久し振りに庚申塔の写真を投稿する。
旧花巻農学校跡地(ぎんどろ公園)近くにあった庚申塔群であり、今まで私はその存在を知らずにいたものである。
左端のそれは明和9年(1762年)建立のものだが、他の二つもかなり古そうだから、賢治もこれらの庚申塔は見ていたはずだ。ただし、「鍋倉の庚申塚」や「春日神社の庚申塔群」などとは違って賢治はここの庚申塔については詩には詠んでいないようだ。
《1 》(平成26年11月11日撮影)
《2 》(平成26年11月11日撮影)
「左ハきよみつ」と刻されているが、「きよみつ」とは実際の発音は「きよみづ」であり、「清水」のことのだろうから、地理的に考えればここはあの「清水観音」への「追分」だったのであろう。
《3 》(平成26年11月11日撮影)
《4 》(平成26年11月11日撮影)
続きの
”ちょっと変わった庚申塔(7/8、大森山の近く)”へ移る。
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旧花巻農学校跡地(ぎんどろ公園)近くにあった庚申塔群であり、今まで私はその存在を知らずにいたものである。
左端のそれは明和9年(1762年)建立のものだが、他の二つもかなり古そうだから、賢治もこれらの庚申塔は見ていたはずだ。ただし、「鍋倉の庚申塚」や「春日神社の庚申塔群」などとは違って賢治はここの庚申塔については詩には詠んでいないようだ。
《1 》(平成26年11月11日撮影)
《2 》(平成26年11月11日撮影)
「左ハきよみつ」と刻されているが、「きよみつ」とは実際の発音は「きよみづ」であり、「清水」のことのだろうから、地理的に考えればここはあの「清水観音」への「追分」だったのであろう。
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