迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

気づいているならもっと早く指摘しろ 民放TV局の奇妙な日本語

2009年09月24日 | テレビ・ラジオ・マスコミ
この「民放TV局の奇妙な日本語」のおかげで、テレビ離れをしつつあります。
読売新聞といえども系列の日本テレビを抱える立場ですが、目に余る振る舞いにペンを取らずにはいられなくなった、ということでしょうか。

それから「まもなく」だけでなく、「続きはこのあと」と書きながらCM明けはエンディングなんてことも多々ありますね。
学習した視聴者は「48分だから終わりだよね」と時計を見ながら、チャンネルを変えるのです。

なんで嫌われるようなことするのかなー、お客さまなのに。
ちょっと早いけど、テレビ局員はお正月に田舎に帰った時に、まわりの人がテレビのことをどのように感じているのか聞き取りをしてレポートを書くべきだと思いますよ。
民放TV局の奇妙な日本語
民放テレビ局が使う言葉は、私たちが理解している日本語とは違う意味らしい、と思うことが時々ある。注目の試合を伝えるスポーツ中継で、「間もなく始まります」というアナウンスを信じて1時間以上も待たされ、不信感を抱いたのは一度や二度ではない。今では「この局が言う『間もなく』とは、少なくとも1時間後を指すのか」と身構えるようになった。
TBSが来月21日から始める新番組にも、同じ感想を持った。内田康夫原作、沢村一樹主演の「浅見光彦シリーズ」を連続ドラマ化する「浅見光彦~最終章~」だ。
誰でも「このシリーズも今回が最後」と受け取るだろう。しかし、番組改編の発表会で「必ずしも終わりではない。最終章と聞けば見たくなるんじゃないか。結果が良ければ『最終章2』もありうる」と説明され、唖然とさせられた。「現場がそのくらいの意気込みで作っていることをわかってほしい」と言われても全く理解できない。
民放の連続ドラマでは昨年から、最終回の直前で「最終章」「最終章序章」といった紛らわしい表現が目に付く。今月は、テレビ朝日の「コールセンターの恋人」やフジテレビの「ブサー・ビート」が最終回を翌週に控えた回で、「最終章」とのタイトルを掲げていた。
見てもらうための涙ぐましい工夫か、さもしい小細工と見るか。それはともかく、「テレビ局の奇妙な日本語」は今後もこの欄で指摘したい。
(編集委員・鈴木嘉一)
読売新聞 2009年(平成21年)9月22日(火曜日)