みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

楽団の解散の仕方にも?

2016-02-20 08:30:00 | 「不羈奔放な賢治」
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》  さて、一般には賢治は昭和2年2月1日付の『岩手日報』の新聞報道を受けて賢治はどうしたかというと、『新校本年譜』に  協会員伊藤克己によると、賢治は「其の晩新聞を見せて重い口調で誤解を招いては済まない」と言いオーケストラを一時解散し、集会も不定期になったという。誤解云々は思想問題を指すもので、社会主義教育を行っているという風評もあり…(略)…。       . . . 本文を読む
コメント

『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』出来・販売案内

2016-02-19 10:37:53 | 涙ヲ流サナカッタヒデリノトキ
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』が出来しました。  本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。  あるいは、次の方法でもご購入いただけます。  まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。       〒 . . . 本文を読む
コメント

チェロの購入にも

2016-02-19 08:30:00 | 「不羈奔放な賢治」
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》  例えば、『チェロと宮沢賢治』(横田庄一郎著、音楽之友社)の口絵に載っているからわかることだが、賢治のチェロには、その胴の中に    1926.K.M. というサインがある。「1926」とはもちろん1926年のことだろうし、「K.M.」とはKennji Miyazawa のK.M.であることは間違いなかろう。したがってこのチェロは1926年(大正15年)に . . . 本文を読む
コメント

白鳥省吾訪問ドタキャンにも?

2016-02-18 08:30:00 | 「不羈奔放な賢治」
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》  筑摩書房のいわゆる「旧校本年譜」でも『新校本年譜』でもその「大正15年7月25日」の中に、  賢治も承諾の返事を出していたが、この日断わりの使いを出す。使者は下根子桜の家に寝泊りしていた千葉恭で午後六時ごろ講演会会場の仏教会館で白鳥省吾にその旨を伝える。という記述がある。では、この出典は何か。それは千葉恭の次の追想「宮澤先生を追つて㈢」とい . . . 本文を読む
コメント (3)

本日の胡四王山(2/17)

2016-02-17 14:00:54 | 胡四王山とその周辺
《1 本日の胡四王山》(平成28年2月17日撮影)  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。 《鈴木 守著作案内》  『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』         『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』       『羅須地人協会の終焉-その真実-』  『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)               『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の . . . 本文を読む
コメント

高級蓄音機の購入からも

2016-02-17 08:30:00 | 「不羈奔放な賢治」
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》貧しかった食生活  下根子桜の宮澤家別宅の西隣は伊藤忠一の家だったが、そのさらに西隣は伊藤清の家だ。その伊藤清は「羅須地人協会時代」の賢治の食事に関して、   その夕食がまた極度に質素なものべ蕪などを土鍋でクツクツと煮て、その一品料理が夕飯のお采にされました。とか、   お采のない時はトマトで夕食を間に合わせ、               と追想していた。 . . . 本文を読む
コメント (4)

突然の花巻農学校の辞め方にも

2016-02-16 08:30:00 | 「不羈奔放な賢治」
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 今にして振り返って見れば、賢治の花巻農学校の辞め方にも「不羈奔放」だったことを彷彿とさせるものがある。 年度途中の辞職  萬田務氏は『孤高の詩人 宮沢賢治』の中で、  ところが一方、十二月二十三日(頃)になると、「ご親切まことに辱けないのですがいまはほかのことで頭がいっぱいですからしばらくゆるして下さいませんか。学校をやめて一月から東京へ出る筈だったので . . . 本文を読む
コメント

もしかすると「不羈奔放?」と思った最初

2016-02-15 08:30:00 | 「不羈奔放な賢治」
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 まず前もってお断りしておきたいことがある。私がこのシリーズで述べたいことは、     どうやら、少なくとも「羅須地人協会時代」の賢治は不羈奔放だった。 ということであり、何も賢治を不羈奔放だったからといって貶めようとしているわけでもなければ、その作品を貶そうとしているわけではないということである。あくまでも「賢治研究」のさらなる発展のためにである。  とい . . . 本文を読む
コメント

『「不羈奔放」だった地上の賢治』の目次

2016-02-14 11:30:00 | 「不羈奔放な賢治」
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》『「不羈奔放」だった地上の賢治』の目次 「不羈奔放」だったからこそ賢治 もしかすると「不羈奔放?」と思った最初 突然の花巻農学校の辞め方にも 高級蓄音機の購入からも 白鳥省吾訪問ドタキャンにも? チェロの購入にも 楽団の解散の仕方にも? 「三か月間」の滞京にも(前編) 「三か月間」の滞京にも(後編) 農繁期の上京にも 下根子桜からの撤退にも 「不羈奔放」な二 . . . 本文を読む
コメント

「不羈奔放」だったからこそ賢治

2016-02-14 08:30:00 | 「不羈奔放な賢治」
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 約足かけ10年ほどかけて、素人でしかも理系人間の私が、恩師のある言葉に背中を押さながら「羅須地人協会時代」の宮澤賢治のことを中心に調べてきて、やっとある結論に達した。それは、  宮澤賢治は不羈奔放だった。である。  かつて若かりし頃の私は、尊敬する人物はと問われた場合には間髪をいれず、   それは宮澤賢治です。なぜならば、破滅的で微分的な生き方をした啄木 . . . 本文を読む
コメント (4)

大迫にも春(内川目の小川、2/12)

2016-02-13 08:30:00 | 花巻周辺
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》  内川目のある小川、川面の〝スガッコ〟がとけ出していた。 《1 》(平成28年2月12日撮影) 《2 》(平成28年2月12日撮影) 《3 》(平成28年2月12日撮影) 《4 》(平成28年2月12日撮影) 《5 》(平成28年2月12日撮影) 《6 》(平成28年2月12日撮影)  そこからの 《7 早池峰山》(平成28年2月12日撮影) . . . 本文を読む
コメント

大迫にも春(野面の福寿草、2/12)

2016-02-12 14:00:00 | 花巻周辺
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》  大迫の野面にもう福寿草が咲いていた。 P1. 《1 》(平成28年2月12日撮影) 《2 》(平成28年2月12日撮影) 《3 》(平成28年2月12日撮影) 《4 》(平成28年2月12日撮影) P2. 《5 》(平成28年2月12日撮影) 《6 》(平成28年2月12日撮影) 《7 》(平成28年2月12日撮影) P3. 《8 》( . . . 本文を読む
コメント