満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

TIME STRINGS TRAVELLERS(時弦旅団) 『Defreezed Songs』

2011-06-25 | 新規投稿
 このブログを始めたころ、まさか自分のCDを作るとは思っていなかったし、それどころか音楽活動をするとも思っていなかった。
私のバンド、TIME STRINGS TRAVELLERS(時弦旅団)は99年に3rdアルバム『still songs』を発表。レコ発ライブを東京と神戸で行い、‘さあ、これからだ!’という時に、それまでのハイペースな活動を一休みしたのがどうも間違いだった気がします。ちょっと休んですぐ再開するつもりが、ずるずると9年もの月日が流れました。その間、メンバー同士は年に何度か会う飲み友達と化し、バンドをやっていたのが嘘のように音楽の話すらしなかったのです。別に仲違いしたとか、音楽性が理由で分解したのではなく、ただ、何となく活動しなかったのでした。しかもこの間、私達の間で音楽の話題がお互い殆ど出なかったのが、可笑しくて、このへんは実に不思議です。私に至っては7年ほど、ベースにさわる事すらしない生活でした。そんな私が急にまたバンドがやりたくなって皆に声をかけスタジオに集合したのが2008年の正月。そのリハーサルの時、私達はまるでつい一週間位前に皆で演奏したばかりのように何事もなかったようにジャムをしていました。6月に植嶋君を呼び、オリジナルメンバーが揃い、新曲、旧曲を仕上げていった。サックスの横尾君と出会い、復活ライブをしたのが2009年12月。以降、ライブを重ね、アルバム制作を開始したのが、昨年、5月。ここにやっとアルバム完成に至ったわけです。はい。

『Defreezed Songs』はタワーレコード(渋谷、池袋、梅田マルビル、札幌、新宿、横浜モ
アーズ、難波、茶屋町、秋葉原)、山野楽器、ディスクユニオンなどで取り扱ってますが、ネットでも購入可能です。ぜひ、お買い求めください!2枚組で2500円です。

レコーディングメンバーを紹介します。
TIME STRINGS TRAVELLERS(時弦旅団)
横尾将臣(sax)
新加入。ファンキー且つ歌心ある演奏は嘗て在籍したジョニー大倉バンドのおかげ(?)元ラガーマンというナイスガイである。

植島伸哉(guitar)
オリジナルメンバーで97年に脱退していたが、再活動後、しばらくして加入。作曲面でも旺盛な創作意欲を見せているのは、完全に本気モード。

山口ミチオ(synthesizer)
私が‘大阪のジョーザウィヌル’と呼んだのは今は昔(?)現在、インプロヴァイザーとして数々のワークショップを含む幅広い音楽活動を展開中。

山浜光一(drums)
バンドの活動停止期間中もずっと精進を怠らず、竹田達彦氏によるレッスンで今に備えた(?)ドラム親父。

宮本 隆(bass、etc)
バンドを長期中断させた張本人。その間、元来のリスナー体質が甦り、‘聴くだけ’生活に埋没。その成果(?)は著作『満月に聴く音楽』に結実。ブログ開設のきっかけとなる。

更に、今回、録音に参加してもらったゲストプレイヤーが3人います。

横江邦彦(vocal)
12年前のアルバム『still songs』でも一曲、歌ってくれたシンガー。本来はレゲエ、ダブ方面で活動しているが、日本語の歌詞を日本語の発音で歌う数少ない歌者として、私のやりたい‘和のうた’を具現化してくれる存在である。

神野誠(jambe, taiko)
バンドが初めてスタジオに招き入れたパーカンション奏者。ジャンベと和太鼓を組み合わせてアフリカンっぽくないリズムを創造。

木村文彦(bucket, metal board, can, cymbal)
本業はドラム、パーカッションだが、即興においてはバケツや缶など、あらゆる鳴り物を無尽に駆使したパフォーマンスを行う。今回、一曲のみの参加だが、約8分に渡ってソロの即興演奏を展開。編集で短縮するつもりが、私は演奏に惹かれ、結局カットせず、全編を収録した。ソロのライブも頻繁に行っている。

機会、あらためてアルバムの曲の解説などもしたいと思います。

2011.6.25
   
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MILES DAVIS 『TUTU Deluxe Edition 』

2011-06-21 | 新規投稿
 
マーカスミラーが作ったカラオケにマイルスがトランペットを吹き入れたというこのアルバムが出た時、そのカラオケには感心しなかったが、各曲の深遠なメロディの力にノックアウトされた。もっともマーカスミラーはバンド用のデモとして準備した打ち込み&一人演奏トラックがまさか、そのまま正規採用されようとは思わなかった事をあとで知ったが、それは後にこのアルバムに収められた曲の数々をいくつかのライブブートレッグで聴いた時の素晴らしさを認識するに及び、バンド演奏で収録しなかった事への疑問はやはり残ったのであった。しかし、私は推測する。当時、マイルスはプロデューサーから聴かされたスクリッティポリッティの打ち込みビートが気に入ったのだ。それを‘新しい’と感じた‘勘違い’が、ドラマーを起用せず、‘打ち込み’を可としたのだ。よくあることだ。最先端のスタイルを模倣する時の感覚のズレ、外し具合が逆にアナクロに作用し、魅力を半減させてしまう。先端音楽に対し今よりずっと敏感だった当時、私はマーカスミラーのオケにそれに近いものを感じた事は事実である。もっとも私はスクリッティポリッティが好きではなかったので、それに似せたサウンドに魅力を感じなかったという事もある。しかし、それでも『TUTU』でのマーカスの作曲による各曲のメロディの豊かさ、説得力がそのアナクロニズムを凌駕するものを感じ、アルバム全体にパワーが溢れ、感動していた事を記憶している。

打ち込みサウンドにアディショナルの演奏が付加された音楽のリマスターには興味がない。予想通り、音はLPとそんなに変わらなかった。しかも期待した未発表テイクもなし。それでもこのデラックスエディションを買ったのはディスク2の未発表ライブ音源目当てであった。そしてこれは買って正解。このライブ音源が実に素晴らしかったのだ。これは86年のフランスでの公演の記録である。
私は当ブログで以前、80年代マイルスのスタジオ未発表テイクによるボックスセットを期待していると書いた事がある。それは未だに叶わないのだが、ライブ音源はブート中心に小出しに出ている。演奏がイマイチなものや、音圧不足で情けないものも多いが、私が観た87年の来日公演の例を見るまでもなく、『you’re under arrest』(84)以降のマイルスが、‘バックバンドと歌(マイルス)’という様式の色が強くなり、各器楽パートがせめぎ合い、バトルするスリリングさが減少していた事を考えると、ここに収録されたライブ音源はかつてのマイルスバンドに濃厚に合った‘ノイズ’という要素をも加味された素晴らしいものとなっている。『TUTU』に収められた「splatch」という5分弱の曲が17分にわたる長大な即興で演奏され、各人のソロも冴える。特にボブ・バーグのサックスの強烈さを私はここで、改めて知る思いであった。

しかし、私はこの稿ではやはり、マイルスの創造したスタジオアルバム『TUTU』の素晴らしさを語るべきであろう。
「ライブでは何かが起こる」というマイルスの言葉を覚えている。スタジオ録音との比較で語ったのだが、彼ほど、演奏のリアルタイムなマジック、その快楽を追求してきたアーティストはいるまい。そんなマイルスにとってアルバムというパッケージされたオブジェへのこだわりは薄い。テオ・マセロがサイモン&ガーファンクルのヒットで得た‘スタジオを自由に使える権利’をマイルスは最大利用し、連日、好き勝手な実験的ジャムを繰り広げた。私物化したスタジオで作品を前提としない演奏性の極みを試行したのだ。アルバムリリースの契約日が近つくとテオ・マセロがジャム音源から切った貼ったの作業をして無理やりレコードとして‘作品化’した。
そんなマイルスは過去の自分のアルバムを言う時、‘あの曲’とは言わない。‘あの演奏’という言い方を常とするマイルスは、しかし『TUTU』をその例外としたのか。ここでマイルスは作品性にこだわり、マーカスの音響をベストとした。マーカスミラーはここで、ほとんど全ての演奏を行っている。多人数による混合演奏では得られないパーソナルな感性が宿り、結果、独特のクールネスが生まれる。楽器間の応酬やインタープレイというジャズの熱さを離れ、あるアンビエントな様相を見せたのだ。マイルスは演奏者の集合によるマジックと違う価値をここで初めて見出したのかもしれない。
その後のライブにおいて、しばしば、見られた独特の‘しょぼい’トランペットが実は『TUTU』を通過したマイルスの新感覚であったと今、判る。‘周りは怒涛、自分は静けさ’という場面は、以降のマイルスバンドの一つの特徴にもなっていただろう。一般には年相応の‘枯れた味’、‘渋さ’の表現、あるいはエネルギーの後退とも見られていたかもしれない。しかし私は今回、『TUTU』を聞き直し、年齢と共にか細くなってくる(と思われた)マイルスのトランペット音は彼のまぎれもない技術であり、新しい創造の成果だと感じるに至った。マックスな音はいつでも出せる。バンドを焚きつける事くらい朝飯前。しかし、マイルスが得た新たな領域である新感覚なクール音、それはある意味、ジャズの熱さを解体し、結果、同時代に萌芽しつつあったヒップホップとの共振性を裏付けるものであったのだ。果たして86年以降のマイルスバンドでのライブにおける出来不出来とはそんなクールネスとホットネスのバランスに関わるバンドの一体感であっただろう。今回の『TUTU deluxe edition』のディスク2のライブはその意味での成功例だったに違いない。あと、あえて言えばデヴィッドサンボーンがホストを務めたTV番組‘night music’での「TUTU」、「HANNIBAL」の演奏だ。これはYou Tubeで見ることができるが、静と動の対比が絶妙な全く素晴らしい演奏、マジックが生まれている。
http://www.youtube.com/watch?v=07-rxZHvKT4&feature=related
『TUTU』の前、反アパルトヘイトのオムニバス『SUN CITY』(85)に参加したマイルスは確か「あの国で起きている全ての事に吐き気が出る」と言っていた。そしてツツ大司教の名を冠した『TUTU』を制作する。そこに意識の連続性を見るが、元より彼のブラックラディカリズムの意識はその政治主義ではなく、生理的、感情的なものから発している。ブラックにこだわるマイルスの面目躍如なのが、このジャケットカバーにも表れてるだろう。漆黒に浮かび上がるマイルスの眼光が鋭い。

想い出した。私はこのLPを当時、埼玉県蕨市にあった会社の寮で聴いていたんだ。3畳しかない部屋で横に木の板が埋め込まれている(そこにふとんをひく)めちゃめちゃ狭い部屋だった。トイレと風呂は共同で、寮母のおばちゃんがごはんを作ってくれる。しかし数少ない個室だった私はラッキーで、6畳に二人という社員がいっぱいいたな。それじゃあ、音楽なんて聴けやしない。個室に当たった私は本当に幸運だった。もっとも2年間住んだその社員寮で私はいつも変な音楽が部屋から漏れてくると皆に迷惑がられていたが。『TUTU』のジャケットを見た同年入社の奴に気味悪がられた事を今、思い出した。CDじゃ伝わらないが、LPでこの顔はインパクト大だったのだ。確かに不気味だ。

2011.6.21

 
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「BEFORE THE COLLAPSE~悠歌PART2」

2011-06-17 | 新規投稿




CD発売を来週に控え、来月は久々にライブもあるというのに、どこか心が晴れないような気分が多少ともあるのはそのライブでの集客に気を悩ませているからであるが、今日は我がバンド,TIME STRINGS TRAVELLERS(時弦旅団)で唯一、活発なソロ活動を行う山口君の北川ハオ氏とのデュオおよび、DEJAVUの二組のライブを観に行った。その演奏の素晴らしさとは裏腹に、観客の少なさが残念でもあり、若干の寂しさもあったのだが、会場で知り合ったドラマーの宮本善太郎さんと「昔、フェダインを上新庄のブルーシティに観に行ってた時なんかはお客さん5.6人やったなー」、「アルタードステイツもそうやで」等と、話しながら、マイナーなシーンの困難さを想っていたわけだが、そこから活動を拡大していった不破氏や内橋氏のようなバイタリティのかけらでもあればと思う。勿論、ある意味、生きざまが違うのであるが、自分の音楽を信じて、貫いていく意志の強さだけは持ちたいものだ。

というわけで、来週発売されるCD『Defreezed Songs』に収められた「Before the collapse~悠歌Part2」という15分の曲をYOU TUBEにアップしましたので、ぜひ、聴いてみてください。
(ちなみに文章中にリンクする方法がやっとわかり、喜んでいます。今頃、何をといわれそうですが)





before the collapse 97 - 悠歌part II Time Strings Travellers 時弦旅団

この曲は題名をつけてますが、97年にスタジオで即興で演奏したカセット音源です。後半の’悠歌Part2’は私がつくり、3rdアルバム『still songs』(99)に収録した曲です。<before the collapse(崩壊の前に)という曲名は当時、植嶋君(ギター)の脱退の予感があった事を思い出し、その危機の直前という意味でつけましたが、ここでの火の出るような激しいギター演奏がその後に実際、おこった事を予感させます。3:00あたりから始まる強烈なギターソロが聴きものです。彼の力は即興でメロディやフレーズを連続して作り出す事にありますが、決して、ノイズやフリーキーな音響に走らなくとも、カオスを創造し、物語性を感じさせるソロの能力に私は尊敬の念を抱いているんです。
2008年にリハーサルを再開した時、ギターは不在で、何人かのギタリストと試しましたが、しっくりこず、やはり、という事で、植嶋君を呼び寄せました。「気軽にギターを弾きに来てくれ」というヘルパー感覚で付き合ってくれたらいいという私の当初の思惑とは裏腹に、その後、オリジナルを量産し、積極性をもってバンドに参入、ライブではその牽引ぶりが際立つまでに至っています。

今もそうですが、スタジオでダラダラととりとめなく、ジャムをするのが常で、この曲も、35分くらい演奏したテープを私はpro toolで途中途中を切ってつなげ、15分に短縮しました。その音源にサックスをかぶせ、イントロにリズムマシーンや爆発音を導入し、’崩壊’を演出しました。英語のスピーチはキューバ危機の際のアメリカ議会の演説テープから拝借しました。あれは第三次世界大戦直前だったんですから、その危機的状況が演説者の口調にもあらわれてますね。
カセット音源故の音質の悪さをミックスダウンとマスタリングで最大限、修復してみましたが、やはり、限界があった事は否めません。ベースがヘタ&うるさいのがマイナス点ですが、全体の’熱さ’は自分でも気に入ってます。「悠歌パート2」は実際にはこの後、延々と10分以上続く演奏の大半をカットして、さわりのテーマだけ残しました。シンセがこの後、いい演奏をするのですが、テンポがだんだん、ズレてきたり、あまりにも演奏が長く、しかもベースソロがイマイチでだったので、オールカットして正解だと思ってます。結果、この編集テイクは我ながら出来栄えに自信があるんです。

2011.6.17




 
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TIME STRINGS TRAVELLERS(時弦旅団)『DEFREEZED SONGS』は6/19発売

2011-06-08 | 新規投稿
  
自分でブログをやっていて言うのも何だが、私はブログが好きではない。いや、正確に言うと今日何をした、どこへ行った、何を食べた等の日常を記述した他人のブログに出くわすと「それがどうした!」と拒否反応を示してしまうのである。従ってツイッター等は全くもって「これは何ですか?」という感じで今もって理解不可能な領域なのである。そんな私ではあるが、今後は当ブログで日常的な事柄を少しは書いていこうかなと思っているのだから始末が悪い。と言うのも、今回、CDをリリースする事で、セールスの必要からも、少しはバンド活動の詳細を記述し、宣伝もしなければならないと思っているからである。いや、何よりも私はCDのジャケットにこのブログのアドレスを記載したのだ。バンドのホームページがないので、苦し紛れに載せたのであるが、CDを手に取ってアドレスを検索した人は間違いなく、バンドのサイトだと思って訪れる筈である。ところがどっこい、そこには「エミルーハリスはまたしても最高傑作を更新した」だの、「私はマッドリブにハマッている」だの、バンドとは全く関係ない文章が延々と出てくるのだから、それこそ「それがどうした!」という事になってしまうだろう。従って、今後はライブの告知はもちろん、セルフレポートやメンバーの紹介などを書いていこうと思っている。自信はないが。

今日、段ボールでCDが家に届き、難儀した制作期間を思い出しながら感無量という感じで、感慨に浸っているのだが、これからが大変である。こんな無名なバンドのCDが売れるとも思わない。地底レコードにはいろいろ、お世話になるわけだが、自分で努力しないとさばけないだろう。私はメンバーの植嶋君(G)の奥さんに去年、「誰が買うねん?」と真顔で言われたことを忘れてはいない。そりゃそうだ。ライブをやってもお客さんは常にほぼ身内。毎回、お客さん集めに四苦八苦しているマイナーバンドなのだ。しかし、私は自信がある。この『Defreezed Songs』は傑作であると自負しているからこそ、皆さんに購入をお薦めしたいのである。はい。6/19発売ですが、アマゾンでは既に出ていました。
http://www.amazon.co.jp/Defreezed-Song-TIME-STRINGS-TRAVELLERS/dp/B0052BBZU6
ライブは7/22心斎橋nu-thingsで決定しているが、対バンは未定、レコ発なんで、そちらで候補見つけてくださいとお店の平野さんからはゲタを預けられた状態。さて困った。まあ、なんとかなるでしょうという事で、おそらく2バンドで我々は少し長めの80-90分くらいの演奏を予定しています。

最後に関連ライブのご案内ということでTIME STRINGS TRAVELLERS(時弦旅団)のシンセサイザー奏者、山口君のライブが6/16大阪中崎町のCOMMON CAFEであります。
タイトルは『Improvisation&Songs 2』
19:00open 19:30start ¥1000 (ドリンク別)です。

今回は北川ハヲさんとのデュオですね。北川さんは今回、『Defreezed Songs』にもゲスト参加してもらったパーカッション奏者、木村文彦氏とZIONというユニットで活動しているボーカリストで、以前はあのジャパニーズサイケの最高峰、Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.の海外ツアーにも参加したアーティストです。

対バンはギタリスト、鈴木和によるDEJA-VU.
私も注目しているバンドで、鈴木氏とは昔、よくセッションした仲です。ドラマーの近藤君は藤井郷子の名古屋オーケストラのドラマーで、サルサバンドもやってます。

北川ハヲvo,g × 山口ミチオsyn デュオ

DEJA-VU
有本羅人 - trumpet,bass clarinet
和田良春 - bass
近藤久峰 - drums
鈴木和 - guitar


  
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Emmylou Harris 『Hard Bargain』

2011-06-03 | 新規投稿


ロビーロバートソンの13年ぶりのニューアルバム『how to become Clairvoyant』のつまらなさの正体は何か。いや、もったいぶった言い方はやめよう。前作も、その前も、全てのソロアルバムがイマイチだったのは、そのコンポジション能力の低下という、名だたる名作曲家に等しく訪れる命運によるものと解すればいいだけの事だ。しかし、私が思い出すのはレヴォンヘルムがその自伝『軌跡』において、ザ・バンドにおける曲の生成が‘全員’によるものだった事を執拗に強調し、big pinkでの共同作業のスナップ等を多数、挿入しながらその‘事実’を訴えていた事だった。私は以前、ロビーとレヴォンの確執について書いた事があったが(当ブログ2008.6.18 LEVON HELM『DIRT FARMER』)、誰も望まぬグループの解散を独断で遂行したロビーに当初、ソロ活動に向けての己の才能への過信があっただろうか。しかし、散発で、しかもコンセプト倒れな一連のソロワークの無残は、ザ・バンドの至高の音楽との対比に於いて、あまりにも好対照なコントラストを描いている。私はザ・バンドに於けるロビーのソングライティングが、実はザ・バンド専用の曲、つまり、5人の演奏を想定する事で成り立っていたのではないかとイメージする。つまり、ロビーは曲を内面からひねり出し、紙に書きつけて、誰もが演奏できる普遍的な楽曲を書いたのではなく、ザ・バンドという代え難き究極の5人が演奏するサウンドを前提にしながら曲を作っていた。‘イントロでガースのオルガンがこう入って、リチャードの歌が始まり、レヴォンのコーラスが絡む。そしてリックのアタックベースと俺がシンコペーションで・・・・’という具合に、何らかの具体的なイメージの進行をメンバーに共有させながら、曲が生まれていた。従って、そんな‘触媒’を失ったロビー(逆にレヴォンが嘗てロビーを指してこう言ったのだが)にザ・バンド時代同様の作曲のイマジネーションが生まれるはずがないのであった。

エミルーハリスを知ったのはロビーロバートソンが主宰したLAST WALTZ(1976)で、ザ・バンドと共演した「エヴァンジェリン」だった。その透き通る歌声の陰影に魅せられ、そこで私はカントリーミュージックの晴天のイメージという先入観に一つ、神秘の要素の存在を知るに及ぶ。LAST WALTZは当時、ニューウェーブ台頭期におけるオールドアメリカンミュージックの集大成的意味を持つものであったが、同時に今になって思うのは、あのイベントが現在に連なるオルタナカントリーを含むアメリカーナミュージックシーンの発端でもあったのではないかという事である。ツアーに嫌気がさし、バンドを解散させたかったロビーは‘終焉の宴’としてこの企画を勝手に進め、多くの重要なアーティストを招聘した。そこに集った大物達は皆、当時、ブルースやカントリー、ソウル、ゴスペル等の文化遺産のジャストナウな継承者達であった。ロビーは図らずもそこに集合したアーティスト達と共にアメリカンミュージックの総体を一夜でコンパイルして見せたのだ。多くの人がLAST WALTZをアメリカンミュージックのパスポートとし、入口とした。私にとっても、その豊穣な音楽は啓示的意味を持ったと思う。

LAST WALTZに集合したアーティスト達の幾人かは、現在、亡くなり、幾人かは今なお、その名人芸を継続している。そして今なお、際立つ存在なのは現代的先端性を担う形でシーンを牽引する鋭角な視点を保持するニールヤングとエミルーハリスだろう。多面体のニールはともかく、天使のような装いで歌ったLAST WALTZの時のエミルーの純朴カントリーぶりから、その後のオルタナティブな外観をまとう音楽性に至る姿を想起する事は難しい。そして仮に、当時、後世的な最新モードを形成しうる音楽リーダーは誰かと問われたら、誰もがロビーロバートソンと返答したであろう。当時のロビーはアメリカンミュージックを総括的に対象化するという‘客観視’のアーティストとしてアメリカンを地で行く(レヴォンのような)プレイヤー達と一線を画す、ある種、浮いたような神秘の面影を持っていた。異邦人としてのアメリカ発見が結果的にアメリカ音楽に寄与するという‘貢献’を周りに認知させていただろう。

エミルーハリスが、その長い活動において絶えず、曲作りを継続し、コンスタントにアルバムをリリースしてきた事に、むしろアメリカンミュージックのルーツを体現する者としての立ち位置の重さを感じる。そこに本来、コンセプチュアルな思惑や業界戦略的な作為はない。ロビーに顕著なのは‘他を意識’するその過剰であっただろうか。LAST WALTZでアメリカーナを用意したロビーの偶然はしかし、その後のシーンにおける参加を拒まれる要因となった観がある。大成したのは、純朴カントリーを芯のまま残しながら、その伝播の方法を時代と共振させたエミルーハリスの方だった。

「『all intended to be』は『red dirt girl』以来の傑作となった」と私は以前、書いたが、(当ブログ 2008.7.15)エミルーはまたしてもここに傑作を更新した。ニューアルバム『Hard Bargain』はカントリーミュージックの普遍性、世界性を示す記念碑的作品であると言わせていただく。確かに『red dirt girl』の驚異感は今もって別格の趣きがあるが、そのややもするとカントリーから遊離した作品的完成度と比べ、今回はカントリーサイドにより密着しながら『red dirt girl』と同様の音響的立体感を伴った独自性を持っている。
一曲目「the road」で私が想起したのは、神話伝承的な言霊であり、音数少なく、一音、一音を雄弁に響かせるギターオーケストレーションの繊細さである。それはスコットランドの天上音楽、コクトーツインズに類似する世界だと感じた。エミルーハリスが創造したのはアメリカンカントリーというエリア性からの雄飛であり、世界のアコースティックサウンドと共鳴する広角性の獲得であった。ルーツに密着しながら、もはや、アメリカ以外の土地や空間をイメージさせる未知感覚を呼び覚ます楽曲の力を誇るものだと感じる。

エミルーハリスは絶えず曲を書く。その多作人生は数々の駄作を残すリスクと共に、生活から生じる歌の伝統に根ざす、生き方そのものを示すものだとも言えるだろう。

エミルーハリスからオルタナカントリーの巫女の称号が今、外され、現代アメリカンミュージックの第一人者という地位が図らずも、与えられる。それはかつて、ザ・バンドを強制的に解散させたロビーロバートソンが望んだ場所であったか。

2011.6.3



 














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