常識について思うこと

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ルキフェルの可愛い反発

2009年08月20日 | 歌詞&台詞

最近、人相というものが、少し分かるような気がしています。その人の顔を見ると、どんな人生を送ってきた人なのか、どんなスケールで生きてきた人なのかが、何となく分かるような気がするのです。「男は40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持て」という言葉がありますが、それはそういうことなのでしょう。

ところで、人相(顔)というのは、あくまでも身体の一部です。それが、その人の人生によって決められるということは、身体がその人の生き方によって形作られるという意味でもあり、非常に興味深いことだと思います。生き方というのは、その人の心、精神、魂といった目に見えないものによって決められるものです。そうした目に見えないものが、身体を形作るうえで大きく作用するというのは、極めて興味深い話ですし、また間違いないようにも思います(「世界と生命の源」参照)。

様々な意見があるでしょうが、目に見えないものが、目に見えるものの上位の世界として存在するという仮説は、否定しようにも否定しきれないと考えます(「確からしい四次元の存在」参照)。そもそも、世界が三次元よりも、さらに高い次元に広がっているということは、既に科学の世界でもずいぶんと言われていることでもあります。

ところで、常日頃から、こんなことを思うなか、「ティアーズ・トゥ・ティアラ」を見ていたら、精霊・ミルディンが息子のルキフェルに語りかけるこんな台詞がありました。

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精霊は意思のあり方で自らを形作るのだ。
心のあり様が、その姿かたちとなる。
私は長い間、自らを欺き、意に沿わぬことを続けていた。
だから、ここまで衰えたのだよ。
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まさに、こういうことだと思うのです。そして、これが真理の一側面だとしたら、人相を通じてその人の内面を見抜くことは、できて当たり前ということになるでしょう。

ところで、ここでさらに面白いのは、ルキフェルがミルディンの言葉の意味を、きちんと理解できず、反発してしまっていることです。このルキフェルというのは、きっと悪魔・ルシファーのことでしょう。悪魔の性質にはいろいろとありますが、そのうちの一つに唯物論的な思想、三次元的な世界観に囚われた人間を誘惑し、破滅させるというものがあると思います。よく物語に出てくるような、「悪魔との契約」の類は、概してそういうものです(「道具の目的化の危険性」参照)。

そうした意味で、「心のあり様が、その姿かたちとなる(高次元世界が、三次元世界を形作る)」というミルディンの言葉に対して、ルキフェルが理解できず反発するというのは、唯物論的な世界観に凝り固まった悪魔らしくて、なかなか面白い(可愛らしい?)と思うのです。

そんなわけで、アニメの世界は、相変わらず深いテーマを取り扱ってくれているものだと、つくづく感心していたのでした。

《おまけ》
イエス・キリストという存在について、神が受肉したものという考え方を否定するつもりはありません。私自身が考える「自分教」の精神(「「自分教」の薦め」参照)からすれば、イエスという存在もまた神の分身、化身であると言えなくもないでしょう。しかし、何よりも大切なのは、その上にある次元の存在です。その精神のあり方について、「キリスト教」という名を冠することで、イエス自身に焦点が当たりすぎてしまうと、唯物論的な世界観に囚われることとなり、結果として、彼らが忌み嫌う悪魔・ルシファーと同質化してしまう恐れがあるように思うのです。精神世界と物質世界はどちらも非常に大切であり、二者択一的な論法で整理することはできません。しかしそれでも、時間の流れのなかで、その関係性に常に注意を払い、本質を見極めようとすることは、非常に重要であると考えます(「常に変化する主従関係」参照)。

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