道の両脇には想像していたよりも花の数も種類も多く、なかなか道がはかどらない。
《1 ラヌンクルス・アルペストゥリス》(平成21年7月5日撮影)
《2 ドロニクム・グランディフロルム》(平成21年7月5日撮影)
《3 アブラナ科の花、名前は?》(平成21年7月5日撮影)
《4 ラヌンクルス・モンタヌス》(平成21年7月5日撮影)
《5 ゲラニウム・シルバティクム》(平成21年7月5日撮影) . . . 本文を読む
《1 ハコベ》(2021年3月23日撮影)
《2 オオイヌノフグリ》(2021年3月23日撮影)
《3 ヒメオドリコソウ》(2021年3月23日撮影)
《4 ミチタネツケバナ》(2021年3月23日撮影)
《5 フクジュソウ》(2021年3月23日撮 . . . 本文を読む
《『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』の改訂版》
3 澤里のもう一つの証言
ところで、澤里武治の同じような証言が別にもう一つある。
それは『宮澤賢治物語(49)』であり、これについては本書の第一章で既に触れたものだが、それを再掲すると以下のようなものである。
宮澤賢治物語(49)
セロ(一)
どう考えても昭和二年の十一月ころのような気がしますが、宮沢賢 . . . 本文を読む
《1 》(2021年3月23日撮影)
《2 》(2021年3月23日撮影)
《3 》(2021年3月23日撮影)
《4 》(2021年3月23日撮影)
《5 》(2021年3月23日撮影)
《6 》(2021年3月23日撮影)
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【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)の中の「肥料展覧会と石灰工場の技師」には、例の、昭和6年2月25日付け関豊太郎博士宛書簡を引きながら、次のようなことも紹介されている。
就職の契約が決まった後、実際の仕事につく前に宮沢賢治は、仕事の内容や給料、さらに生産技術の疑問点などについて、関豊太郎博士宛に次のような問い . . . 本文を読む
《1 》(2021年3月23日撮影)
《2 》(2021年3月23日撮影)
《3 》(2021年3月23日撮影)
《4 》(2021年3月23日撮影)
《5 》(2021年3月23日撮影)
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グリンデルワルトの街並みやグロセシャイデック、そして
《1 ヴェッターホルン》(平成21年7月5日撮影)
などを眺めたり、足元の花々を堪能したりしながらしっかりした道を進む。
《2 ゲンティアナ・アカウリス》(平成21年7月5日撮影)
《3 ホモジネ・アルピナ》(平成21年7月5日撮影)
《4 ゲンティアナ・アカウリス》(平成21年7月5日撮影)
《5 グリンデルワルトの街、グロセシャイ . . . 本文を読む