常識について思うこと

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法則の価値と限界

2009年12月14日 | 科学

-心清らかに善行を積めば天国に行ける-

例えば、これが本当だとして、これを教室で教えたとします。実際、事実として「心清らかに善行を積んだ人」ばかりが天国に行ったことが証明できていれば、それは学問としても有効であり、教室で教えるだけの価値もあろうかと思います。

この場合、「心清らかに善行を積む=天国に行ける」という一つの法則が生まれるわけです。

ところで、これを教室で習った生徒が、この法則を利用して天国へ行こうとすると、少々、厄介な問題が起きることになります。つまり、その法則はけっして間違っていないながらも、天国に行こうという動機によって為される善行が、必ずしも「心清らか」とは言えず、結果として、いくら頑張っても天国には行けないということになってしまう可能性があるからです。

これは、結果論としての法則に囚われてしまうことで起きる問題です。結果論として、「心清らかに善行を積めば天国に行ける」が真であり、それは法則としても、きちんと認められたとしても、そればかりに囚われてしまうと、逆に期待している結果が得られないということです。ここで大切なことは、そもそも「心清らかに善行を積めば天国に行ける」という法則すら、気にしない生き方をすることが、結果として「天国に行く」ことに繋がるという点です。

つまり、逆説的になってしまいますが、法則を認めつつ、その法則に縛られないことこそが、その法則を真にするということです。これは、けっして法則の否定ではなく、その限界を知るということでもあります。私は、学問の分野においても、こうしたことが多々あるのではないかと思っています。特にそれは、未知の世界を扱う科学分野の最先端において、数多く起こり得るのではないかと思えてなりません。

今日の科学は、様々な法則によって、いろいろな事象を説明できるとされています。そして実際、私たちは、その恩恵に与って、今の生活を送ることができているわけです。それは、物理学や化学といった自然科学のみならず、政治学や経済学といった社会科学にも通じて言えることでしょう。そして、それら科学の法則には、必ず限界があるのです。大切なことは、そうした法則の価値を認めつつ、その限界を知り、それに縛られることなく、未来を切り拓いていくことだと思うのです。同時に、結果論としての科学法則のみを振りかざして、知ったようなつもりになっている方々は、くれぐれもご用心された方がよいでしょう。

そんな法則と、どのように向き合うかのは、あくまでも各個人に委ねられていることです。

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