私たちは、目の前にある物理的な事象について、「確からしい」と思われる法則を生み出し、それによってそれらの事象を説明し、理解しようとしています。「厳密に言うと、飛行機が何故飛ぶかは、よく分かっていない」ということが言われたりもしますが、科学の世界は突き詰めていくと、訳が分からないことだらけになってしまうのです。ただ少なくとも「正しいと思われる理論(つまりは仮説)」に基づいて、目の前で飛行機が飛んでいれば、ひとまずその理論(仮説)は「(極めて)確からしい」ということになり、一般的な常識として定着するわけです。私たちは、こうした「確からしい」ことの積み重ねによって、科学や常識を作り上げてきました。
一方で、最近の科学では、私たちが認知している物質世界である三次元よりも、高い次元が存在するという可能性について指摘されるようになりました。つまりこの世界には、三次元だけでなく「四次元世界が存在する」という仮説を立てることができるわけです。ただし、これは現時点において「確からしい仮説」ではありません。したがって、現在では常識として、とても定着しているものではありませんし、一般的な感覚としても理解を超えた仮説になっていると思います。しかし私は、一般的な感覚として、それほど無謀で、デタラメな仮説でもないように思います。
四次元世界が存在するということについて、もう少し分かりやすいレベルで説明しようという意味で、いわゆる「超常現象」をもって、証明しようとする試みがなされたりします。つまり超能力や心霊現象等、現代科学では説明できない事象から、世界は目に見える物質世界・三次元だけでないだろうという結論を導こうとするものです。これはこれで、ひとつの説明方法だと思いますが、あまり私たちの日常生活に結びついているものではありません。したがって、一般的な感覚としてなかなか理解されず、こうしたアプローチによる広い支持は得られないのだろうと思います。
ところで私は、この物質世界は三次元の法則だけでは、動いていないということは確かだろうと思います。世界に四次元が存在するとするならば、その四次元世界は三次元世界に何らかの作用を及ぼすでしょう。そうした、四次元から三次元への作用を説明することで、四次元世界の存在は、より一般的な感覚として認知できるようになるのだと思うのです。少々、分かり難いでしょうから、簡単な例を挙げたいと思います。
「たった今、一番近くにいる人を何も言わずに殴ってください」
これは物理的に可能なことだと思います。あなたがどこに、どういう状態でいるかは分かりませんが100%可能なはずです。たとえ今、周りに人が見当たらなくても、適当に歩き回って人を見つけて、有無を言わさず、いきなり殴ればいいだけのことです。三次元の物理的な法則だけを考えれば、まったく不可能である理由は存在しません。
しかし、あなたにはそれができないでしょう。それは、あなたに心があるからです。心は目に見えません。三次元の物質世界において、可視化させることができない心は、高次元の存在(ひとまず、ここでは「四次元の存在」としておきます)であると言えます。そして、その心があることによって、三次元の物質世界において、「いきなり人を殴る」という行動を制しているのであれば、四次元からの作用によって、三次元世界が影響を受けていると言えるわけです。それは「その人が可哀相だから」というような、いわゆる良心だけに限りません。「面倒くさい」、「バカバカしい」と思うことも含めて、全てが心の作用であり、「あなたが人を殴らない」という三次元の状態は、目には見えない四次元世界の結果が三次元世界に「表面化したかたち」と考えることができるのです。物質世界のなかの私たちの日常は、こうしたことの連続で成り立っています。単純に物理法則のみで考えれば、可能であることでも、四次元の存在である心の作用が働くことで、それらが不可能になるということは、多くの人々の日常生活のなかに、ありふれた経験としてあるはずです。
こうした四次元による三次元への影響は、けっして無視することができません。この物質世界は生命に満ち溢れています。それら生命の一つ一つには、必ず心が存在します。その無数の生命の営みによって、この物質世界が動いている以上、物質世界である三次元世界は四次元世界の影響を大きく受けていると言えるわけです。
三次元世界の事象を三次元の法則によってのみ解明しようとするところに、現代科学の限界があります。また三次元世界との整合性を十分にとらないまま、四次元世界に傾倒してしまうところに、これまでの宗教の限界があります。これからの時代で大切なことは、四次元からの三次元への作用、また逆に三次元から四次元への作用があるということを認め、それらをきちんと融合させていくことなのだと思います。
そうですね。
その無限の広がりを考えていくことは、とても楽しいことだとも思います。