清水の次郎長の女たちの名前は全部がお蝶だったそうだけど、私も寝言に何か言って問題を抱えるのがいやなので、恋人たちの名前は全部似たものにした。
そうそれが次なるミャ~。
ミミは可愛かった。最初の異性は忘れられるもんじゃないってことを今になって痛感している。
でもミャ~もまた可愛かった、そして凛としていた。
ミミとミャ~。多分私の記憶の中にはだいぶごっちゃになった部分があるかもしれない。
ミミはまだ母親になる前に消えていったから可愛いだけだったけど、ミャ~は母親になり、私をその子達の育ての親に指名して、そして消えていった。
人間でも、動物でも母親としての気持ちが通じると男には畏敬の存在。
ミャ~も渋谷の下宿の離れに住んでいた。
ここも家へのアプローチがL型に曲がった階段を上がっていくようになっていて、間に母屋があり、アプローチをあがってくるのは見えないはずなのだけど。
彼女は私が帰るころになると屋根の上にいて、私の足音を聞き分けて、屋根から裏庭、そしてドアを通り、玄関のドアの前にすっ飛んできて、ちゃんと三つ指就いて待っている。
私が帰宅しドアを開けると、必ずミャ~って迎えてくれた。
これが彼女の名前の由来になった。
今まで付き合った女性でここまでやってくれた女性がいただろうかって、、、
女性は何もしない割りに、文句ばかり。
やはり私には動物のほうがいいのかもしれない。
てなことは、口が裂けてもいえないね、ご同輩。
さて彼女にも問題があった。
コックの私としては、私の残飯を食べてもらうのが一番手っ取り早いのだけど、これにはあまり食欲がないよう。
ためしに魚のソーセージを与えてやったら、なんと食通にフォアグラ状況。
それ以降、子供が生まれて、子供は残飯を食べていても、彼女は絶対に食べない。
魚のソーセージ以外はお口に合わないことになってしまった。
彼女のお腹が大きくなり、まもなく産まれそうというので、ダンボールの箱を押入れにいれ、ふすまを少しだけ開けて、ここで産めばって、彼女を箱に入れた。
数日して、彼女は産まれた子供たちを一匹、一匹と口に銜えて私の前に連れてきて、
人の目を覗いて、
「ミャ~」
「見ててやってくださいね」ということらしい。
そして外へ出て行き、しばらくして、ミャ~って声を出しながら部屋に帰ってきて、また一匹、一匹、口に銜えて箱に戻して、押入れの産室に戻った。
子供が少しづつ大きくなってくると、食事の時に、だんだん私のところに来て、時々はふぅってため息をつきながら、人のひざの上に上り、まどろむようになった。
そして子供たちが箱から出てきだし、家中が幼稚園状態になっていった。
でも彼女は子育てに関してはほとんど私の手を煩わせなかった。
この辺も、その辺の女性とは雲泥の差ってことは言わないけど。
子供たちが、特に庭で遊ぶようなときには、私のそばに座って、子供たちが遊んでいるのを背筋を伸ばして満足そうに、見ていたのを覚えている。
子供たちが安全だとわかると、私の膝の上で半分眠りながらも視線は常に子供たちの上にあった。
母親の優しさと、温かさ、そして母親としての芯のようなものを感じて、ミャ~には密かに尊敬さえ覚えていた。
子供たちの里親を探すのは大変だった。
一匹、一匹、人に託していき、やっと子供たちがいなくなって、人心地ついたと思ったころに、彼女は家出をしてしまった。
彼女にしてみれば、恋人に裏切られたと思ったのだろうか、、、
もしそうだったら、今でもほんとうに悪いことをしたと、心が痛むのだけど。
2005年12月2日以前のブログから転載しました。
2009年11月7日新しく写真を追加し、タイムスタンプも新しくしました。
家人の実家それぞれの毛並み5匹
性格それぞれが世代連なって・・・
ばぁちゃん猫、母親猫、子供猫でした
家人が高校生で塾の帰り道駅から家まで真っ暗
(50年近い昔)怖い田舎道迎えに来てくれていたそうです。
帰る時間がわかるのだろうかと・・・結婚した頃其の猫は居なかったですが・・・
猫好きを知っている人が勝手に生まれたばかりの猫を
家人の家において行くから増えると言ってました
なくなる頃家出する猫と座布団の上で亡くなる猫と居たそうです。
長いカキコでm( ̄ー ̄)m ゴメン
家で飼っていた子たちは、必ず死に顔を私に見せませんでした。
ですから、今でも家出したのか、死んだのか分からない。なんとなく、そのうちに帰ってくるかもなんて思っているところがあります。でもそうすると最初のうちに飼っていた子たちは、化け猫、化け犬になっていますね。
猫を取るっていうと、これまた問題が大きくなるし、、、、