私が昭和42年に東京に出た際、私に鉄骨の加工する場所を旦那様を説得してくれた大恩人が、92歳の人生に幕を閉じました。勿論、その場所を貸してくれたご主人(部品工場の社長)も多くの人に慕われ、尊敬された立派な方で10年ほど前に他界しました。
私達は、どんなにもがいてもいつか必ず生命の灯火を消す事になるのでしょう。
今日は、大恩人の通夜の席に出て、同じ人生ならこの人のようにして、生涯を閉じたいものと思ったのは私だけではなかったみたいです。
私とは従姉妹にあたりますが、福地家から高橋家に嫁いでご主人と手を携えながら戦前戦後の動乱期を切り抜けて、社員数、数百人の会社を切り盛りしてきました。
現在は、身内に会社を任せて悠々自適の生活をエンジョイしておりました。
先月末に体調を崩して入院した際、見舞いに行ったのですが私の帰る時を見計らって「お前とはこれが見納めだ」と涙ながらに話し、言葉どおりになりました。
先週、土曜日の午前、肉親を枕元に呼んで「今日が終わりの日になった、ありがとう」と語ったと云います。
その日の夕方、まさに眠るように旅立って逝ったと云います。
そして自分が亡くなった後の始末の全ての段取りを付けていたそうです。
福地家は女系らしく、今年の夏に訪問した時は、自分も福地から嫁ぎ姓が変り、福地を名乗る人が少なくなったと嘆いていました。
今日のお通夜では、焼香者を迎える側に、福地を名乗る私と、私の長男と先月結婚したばかりの嫁さんも親族席につかせて戴きました。これも生前に言い遺した事だと云います。
彼女は、92年間の人生を、自分をさて置き他人の世話に生甲斐を感じていたようです。
いつまでも途切れる事のない焼香者の列を見ながら、この人のように人生を閉じたいものと念じたしだいです。写真は今夜の宿泊ホテルですが何がしか沈んで見えるのでは…
大恩人の葬儀で明日の予定がキャンセルとなり、関係者にはご迷惑をお掛けする事になりますが、悪しからずお許しを…

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私達は、どんなにもがいてもいつか必ず生命の灯火を消す事になるのでしょう。
今日は、大恩人の通夜の席に出て、同じ人生ならこの人のようにして、生涯を閉じたいものと思ったのは私だけではなかったみたいです。
私とは従姉妹にあたりますが、福地家から高橋家に嫁いでご主人と手を携えながら戦前戦後の動乱期を切り抜けて、社員数、数百人の会社を切り盛りしてきました。
現在は、身内に会社を任せて悠々自適の生活をエンジョイしておりました。
先月末に体調を崩して入院した際、見舞いに行ったのですが私の帰る時を見計らって「お前とはこれが見納めだ」と涙ながらに話し、言葉どおりになりました。
先週、土曜日の午前、肉親を枕元に呼んで「今日が終わりの日になった、ありがとう」と語ったと云います。
その日の夕方、まさに眠るように旅立って逝ったと云います。
そして自分が亡くなった後の始末の全ての段取りを付けていたそうです。
福地家は女系らしく、今年の夏に訪問した時は、自分も福地から嫁ぎ姓が変り、福地を名乗る人が少なくなったと嘆いていました。
今日のお通夜では、焼香者を迎える側に、福地を名乗る私と、私の長男と先月結婚したばかりの嫁さんも親族席につかせて戴きました。これも生前に言い遺した事だと云います。
彼女は、92年間の人生を、自分をさて置き他人の世話に生甲斐を感じていたようです。
いつまでも途切れる事のない焼香者の列を見ながら、この人のように人生を閉じたいものと念じたしだいです。写真は今夜の宿泊ホテルですが何がしか沈んで見えるのでは…
大恩人の葬儀で明日の予定がキャンセルとなり、関係者にはご迷惑をお掛けする事になりますが、悪しからずお許しを…

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