みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

1204 田日土井(その1)

2009-10-27 08:00:34 | 花巻周辺
 以前、松田甚次郎が
 昭和二年三月盛岡高農を卒業して帰郷する喜びにひたつてゐる頃、毎日の新聞は、旱魃に苦悶する赤石村のことを書き立てゝいた。或る日私は友人と二人で、この村の子供達をなぐさめようと、南部せんべいを一杯買ひ込んで、この村を見舞つた。道々会ふ子供に与へていつた。
      <『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)より>
ということに触れたことがある。
 聞くところによれば『ヒデリにケガチ(飢饉)なし』という言い伝えがあるそうだが、この三月の旱魃苦悶とこの言い伝えとは矛盾するのではなかろうかとず~っと気になっている。私には、この言い伝えは旱魃の一面しか伝えていないのではなかろうかと思えるからである。

 一方、最近ある方から『賢治は農学校時代、田日土井(たにちどい)の水引きに行った際、そこに来ている農民たちと殆ど会話をしなかったという』ということを聞いた。そういえば、そこを訪ねたことはなかったなということで出掛けてみたので報告する。

 県道12号線、花巻南ICと花巻南高校の間に
《1 何かあり》(平成21年10月14日撮影)

近づいてみると
《2 石碑と石塔群がある》(平成21年10月14日撮影)

先ず、こちらは
《3 『渇水と座禅』の詩碑》(平成21年10月14日撮影)

であった。
《4 その案内板》(平成21年10月14日撮影)

には
 宮澤賢治が教師をしていた花巻農学校は、現在の花巻市文化会館の敷地にあり、校舎裏手の実習田へは、碑そばの大堰川の下流百メートルの「田日土井」から取水しました。
 大正十三年(一九二四)この地方は、記録的な「ヒデリ」となり、翌十四年も水不足で田植えが遅れ、二年連続の旱魃が懸念されたため、実習田担当の賢治は寄宿生を連れ、時には一人で、実習田から田日土井までの一キロの道を「夜水引き」に通いました。その心象スケッチが「渇水と座禅」です。
 作品の「公案」は、禅の修行者に悟りを開かせるためにすぐれた人の言動をしるして、手がかりを与えるための問題のことですが、田の畔に座り、まんじりともせずに水口を見守る人々の真摯な姿に、厳しい禅の修行を連想したのでしょうか。(以下略)

とあった。
 ということは、赤石村の旱魃被害を見舞ったのは昭和二年だから、その旱魃が実際あったのは前年の大正十五年のことになる。そのさらに前年の大正十四年に赤石村が旱魃だったか否かは今後調べてみたいが、少なくとも花巻地方は大正十四、十三年ともにかなり水不足だったことがこの案内板から窺える。
 ところで、この石碑の
《5 碑文》(平成21年10月14日撮影)

は「春と修羅第二集」(定稿)二五八の
      渇水と座禅      (一九二五、六、一二)
   にごって泡だつ苗代の水に
   一ぴきのぶりき色した鷺の影が
   ぼんやりとして移行しながら
   夜どほしの蛙の声のまゝ
   ねむくわびしい朝間になった
   さうして今日も雨はふらず
   みんなはあっちにもこっちにも
   植えたばかりの田のくろを
   じっとうごかず座ってゐて
   めいめい同じ公案を
   これで二昼夜商量する……
   栗の木の下の青いくらがり
   ころころ鳴らす樋の上に
   出羽三山の碑をしょって
   水下ひと目に見渡しながら
   遅れた稲の活着の日数
   分蘖の日数出穂の時期を
   二たび三たび計算すれば
   石はつめたく
   わづかな雲の縞が冴えて
   西の岩鐘一列くもる

であるというが、田圃の畔に座って少なくとも二昼夜は樋番している農民のしんどさはいかばかりだったであろうか。
 同様の賢治、この下書稿(一)『樋番』で
   溝うめ畦はなちを罪と数へる
   わたくしは古くからの日本の農民である

   <『校本 宮沢賢治全集 第三巻』(筑摩書房)より>
と詠ってはみたものの、もしかすると彼等と話を交わすことのなかった樋番・賢治にとっては、わびしい朝間を迎えざるを得なかったのかもしれない。

 いずれ言えることは、少なくともこの当時はヒデリだからといって『ヒデリにケガチなし』などと暢気?なことは言っていられなかったのではなかろうかということである。聞くところによると、この田日土井の辺りの田圃は水が抜けやすいところであったという。田植えが終わったばかりの田圃に農業用水を確保することはヒデリになった場合はなおさら最重要事であるはずだが、当時はこの詩に詠われているようなつらくてわびしい『座禅』をしながら慈雨を待つしかなかったのだろう。

 ところで、傍には
《6 石塔群》(平成21年10月14日撮影)

があり、その中にはこの詩に詠われているように出羽三山の碑がいくつかあった。

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