満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

THE SHINS 『wincing the night away』

2007-11-22 | 新規投稿
      
「ロックアルバムベスト100」(レコードコレクターズ版)という本で批評家選出第1位はビーチボーイズの『ペットサウンズ』であった。ディラン、ビートルズを差し置いての一位。100年経とうが色あせない内容を持つ誰もが認める名盤。確かに最高だ。だが、「しかし」と敢えて言わしてもらおう。
ツアースケジュールに嫌気がさしたブライアンウィルソンがバンドから離れ、スタジオに籠もり、スタジオミュージシャンを起用して制作した『ペットサウンズ』。実質はブライアンのソロ作品だ。当時、内向的に苦悩した彼の精神性を反映した究極的な美メロが溢れ、混じり合う。異なるメロディが重層に連なり、複合的相乗効果を生む。摩訶不思議な音響世界の中にメインテーマが屹立する。楽曲が生むイメージが音だけで詩世界を創造するような感覚。メロディの大海の中を遊泳するような音楽。それが『ペットサウンズ』であった。だが、実はリズムがない。ビート感は希薄なのだ。底なし沼的なメロディの豊饒さが表面的なビートの平坦さを相殺し、内側にリズムを含むメロディ楽曲になっている。そんな見方もできるが、少し無理がある。結局、以前の「I get around」のようなビーチボーイズ特有のポジティブビートは『ペットサウンズ』の中には一曲たりとも存在しない。ソロである事の限界は明白だ。だから私はこの作品をビーチボーイズのアッパービートが抜け落ちた私的作品であると思っている。リズムが欠如したこの作品。「ロックアルバムベスト100」で批評家選出第1位は大いに疑問。一般人選出の6位こそ、客観的な見方だと思う。
批評家はみんな、そのメロディが<至上>過ぎるせいで、リズムの存在を忘れてしまったのか。リズムこそがロックの要素であり、その重要さはメロディと五分に拮抗する事はあっても、メロが勝る事はない。際どいがポップとロックの分かれ目は正にリズムの有無にあったのではないのか。

ただ、音楽シーン全体を見れば、イマイチなメロディにそこそこのビートが乗った、中途半端なメロディアスロックが多いのは事実。ブライアンウィルソンのように感性と想像力を一滴残らず絞りきって生み出されたような、普遍的メロディは今、どこにもない。

the shinsのアルバムはビルボード2位という快挙らしい。
音楽雑誌で見たバンドメンバーの写真は割と老け顔で、中年太りもいた。それが、こんなストレートな青春ロックをやる。てらいもなく。だから駄目というのではないが、ハードロックやパンクと等しく、美メロ、美声ロックも今や一つの様式と化したのだなと感じる。いや、その美メロ自体に際立つものがあれば、こんな醒めた感想はないだろう。つまりthe shinsの美メロはイマイチなのだ。<歌と伴奏>然とした分離状態が最もロック色を希薄にする要素なのだが、残念ながらこのthe shinsにもそれが当てはまる。色んな評を読むと絶賛の嵐で私の方がちょっとおかしいのかと思ってしまうが。年寄りは退場すべきなのか。しかしブライアンウィルソンが頻繁に引き合いに出されているのには、明確に異議を唱えたい。次元が違いすぎる。せいぜいが毒を抜いたスミスだ。

2007.11.21
 
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ONJO  『LIVE Vol.1 series circuit』

2007-11-20 | 新規投稿
    
「グランド-ゼロをはじめた時に、はっきりとアンチ高柳的なものが心のどこかにあったのは、そこから一刻もはやく距離を取りたいという焦りにも似た心情だったと思う。」

自らが記したライナーで大友良英は嘗て師事した高柳昌行への愛憎を通過し、その音楽を客観視できる状態に至った時点で‘ニュージャズ’への取り組みを始めた事を明かしている。ただ私個人的にはグランド-ゼロがその後期にアルタードステイツの三人を丸ごと抱え込んだ時、極めて‘ニュージャズ’的なコンセプトを感じた事があった。それはもう10年くらい前の事であるが。

大友良英言う‘ニュージャズ’とは60~70年代の日本フリージャズの事と理解されよう。層が厚く豊かなそのシーンは豊饒な音楽記録を数多、残しており、個人的にも興味が尽きる事はない。音源を追体験する限りにおいて、その音楽背景を想像、概観するとそこで計られたのは、実験音楽だったような気もする。欧米のフリージャズとは違うコンセプト、演奏気質が日本のアーティストに見られる。日本独自の産みの苦しみと言おうか、何かしらのカウンター的位置付けを簡単には見出せないまま、その表現根拠を探るたたかいがあったのではないか。従って音は一旦、閉鎖的に内向してから、爆発性を伴って表へ現れ出る。その意味ではヨーロッパフリーに近いとも言えるが、近代以降のヨーロッパ音楽の<継承と破壊>をブラックミュージック越えのアイデンティティーとしたヨーロッパフリーのような明確な足元が日本にない事を思えば、やはり‘ニュージャズ’とは独自の音楽言語を獲得する為の実験であったと見てよいだろう。
音楽の様式はアンチグルーブなものが多いと感じられるのは確か。しかし演奏の強度や楽曲追求、その爆発性が内面の深化を伴って表出する時、欧米にはない独特の響き、感動の話法があり、感性が開拓される実感がある。阿部薫以上の悲痛な野太さを持つアルト奏者など海外にはいないだろうし、高柳のまるで内面性を消去させるほどの強さで楽理探求とその実現へ向かった者もそうはいまい。
黒人フリージャズの身体性や感情もヨーロッパフリーの理論性からも同時に影響を受けざるを得ず、しかるに脱出が容易でなかった状況に於ける日本フリージャズは独特の<空>や<無>こそを演奏の拠点とした。(近藤等則の突き抜け具合を想起されたし)日本の伝統音楽に対してもそれはミニマムなエッセンスという処理法に留められる。

‘ニュージャズ’とはフリージャズではなく、嘗ての日本人アーティストの<世界最新>という意識の顕れだった。その精神を受け継ぐのが大友良英だろう。
ONJQ(大友良英ニュージャズクインテット)から発展したONJO(大友良英ニュージャズオーケストラ)
アンチグルーブな中にキラリと光る歌心が嬉しい最高のバンドである。
嘗てグランド-ゼロがアルタードステイツの三人を丸ごと抱え込んだ時、元よりある実験と爆裂音響にしなやかなグルーブがプラスされ、最良のジャズ色を感じた事が思い起こされる。あれがスタート地点だったのではないか。ONJOの良さは濃厚なジャズだ。嘗ての‘ニュージャズ’と等しく、新たな感性の領域を拡げられる大きな音楽だ。大友自身が嘗て反発した高柳昌行レベルの巨大な存在になってゆく未来が見える。



2007.11.20
 
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       雪村いづみ  『super generation』

2007-11-20 | 新規投稿
 
細野晴臣のアイデアだろうか、変拍子の「銀座カンカン娘」。
ヘンではあるが、黄金の原曲が、いかようなアレンジをも許容する。すごくいい。

服部良一。1907年(明治40年)生まれの大作曲家。
作曲活動開始は1935年だという。戦争と貧困の時代。2.26事件前夜だ。しかし暗い世相という一面の裏に庶民感覚としての歌の渇望や踊り出したい本性、そんなロックンロール的陶酔への抑えられない欲望は日本を覆っていただろう。終戦の1945年とは、開放元年だったか。「東京ブギウギ」を笠置シズ子が歌ったのは1947年。終戦から僅か2年後だ。しかし私はこれを開放感によるものではないと推測する。このロックンロール感覚は戦中から地続きの日本人の感性そのものだった筈だ。

服部作品の底辺に流れるリズムのグルーブ感覚は何なのか。戦後、ラテンやジャズ、ロック、マンボ、ルンバ等、外来のリズム様式が、どっと入り込んだ状況は理解する。しかし、そんな影響が服部楽曲にあるメロディの洗練度、ポストモダン性、ビートのカッコ良さの要素になっているのか。違うと思う。「東京ブギウギ」や「ヘイヘイブギー」、「銀座カンカン娘」のスウィンギーなリズム感覚はロックンロールよりアフターなビートでタメがある。強いて言えば16系だが、やっぱり日本の祭りのリズムが最も近い。テンポが速くなった祭りのリズムだろう。

そして「昔のあなた」、「胸の振子」、「一杯のコーヒーから」、「蘇州夜曲」、「東京の屋根の下」。これらの曲には崇高な日本のバラッドの原型、その精神が見える。それはいわば唱歌の精神だと思われる。バラッドという形式が個人的愛を超える大きな価値に昇華された歌。愛の普遍的価値などとクサイ事は言うまい。ただ、多くの歌において<LOVE>が恋愛的私小説を指すのは欧米の恋愛感覚や個人主義、センチメンタリズムによるものだったのではないか。日本唱歌を聴くとそんな感慨に捕らわれる事が確かにある。洋楽の詩世界は日本歌謡を弱体化させたとは暴論か。
服部作品にある濃厚な肯定性や和の感覚。バラッドさえも何かしら大きな物語に飛躍しそうな世界。メロディが感情過多にならず一種のクールネスとの間に均衡を保つ。ベタつかない。だから未来まで持って行けるような楽曲になっているように感じる。
服部楽曲の肯定的感覚は日本的叙情を内に含む構築感を持つ。いわば悲哀を理解した明るさ。だから歌にスケールの大きさがあり、誰もが歌いたい歌になる。

雪村いづみのデビュー20周年記念として1974年にリリースされた服部良一作品集。声の多彩さはこの時代の天才歌手に共通する資質か。バックはキャラメルママ(細野、松任谷、鈴木、林)。シティポップ風の軽いアレンジではなく、グルーブ溢れる重い演奏である事が服部作品に適うサウンドトラックと言えるだろう。CDの解説によると細野晴臣は「必死だった」と述懐しているという。それは充分、感じられる。「東京ブギウギ」のぶっとんだ演奏は日本の大衆歌謡の未来的認知をも視野に入れた彼等の30年以上も前の挑戦だったのだろう。

2007.11.19









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BERNIE WORRELL 『improvisczario』

2007-11-16 | 新規投稿
   
ウィルカルホーン(Will Calhoun;Dsリビングカラー)という名前に一抹の不安はあったのだが。また、これも好きじゃないバンド、フィッシュのメンバーが参加しているのは一曲だけという事で少し安心したのも間違いであった。これは買って失敗。バーニーウォーレルだからってみんないいわけではない。

妙に乾いた音が意外。リズムに粘りがない。あの独特のドクドクしたビート。後ろへ引きずりながら、タメを効かして、前ノリに導くウォーレルの得意技が今回の<即興>というコンセプトで相殺された。もっとリズムが躍り上がるような空間が用意されていれば。以前、ビルラズウェルはそれをやったのだが。
カルホーンのヘヴィワンパターンなビートにウォーレルがイマジネーションに任せてインプロヴァイズする。しかしこの単線ビートではいかにウォーレルでも表現の幅が拡がらない。結構、抑えた演奏に終始する。音の間があるのは新鮮だが、肝心のエロスが不足。それこそが彼の持ち味なのに。もっとポリリズムなドラムの方が即興には向いていただろう。いっその事、ノンビートの鍵盤オーケストレーションによる即興演奏の方が面白かったんじゃないか。その方がリズムをより感じさせる音楽になったような気がする。勝手な事ばかり言ってるが。

バーニーウォーレル。ファンクキーボードの創始者であり、ジャンルを超越したリズムマイスター。そんなプロフィールでいいのだろう。正しく偉大なミュージシャンだ。フレーズではなく、音の選択、創出において、<ビート感>を創造し、人々に新たなリズム言語、その楽しみ方を示唆した男。P-FUNKにおける彼の偉業は新しいビート快楽の発見だっただろう。例えばビヨーーンと鳴るエロっぽいモジュラー音でもそれが紛れもないファンクビートである事を認識させた、その発想の奇想たるや。内側のリズムの強大さの成せる業であろう事は想像に難くない。

楽器を演奏する身体部分よりもっと以前の段階で既にリズムが鳴っている。ウォーレルにあっては手や指は演奏の単なる<中間地点>であり伝達手段だろう。彼のビッグビートは部分身体ではなく、全生命体で刻むビート。頭が司る発想、身体機能、演奏技術、その三位一体が生み出す豊饒なリズムだ。

しかし、新作『improvisczario』の物足りなさは何なのだ。本当にこれはウォーレルのアルバムなのか。<即興>というタイトルも大いに疑問。これは<ジャム>だ。ジャムセッションの域を出ていない。ジャム特有な安易さがある。リズムに追随し、演奏が流れる。全員が固有の発想をぶつけ合うのではなく、一つの方向へまとまろうとする意識が濃厚にある。だから面白くない。そうか、ここには安易なジャムをジャンルとして定着させたフィッシュのメンバーも紛れ込んでるじゃないか。アルバムはウォーレル名義にはなっているが、グループジャムのような性格を持つ企画アルバムという事で納得する。もっと練られて、メンバー同士が高度なインタープレイを共有できるような間柄になってからスタジオに入るべきだった。20回くらいライブをやってからでも良かったのではないか。また勝手な事ばかり言ってるが。

2007.11.16

 
   
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    渡辺貞夫   『Sadao Watanabe』

2007-11-13 | 新規投稿
  
カッコいい裏ジャケである。ナベサダと高柳昌行(g)。
この写真に表現された動性、疾走感がここでの音楽を象徴するだろう。
『Sadao Watanabe』は72年のアルバム。二週間のアフリカ滞在にインスパイアされた楽曲は全タイトルがスワヒリ語である。しかし演奏からはアフリカの感覚は希薄。いくつかの小品に牧歌的なアフリカを想起させるものがあるのみ。むしろ秩序的緊張感に満ちた硬質な日本ジャズのハイレベルな演奏が聴けるアルバムである。

ワンコードで疾走する典型的な70年代(前半)ジャズ。この時代特有のファットな音質による録音がグッド。マイクの数が少ない。ドラムもベースもぶっ太い音。これがまずイイ。しかも高柳のノイジーなギターが絡み、エレクトリックなスパイスとなる。個人的には最も好みの形。最高。スタイルに於いてアフリカは最小に留められている。このクールな感性が嬉しい。

アフリカの影響をそのフォーマットの変化にではなく、音が目指す方向のチェンジという次元に反映させた渡辺貞夫。ビバップからモード、フリーへ。ジャズクラブから屋外へ。都市音楽から自然回帰へ。色々と言うこともできるだろう。しかしナベサダの中の科学反応的な変化は一種の悟りだったのではないか。

彼は日本ジャズのパイオニアとしてアメリカジャズという異文化の摂取、翻訳、実践、留学、更新、宣教、指導とそのトップたる責任を帯びた研鑽を自己目的化してきた。秋吉敏子はアメリカへ行ってしまうし、菊池や富樫、高柳は好きなことやって異端を楽しんでいる。彼は時代の要請に応え王道をひいた。みんなが後から通れる道を。メジャーになる必要もあった。そして最強ハードバッパーとなったナベサダはジャズを演奏する職人としての自分が内面と乖離するのを感じ始めたか。或いはジャズ演奏を高度化してゆく過程で、感性の原型が発掘され、楽理的法則による拘束を窮屈と感じ始めたのか。

彼のアフリカ体験は自由度の発見であり、日本、そして自分という足下の確認だったのではないか。自分らしさを音楽的追求と言うよりも、気持ちよさの実践を通じ、表現を自己開放した。「なにをやってもいいのだ」こんな悟りをアフリカで感じたのかもしれない。

裏ジャケはカッコいいが、この音楽の開放感を思えば、やはり表ジャケは満面の笑顔のドアップで正解だったか。ちょっと大きすぎるとは思うが。
ビバッパーから開放的ジャズへ。アフリカ体験であらゆる変化を肯定し自由な道を走り出した渡辺貞夫が後年、フュージョンへ突き進んでいくのは、もう本能とフィーリングが何よりも勝り、思考停止状態になったのか。違う。この人の尋常でない仕事の幅広さは、最早、自己表現と要請されたお仕事の区分けを無効にする異次元レベルの活動。それは一言で言えば、<音の生活>だろう。音の中に住んでいる本物の音楽家。彼にとって演奏の分別は私達、凡人に推し測れるものでないのは確か。

2007.11.13


 
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