常識について思うこと

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妄想と現実の狭間

2008年11月12日 | 科学

アニメの世界から何を読み取るかは、その人の感性によるということに異論の余地はないと思います。要は、その人次第ということです(「アニメ楽しんでる?」参照)。「他愛もない馬鹿げた妄想」、「くだらない幻想の世界」と切り捨てるのも結構でしょう。ただ、せっかくのストーリーを単なる「妄想」と切り捨てるのは、もったいないような気がします。

現在、私が毎週視聴している「カオスヘッド」という作品は、そうした「妄想」をテーマにしており、主人公の拓巳は自らの「妄想」と現実世界とが混同してしまい、常に混乱した状態のなかで生きています。通常、あり得ない「妄想」が現実になっていたり、それがまた元に戻ったりということは、この世界ではなかなかあり得ません。しかし、それを単にあり得ないことと切り捨てるのも、少々危険ではないかと思うのです。

既に、本ブログのなかで、何度も述べている通り、この3次元世界だけが、唯一絶対の世界であると考える必要はないと思います。これは単なる「妄想」ではなく、証明されているかは別にして、既に科学の分野でも論じられていることであり、これを切り捨てることはできないでしょう(これを否定しきる科学者がいるとしたら、そもそも科学が未知を探求する道であること、科学がその連続で成り立ってきたという歴史を忘れた三流科学者ということになるかもしれません)。つまり、別の3次元世界が無数に存在しており、そこには同じように、私やあなたが存在しているかもしれないということです(「アイディアの重要性」参照)。

こう考えたときのひとつの可能性ですが、私たちが認識している、この3次元世界において、「妄想」が単なる「妄想」たり得るのは、4次元など高次元世界からの干渉が、たまたま一般的に認められるほど、頻繁に起こっていないからだと考えられます。つまり、この3次元世界は、ほぼ閉じられたまま、非常にきれいな状態で存在しており、そのなかで起こっているほとんどの現象について、3次元の法則だけで説明できるような状態にあるということです。

しかし、この3次元世界がほぼ閉じられていて、きれいな状態にあるからといって、他に存在するであろう大多数の3次元世界も、全く同じであるとは言い切れないはずです。

ひとつ次元を下げてイメージしてみます。

私たちが認知している3次元世界から見て、2次元世界は無数に存在します。画用紙を一枚持ってくれば、そこにひとつの2次元世界が存在すると言えるわけです。これが曲げられたり、折られたり、他の画用紙と重ねられたり(他の画用紙と重ねることで、他の2次元世界からの干渉や統合と解釈し得るため)されないまま、きれいな状態できちんと保管されていれば、それはずっと「きれいな2次元世界」として存在し続けることができ、またその世界における事象は、すべて2次元の法則のみで説明できるということになります。

しかし実際には、そういう「きれいな画用紙(きれいな2次元世界)」ばかりではありません。折られる、曲げられる、他の画用紙と重なり合うなどはもちろんのこと、破られたり、燃やされたりという3次元的な処理(3次元世界での処理)を通じて、画用紙(2次元世界)はさまざまなかたちに化けるのです。これらは「きれいな画用紙」、「きれいな2次元世界」からすると、ほとんど経験したこともない、理解をはるかに超えた現象です。けれども、他の大多数の画用紙(2次元世界)からすると、そうした3次元的な処理は、常に当たり前のように認められる現象である可能性があるのです。

これを、元の次元に戻して整理します。

私たちが認知している3次元世界では、ほとんど4次元的な不思議な現象が起こっていないと言えます。多少、テレパシーとか超能力、心霊現象、ポルターガイスト現象といった、オカルトがかった話もありますが、それらは一般的に認められているとは言えず、聞いたことがある「不思議な現象」といったところでしょう。これを4次元的現象と呼ぶならば、そうした4次元的現象は、私たちが認知している3次元世界では、ほとんど起こっておらず、私たちの世界は、いわば「きれいな3次元世界」であると言えるということです(ただしこのことは、この3次元世界が、完全に閉じた「きれいな3次元世界」であるということを意味するものではありません。実際には、この3次元世界と他の3次元世界は、ブラックホールのようなトンネルを通じて、繋がっていると考える必要があり、完璧なる「きれいな3次元世界」ではないと思います。詳細については、「宇宙が膨張を続けるカラクリ」を参照)。

しかし、他にも無数の3次元世界が存在するという場合、私たちが考えているように「きれいな3次元世界」の状態を保っているのは、むしろ極めて少数で、他の大多数の3次元世界においては、4次元的現象が頻発しているといことも、十分に考えられるということです。つまり、私たちの世界の外には、「不思議な現象」に満ち満ちた別の3次元世界が、無数に存在し得るということなのです。

こうした世界が存在すると仮定した場合、それは「妄想」と現実が混同してしまうような世界かもしれません。「妄想」のはずだったものが現実となり、現実と思っていたものが「妄想」として処理される、まさにカオスのような世界です。

冒頭のアニメ「カオスヘッド」という作品は、そうした世界を描いており、これは私たちが認知している3次元世界の外側にある、別の3次元世界の姿、あるいはその可能性を示唆するものとして、非常に興味深いと思うのです。そしてまた、このことは、4次元世界における精神世界と物質世界の関係という観点からも、非常に大きなヒントを与えてくれているように思います。

それはさておき、他の3次元世界がどうであれ、私たちが認知している世界においては、やはり「妄想」は、所詮「妄想」でしかないと言うこともできると思います。「妄想」と現実が混同してしまい、例えば、現実が「妄想」化するということはありません。ただし、「妄想」が、現実と結びつくという現象を否定することもできないでしょう。そして、そのときの「妄想」という概念は、「夢」、「ビジョン」、「希望」という言葉に置き換えて、表現できるのではないかと思うのです。

「妄想」、大いに結構なことだと思います。健全なる「妄想」は、この世界を前に進めていく原動力になるはずです。

《おまけ》
「カオスヘッド」というアニメは、まだ5話程度しか進んでいないのですが、その短いなかでも、なかなか興味深い台詞が並んだりします。以下がその例です。本当は注釈を加えながら説明したいのですが、分量の問題もあるため、ひとまず引用だけに留めておきます。世界の本質を見極めるうえで、参考になる言葉がいくつも秘められているように思います。

■セナの台詞
完璧な世界があると思うか?あるはずはない。エラーはたしかに存在する。すべてのものは、人も含めて電気仕掛けだからな。何を見ているかじゃない。何を見せられているかだ。人は体の外からの情報を五感によって得ているが、その受け取る情報の80%は視覚から入ってくるんだ。そして視覚から得られた情報は、パルス信号となって視神経を通って、脳に送られる。(中略)そして、ある意図的な情報を神経パルスへコンバートすることが可能なら、人の五感すべて、さらに人の意思そのものをコントロールできるんじゃないか?さっき言ったように、人は電気仕掛けだ。脳だけじゃなく、全身の神経にも電気が通っている。つまり肉体的な動きまで操れるということになるんだ。理論的にはな。(中略)この世の中は、腐った連中ばかりだ。倫理を無視して、自分の利益のためだけに、他者を平気で犠牲にするような連中がいる。もはや涙も出ない。無知は罪だ。知らない方が幸せなこともあるという人間もいるが、そんなものは、ただの甘えだ。世界を疑え。仕組みを知れ。この世界は完璧じゃない。

■あやせの台詞
それなら、それはきっと導きなのよ。大いなる存在によるね。(中略)君が見たものが事実だったか、幻だったかは些細な事。君が抱いている苦しみや怒りは、必要なものだったということよ。だから早く見つけて。剣を見つけて。(中略)この剣は命運を握るもの。この剣は嘆きを収束させたもの。この剣は超越した場所に干渉するためのもの。(中略)異空間のようなもの。同一次元上にあるもうひとつの可能性。あるいは妄想。(中略)言い方にあまり意味はないわ。唯一確かなのは、この剣もその領域に存在しているということ。(中略)見つけなくちゃいけない、自分自身で。方法なんて、私たちにも分からないのよ。ただ、ディソードは力を持つ者にしか映らない。君には、私の剣が見えているでしょう?それが意味するのは一つだけ。感じて。世界の選択した意思を。

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