常識について思うこと

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「進化論」の不自然

2006年09月04日 | 科学

キリスト教では、人間は神の創造物であるとされています。しかし、日本人の多くは無宗教であり、人間が神によって創られたというのは、あまり納得感がない説明です。そこで、多くの日本人が信じているとされているのは、ダーウィンの進化論であり、自然淘汰説です。

自然淘汰説とは、競争社会、弱肉強食の世界において、劣っているものは生き残ることができず、優れた特徴をもつものだけが生き残り、その遺伝子を子孫に伝えることに成功する。このときの優れた特徴が突然変異として生じたケースがあり、その無数の積み重ねによって、新しい種が生まれ、結果として人間が存在している、というものです。

日本人の多くは、これを信じているようですが、本当にそれだけでよいのでしょうか。

ちょっと頭の体操です。地球上のあらゆる生物と人間とを一列に並べて、少し考えていただきたいのです。人間は服を着ているため分かりにくいので、服を脱いだ状態で想像してください。

たとえば体毛。大体において、他の地球に住む陸上哺乳動物は体全体が毛で覆われています。一部、例外もありますが、それらの例外のほとんどは、人間の手によって毛のない動物にされてしまっているだけです。そう考えると、人間だけが非常に特異な特徴をもっているようには思われないでしょうか。これだけ肌がツルツルしている陸上哺乳動物・・・。少しでも、奇異な感じはないでしょうか。

ダーウィンの進化論によって、この体毛がないことをどのように説明するのでしょうか。「一時期、人間は水生(あるいは両生)動物であり、海辺を中心に生活をしていたことがあった。海水に浸かる生活を重ねていくうちに、体毛がなくなったのである」というのが、最もよくみかける学説ですが、過去において、そのまま水生生活を続けたという人類は確認されていないし、現在においても、水生人間は見つかっていません。ちょっと不思議な感じがしてもいいはずです。それでもあなたは、この学説をまともに信じるでしょうか。

人種というのも不思議なものです。ホモサピエンスという同一の種に属しながら、そのなかで、ぼんやりとした種類に分かれています。これもダーウィンの進化論的な見地からすれば、地理的、気候的な環境差異から生じたものであるという説明がなされていますが、それらがなぜ別種とならず、同一種に属しながら、人種というかたちで残ったのでしょうか。いや、これから別種になっていくのでしょうか。

同じようなものに、犬種があります。犬種はどのようにできたでしょう。よく知られているとおり、環境に適応したわけではなく、人間の品種改良によってできただけです。

以前、とあるテレビの紀行番組で、ドイツの田舎町に生息するウロコのない鯉が紹介されたことがありました。川からあげられた鯉には、たしかにウロコがありません。「なるほど、ウロコはもともと海水の塩分から身を守るためのものだから、川魚には必要ないんだな」と思ったら、大間違いです。その直後、インタビューに答えるその田舎町のおじさん曰く、「だってよぉ、鯉を食べるのに、ウロコがあったら食べにくいじゃねぇか。だから食べやすいようにウロコのない鯉を作ったのさ」だそうです。そんなものかと思ってしまいました。

たしかに品種など、そんなものです。犬はもちろんのこと猫、ニワトリ、ハト、コメ、豆、リンゴ、梨・・・それから鯉。みんな環境に適応しているわけではなく、意図的に操作されてできたわけで、そのことは誰もが知っていることなのです。人種だって、環境に適応したというよりも、誰かによって手が加えられたと考えたほうが、より自然かもしれません。「それでは、誰が?」という疑問は、ひとつの謎として、残しておけばいいでしょう。

眉毛も不思議です。自然淘汰説で説明したとして、なぜ眉毛が残ったのでしょうか。頭が濡れたときに、ツツーっと、水が垂れてくるのを眉毛で吸収してくれるから、水が目に入らなくて便利。たしかに便利です。しかし、便利なだけで、これがなかったら生き残れなかったのでしょうか。「いや、雨の日に狩りをするときには、眉毛のあるなしで生死が分かれたんだ」とでも言うのでしょうか。そうやって、無理やり「ダーウィンの進化論」擁護者になって、どうしようというのでしょう。また、たとえそうだとして、突然変異で、きれいに両眉毛ができたっていうのも、不思議なことではないでしょうか。

この域になると、「私は、突然変異でもきれいに眉毛ができることもあると思う」と言い張るかどうかの違いになってくるでしょう。それは、素直に疑問に思うかどうかの違いでもあります。

重要なことは、不自然なこと、不思議なこと、違和感があることについては、素直に「おかしい」と認めることだと思います。なぜ体毛がないのか、人種が存在するのか、眉毛があるのか・・・。なんとなく「いいんじゃないの?」と済ませてしまうのは、思考停止の始まりです。

人類の起源について、アメリカではID論(Intelligent Design:知的設計)というのが注目を集めています。人間は、神によって創られたかどうかは別にして、少なくとも知的設計がなされて、創られたようだという考え方です。

別に宗教を信じる必要もなければ、キリスト教の言うような神の存在を信じる必要もありません。また、ID論を鵜呑みにせよと言っているわけでもありません。ただし、先入観や固定観念に縛られず、素直に考えることが重要です。疑問に思ったことを無理やり「ダーウィンの進化論」で片付けようとせず、新しい考え方のほうが納得いくようであれば、それはそれとして受け入れていくことが大切ではないかと思います。

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