以前、”六原道場(その1)”で『六原道場』という図書の紹介をした。
そして、この本の中に六原道場(正式名:岩手県立六原青年道場)では賢治はどのように扱われたかを示唆する記事があるのではなかろうかと思って探っていたのだが、同時に、実際に六原道場跡地を見てみるべきだと思い至ったので訪ねてみた。
《1 かつての『六原青年道場』正門》(平成21年6月12日撮影)
<『六原道場』(伊藤金治郎著、共同公社出版部)より>
現在は
《2 『岩手県立農業大学校』正門》(平成21年6月12日撮影)
《3 桜並木》(平成21年6月12日撮影)
が続く。これが開花時なら次の如し。
《4 六原農場の桜花》(平成22年5月3日撮影)
《5 〃 》(平成22年5月3日撮影)
《6 〃 》(平成19年4月28日撮影)
そのまま進んでゆくと
《7 『岩手県立農業大学校』入口》(平成21年6月12日撮影)
に達する。
《8 大学校構内》(平成19年4月28日撮影)
《9 現在の構内配置》(平成21年6月12日撮影)
これと
《10 六原青年道場当時の配置》(平成21年6月12日撮影)
<『六原道場』(伊藤金治郎著、共同公社出版部)より>
を比べてみると、配置は似ているが、当時の面影を残す建物などはないようで、唯一見つかったのは
《11 講堂武道場跡》(平成21年6月12日撮影)
の石標だけ。
なお、次が
《12 六原青年道場当時の要図》(平成21年6月12日撮影)
<『六原道場』(伊藤金治郎著、共同公社出版部)より>
であり、千貫石溜池も含まれている。そして、夏油三山の駒ヶ岳の広大な裾野も含んでいることが判る。
実際、構内から眺めたみた
《13 駒ヶ岳》(平成21年6月12日撮影)
というわけで、あまり見るべきものはなかった。そこで、農業大学校の図書館に図書の閲覧をお願いした。現在は一般人でもそれが可能なのだそうだ。
すると、そこには『雄叫び』という小冊子があったのだが、それに関しては続きで。
続きの
”六原道場(その3)”へ移る。
前の
”六原道場(その1)”に戻る。
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そして、この本の中に六原道場(正式名:岩手県立六原青年道場)では賢治はどのように扱われたかを示唆する記事があるのではなかろうかと思って探っていたのだが、同時に、実際に六原道場跡地を見てみるべきだと思い至ったので訪ねてみた。
《1 かつての『六原青年道場』正門》(平成21年6月12日撮影)
<『六原道場』(伊藤金治郎著、共同公社出版部)より>
現在は
《2 『岩手県立農業大学校』正門》(平成21年6月12日撮影)
《3 桜並木》(平成21年6月12日撮影)
が続く。これが開花時なら次の如し。
《4 六原農場の桜花》(平成22年5月3日撮影)
《5 〃 》(平成22年5月3日撮影)
《6 〃 》(平成19年4月28日撮影)
そのまま進んでゆくと
《7 『岩手県立農業大学校』入口》(平成21年6月12日撮影)
に達する。
《8 大学校構内》(平成19年4月28日撮影)
《9 現在の構内配置》(平成21年6月12日撮影)
これと
《10 六原青年道場当時の配置》(平成21年6月12日撮影)
<『六原道場』(伊藤金治郎著、共同公社出版部)より>
を比べてみると、配置は似ているが、当時の面影を残す建物などはないようで、唯一見つかったのは
《11 講堂武道場跡》(平成21年6月12日撮影)
の石標だけ。
なお、次が
《12 六原青年道場当時の要図》(平成21年6月12日撮影)
<『六原道場』(伊藤金治郎著、共同公社出版部)より>
であり、千貫石溜池も含まれている。そして、夏油三山の駒ヶ岳の広大な裾野も含んでいることが判る。
実際、構内から眺めたみた
《13 駒ヶ岳》(平成21年6月12日撮影)
というわけで、あまり見るべきものはなかった。そこで、農業大学校の図書館に図書の閲覧をお願いした。現在は一般人でもそれが可能なのだそうだ。
すると、そこには『雄叫び』という小冊子があったのだが、それに関しては続きで。
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