常識について思うこと

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スーパーポジティブの残酷性

2008年06月10日 | 人生

「過ぎてしまったことは仕方ない。前向きに生きていこう」

とてもいい言葉です。このようにポジティブ思考で生きている人は、強くたくましいですし、未来を切り拓いていく力に満ち溢れています。しかし、このことはとても残酷なことでもあります。

自分が傷ついたとき、不利益を被ったとき、自分にとって不都合な事象が起こったときにポジティブ思考でいることは、当たり前のことでもあります。それらをポジティブに捉えることは、人間が生きていくうえで、当然のことであると言えるかもしれません。

しかし、問題はもっと深刻なことに対しても、ポジティブ思考でいられるかということです。例えば「死」に対して、どう考えるかということです。家族や友人が亡くなったとき、災害や戦争で多くの人々が亡くなったとき、「過ぎてしまったことは仕方ない」と考えて、それをポジティブに捉えることは、スーパーポジティブ思考の人です。少々、例が大げさすぎるかもしれませんが、現実問題として「死」は、日常のなかに当たり前のように転がっています。テレビをつければ、日々届けられるニュースのなかに、多くの人々の悲報が溢れています。これらの事象についても、「過ぎてしまったことは仕方ない」と言い切ることは、とても残酷なことではないかと思うのです。けれども、スーパーポジティブ思考の人は、きっとそう考えるでしょう。そして、それを第三者が見たとき、そのスーパーポジティブ思考の人は、「とても残酷な人間」に映るだろうと思います。

スーパーポジティブ思考を持つ人は人生の達人でもあります。気持ちの切り替えが極めて早く、いかなるネガティブな事象も瞬間的にポジティブに転換して考え、行動する人です(「達人が見せる早業」参照)。

そういう意味で、スーパーポジティブ思考の人は、どんなに絶望的な状況でも、必ず未来を切り拓く神のような存在であり、同時に悪魔のように冷徹な人に見えると思うのです(「神と悪魔は紙一重」参照)。

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