すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1717号 6月の秋田は晴れ続き

2021-07-08 16:43:44 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】地元テレビの天気予報が、秋田市の日照時間は全国の県庁所在市で47番目、つまり最も短いのだと紹介している。一番長い甲府市より、年間で700時間ほども少ないのだそうだ。ところが月別の統計では、6月だけは札幌、青森に次いで3位になっているという。7月は再び最下位あたりに戻るというから、梅雨入りが遅いということなのだろう。そんな予報を聞いて空を見上げると、なるほど雲ひとつない快晴である。私は秋田市に来ている。



この街には何度も来ているけれど、雨に降られた記憶はない。それもそのはずで、手元のメモで確認できる2011年、2015年とも、今回と同じ6月下旬に来ている。全くの偶然だけれど、いずれも秋田が光り輝く絶好の時期にお邪魔していたわけだ。ただそれ以前にも来ているこの街は、どうしたわけか私の中でイメージが定着せず、思い出すたびに歯がゆい思いになる。駅周辺の繁華街と、県庁一帯の官庁街しか歩いていないからだろう。



そこで今回は、まず港に行ってみる。駅前から路線バスに乗り、およそ30分の市中見物を楽しみながらセリオンに着く。街のランドマークであるガラスタワーの、地上100メートルから360度の展望を楽しむ。南には市街地が、北には日本海と男鹿半島が望まれる。眼下の港湾はもともとは雄物川の河口だったが、大正から昭和にかけて、秋田県始まって以来の大土木工事で川の流れを変え、土砂の流入のない近代港湾に整備されたのだという。



秋田湊は7世紀の日本書紀にも登場する、大和朝廷の北方支配の拠点港だった。中世には「三津七湊」の一つとして北前船で賑わい、現在は国際拠点港湾などに次ぐ重要港湾に位置付けられている。水と陸の交通・交易の結節点が港湾だとすれば、国内には約1000の港があるというが、年間750万トンの貨物を取り扱う秋田港は、港湾別コンテナ取扱量で26位になっている。この街の生い立ちを知るには、街を支えてきた港を知るべきであろう。



路線バスの別ルートにも乗って、市内見物を続ける。秋田の街がだんだん頭に入って来る。駅前繁華街と県庁官庁街を結ぶ大通りは竿灯祭りのメイン会場らしく、結構な都市景観を形成している。だが目を凝らすと、官庁街と繁華街の中間に延びる寺町周辺は、駐車場に転用された土地が目立てっている。一等地だろうに、日銀秋田支店の隣接地は広大な空き地のままだ。秋田市の人口は30万2400人。県内では突出した規模の街ではある。



しかし2005年の33万3000人をピークに人口減少が続き、少しずつ、中心部の空洞化が進んでいる。駅前の西武デパートは頑張っているものの、中心街の一角を占める地元資本の「木内デパート」は臨時休業している。張り紙には「当面の間」とあるけれど、商業地のリーダー的店舗の休業は、街の元気を削いでいるように見える。デパートという業態は、日本全国どの街でも、すでに役割を終えたのだろうか。ホテルの資本交代も目立つようだ。



駅前の文化施設「アトリオン」で、県展が開催されている。前回の訪問も同じ時期だったので、入場している。ところが以前ほど惹きつけられる作品に出会えない。出品作のレベルが低下したのではなく、私の老化による感受性の低減ゆえだと気付く。それでも1点だけ目に止まった油絵を写真に撮って帰り、題名を確認すると「マルメロ」とある。私のマルメロへの片想いは説明不能なのだが、秋田は長野とともにマルメロの産地である。(2021.6.26-27)

(加藤貞子「マルメロ2020」賛助出品)
























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