがたく頂戴いたしました。ゴーヤは苦味の少ない種類ということでしたが、シーチキンとあえたらとても美味しくできました。瓜の塩漬けもショウガとミョウガが入れてあり、思ったほど辛くなくてご飯にあいました。お勧めのバジルソースはこれまたすばらしい一品。

虫の声を聞きながら、「いすみっていいな~」って満腹になったお腹の底から思っています。


彼岸花はもうピークを過ぎた群れとこれから咲き始める群れがあちこちにあります。日当たりのいいところが早いとは限らないのですね。山陰のが終わっていたり、田んぼの畦の一日中日が当たるようなところのが、これから花を咲かせるみたいなものもあり、何が原因なのかちょっと分かりません。
彼岸花は先日も撮りましたので、今日はちょっとつまをつけて、、、


eco Surf Cup  釣ヶ崎海岸(上総一宮)

2008年09月27日 21時34分33秒 |  岬な日々


サーファーの写真を撮ってよって知人に頼まれておりました。
でも、人や人に絡むものの写真ってどうも苦手。
なんとなくほっぽっておきましたけど、今日は覚悟を決めて上総一ノ宮釣ヶ崎海岸まで行ってまいりました。
サーファーはたくさんおりました。。。というのか、今日はeco Surf Cupというコンペをやっていたのですね。
そこで子供たちのファーファーを見ました。
いや、うまいうまい。実に上手です。



これはこれで十分に楽しめました。


でもね~ 天狗さん。
私は人の写真は怖くって撮れないんですよ。まして、U20の可愛い子の写真なんかどうしても怖い。それは何度もいっているじゃありませんか、どうしてU20のサーファーを用意してくれなかったんでしょう。




彼岸花

2008年09月24日 21時32分49秒 |  あなたの鼓動、華

9月20日に彼岸花はアップしたばかりですけど、再度アップしてみます。あの時は「彼岸花  壱師(いちし)なのかな?」ということで万葉集から引用しましたけど、今回はなし。だって彼岸花ってどういうわけか万葉集にもほとんどなく、古今、新古今にも見たことがないのですね。こんなに目立つ花なのに、やはり不思議でなりません。
白秋の彼岸花の詩もずいぶん前に使ってしまったし、、、、種切れ。あぁ、彼岸花には種はないのです。


下は白花の彼岸花。写真が変なのではなく、家の近くの崖から水平に延びて花を咲かせているものです。




写真を撮っていると「何をしているんだろう」って家の方が出てきましたけど、近所に住んでいるのがわかると、「お茶でも飲んでいけば」なんてことになりました。
地元の人は、外から来た人に胸を開かないということを、地元の人もよく言いますけど、必ずしもそうではない。
胡散臭さがないと分かれば、打ち解けて話をしてくれます。
ただしお年寄りには、やはり方言があって、ちょっと聞きづらいこともあります。
やっぱり、こちらも親しみを持たなければ、相手もガードしますよね。

秋の夕べを心にぞとふ

2008年09月24日 17時41分27秒 |  気になる詩、言葉


思ふことさしてそれとはなきものを    
        秋の夕べを心にぞとふ
             新古今集
             宮内卿

思い悩むようなことはなにもないのに、秋の夕べはそれでも心に沁みいってくる


後鳥羽院宮内卿は若くしてなくなった詩の天才。
悲しいことがあるから、鬱積したものがあるから秋が悲しいのではなく、屈託のない心にさえ秋の寂しさ、悲しさが伝わる。秋の夕べの情景が見事に表されていますね。宮内卿はあまりにも詩に心血を注ぎすぎて早くなくなってしまったとさえ言われている人。たしかに、素晴らしいものが多いですね。
一つだけ彼女の代表作をあげておきましょう。

うすくこき野辺のみどりの若草に
        跡までみゆる雪のむら消え
             新古今集

露草  月草に衣はすらむあさ露に

2008年09月24日 17時09分16秒 |  気になる詩、言葉

まあ、たぶんそんな方はいらっしゃらないと思いますけど、今日のタイトルを見てあれって思われた方はないですよね~

実は9月の5日の日記「露草   月草のうつろひやすく思へかも」に万葉集の詩

月草に衣ぞ染むる君がため、斑の衣、摺らむと思ひて

をご紹介しているのです。ここでは同じ万葉集の

月草のうつろひやすく思へかも、我が思ふ人の言も告げ来ぬ

というのもご紹介しています。


今日のタイトルは「月草に衣はすらむあさ露に」になっていますので、間違いかななんて思ってくださる方が一人でもいらっしゃれば嬉しいけど、、、、
まぁ、高望みはやめましょうね。

月草に衣はすらむあさ露に
   ぬれてののちはうつろひぬとも
        古今集
        詠み人知らず
 

こちらは古今集の詩。
もちろん最初にあげた万葉集を念頭においての詩ですね。

私の衣を月草で染めよう
朝露に濡れて、色が失せてしまっても 

貴方の気持が変わってしまうとしても私は貴方と添いたい
そんな気持を詠った詩。なんとも羨ましい、「この色男めっ」ですよね~

前の日記でも書いていますけど、昔は衣を月草(つまり今で言う露草ですよね)で染めたのですけど、これは水に濡れるとすぐに色が落ちてしまいます。下絵を描くのに使うくらいですから。そこから移ろう、褪せる、、、、というようなニュアンスが生まれてくるのですね。

でも、万葉集や、古今、新古今も含めて、大和詩にはこの、儚さ、移ろいを嘆く詩がいかに多いか、、、特に日本人が醒めやすいとは思えないのです。それを特筆するのが日本人の特性なのか、、、感性がウエットなのか、、、、たぶんそうなんでしょうね~


蜘蛛の振舞ひ かねてしるしも

2008年09月24日 13時48分50秒 |  気になる詩、言葉


わが背子が来べきよひ也
    ささがにの蜘蛛の振舞ひ
           かねてしるしも
            古今和歌集 

私のいとしい方が今夜はきっと訪れるはず
    蜘蛛の動きがそのことをあらかじめ知らせてくれている

この詩の起源はずいぶんと古いのです。
允恭天皇が妻の忍坂大中姫(おしさかおほなかつひめ)の妹の弟姫(おとひめ)のところへこっそりと通っていったら、彼女がこの詩を詠っていたので、ぐっと来て妻に隠れて茅渟宮をつくり、足繁く通ったというのです。
弟姫はまた、衣通郎姫(そとほしのいらつめ)とも呼ばれ、絶世の美女だったのだそうです。

この詩の、ささがに(ささがね)は笹の根とする説と、ささがねは蜘蛛の異称で蜘蛛の枕詞として使われているという説があるようです。

ところで、衣通というのは薄物を指すという説があります。衣を通して美しい肌が見え隠れする。チャバレー、「織姫」なんちゃって、、、そのほうがエロティックだという人も多かったりして。(あぁ、またお下品になりました。どうも本性が見え隠れする)今で言う絽や紗のようなシースルーなのかな?

一番の問題は「蜘蛛の振舞ひ」なのですけど、これも古い中国の俗説に、蜘蛛が糸を張ると、親しい人が訪ねてくるというのがあるのだそうです。
でも、これは眉唾。
だって、もしこれがほんとうなら、岬の家には親しい人が引きも切らさずって状態になるでしょうけど、蜘蛛の巣だらけの割りに、誰も来ないですからね。