すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第286号 象の涙

2005-11-30 18:42:44 | Mie Report
【Mie】先日、民放で放映された「天才! 志村のどうぶつ園」を観た。普段はTVはニュース番組やドキュメンタリー、興味のある連ドラ以外に観ることはあまり無く、最近はむしろラジオを聴くことのほうが多いが、それでも仕事柄、民放の動物関連番組は時々観ることがある。その番組で放映された「象に関するエピソード」は、動物相手の職業である私にとっても十分に感動させる内容であった。

そのエピソードとは、千葉の私設動物園の象と青年調教師「哲夢」君との交流がテーマであった。その青年は、不幸にも13年前に弱冠20歳の若さで交通事故で亡くなったが、生前、彼はその象に対して深い愛情を持って調教を行い、調教アイテムである調教棒を使用するに当たり、棒の先についた鈎状のフックで象を叱ることは決してせずに、棒の柄の方で象の体を優しく撫でて調教するのが常だったそうである。

その象は以前にサーカスにいたことがあり、そのときの過酷な調教が象の心にトラウマとして残り、その心の傷を彼が優しく癒してくれたというわけだ。彼の葬儀の日、その象君は遺体の安置された霊柩車のそばから離れようとせず、彼の死をたいそう悲しんでいる様子が画面に映し出された。

テレビでは彼の死後13年経過し、象と会話ができる(この点は半信半疑だが)という英国人女性が登場して、その象の体調や気持ちを代弁していた。私も動物相手に30年以上仕事をしているので、主な対象である犬と猫の気持ちはよく分かるつもりだが、それにしても人と会話する能力の無い動物と直接会話をすることは実際には不可能だろう。ただ動物の置かれた状況や、その時に示す表情とか仕草(行動)などから動物の心(気持ち)を理解することは可能である。それをあえて会話というのであれば、それはそれで理解できるのだが……

それはともかく、画面上には今は亡き調教師のお母さんが、彼の死後初めて象の前に、彼の遺影写真の額と生前に彼の肉声を録音したラジカセ、そして彼が使用した調教棒を持って出演した。感動したのはその時に示した象の行動であった。

驚いたことに、象は鼻の先で額に入った彼の遺影写真の表面をさもいとおしそうに優しくなぞり、ラジカセから録音された彼の肉声が流れるや、そのラジカセを長い鼻で優しく巻き寄せ、さらに眼前に差し出された調教棒を鼻で巻き取り自分の体を優しく撫でる仕草をして、象の目から涙がこぼれた(様に見えた)のだ。

その場面を目にした途端、私は思わず涙が溢れ出てとまらなかった。左上の小画面に映し出された志村や女性タレントも同様に涙で顔をくしゃくしゃにしていた。センチメンタルかもしれないが、この場面はそれほど感動させるものであった。象は確かに13年前に亡くなった彼のことをはっきりと覚えており、その彼のことを思い出して懐かしむと同時に、優しく扱ってくれた彼の調教ぶりを身をもって示しながら涙を流したのである。

この場面が何故それほどまでに感動させたのか、その後で少し考えてみた。一般には犬や猫と異なり、象は私たちにとって普段それほど身近な動物ではない。せいぜい動物園やサーカスで接する機会位しかないので、象について詳しい知識を持つ人は比較的少ないと思う。

この私でさえ象に関する知識といえば、陸棲で最大の哺乳動物であり、寿命は人と同じ位に長命で現存種はアフリカ象・アジア像の2種であり、アフリカ象の方が耳と体が大きく、野生味の強いアフリカ象の方がアジア象よりも気性が荒い、という位の知識しか持っていない。ただ調教によってサーカスで芸をするほどだから、生来、知能の高い動物であるのは間違いない。

多分アジア象であろうその象の有する確かな記憶力と認識力、手の働きをする長い鼻で感情を豊かに示したその表現力、普段あまり馴染みのない象も人と同じように涙を流したことへの驚きなどが重なって、これほどの感動を引き起こしたのだろうと自分なりに推測した。

もの言わぬ動物も知能が高ければ、過去に優しさや愛情を注いでくれた人や行為に対していつまでも忘れずに覚えてくれているのだ、ということの証明のようなエピソードであり、これはとりもなおさず人の場合にもそのまま当てはまるであろう。
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