満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

THEO PARRISH  「Theo Parrish’s Black Jazz Signature」

2013-10-03 | 新規投稿
 
デトロイトが財政破綻によって破産するというニュースは都市の経済的破滅という今日的出来事の象徴であったが、その時、何故か私がふと思い出したのはセオパリッシュは確か、インタビューでデトロイトに住む理由として、アナログのプレス工場が目と鼻の先にある事や同業者のコミュニティが存在する事をあげていた事だ。自動車産業の衰退による都市の凋落もストリートミュージックシーンにとっては外界の出来事なのだろうか。そして、あの綺羅星の如くすばらしい所謂デトロイト派と言われるクラブ系のアーティスト達は今もデトロイトに居住し続けているのだろうか。そうだと思う。クラブミュージックはデトロイトにとって一つの地場産業なのだ。奇しくもかつてそこで発祥し、ブラックミュージック隆盛の発火点となったモータウン(Motown)レーベルは興隆するモーター産業による繁栄の時代のものであったが、現在、廃墟と化したデトロイトに定着する先端ブラックミュージックもまた、世界的影響を発信し続ける重要な存在である事に変わりはない。
私は逆にそこにある連続性にこそ尊敬の念を抱き、また、羨ましくも思う。セオパリッシュやムーディマンの音楽にある快楽の源は明らかに伝統継承の意思である。
伝統や慣習に従う事の普遍性、革新性を認識させるに足る内容をデトロイト系に感じてきた私はこのセオパリッシュの新作「Theo Parrish’s Black Jazz Signature」の手法に納得し、かつて存在したBlack Jazzというレーベルの未知のアーティスト群の一端に触れる事ができた。このアルバムはトラックメイカーとしてのセオパリッシュオリジナル作品ではなく、過去のブラックミュージックの遺産を現在に甦らせるコンパイル作品である。その意味ではマッドリブによるmedicine showシリーズに通じるワークであると言えよう。
それにしてもその‘黒さ’に感嘆させられる曲のオンパレードだ。ここに収録されたアーティストで私の知ってるのはCalvin Keysのみであったが、それとてここまで濃いブラックネスがあったのかと認識を改めさせるほどのレベルであった。私の持っていたアナログとの違いは明白でセオパリッシュによるミキシングはファット感を増幅し、なお且つCalvin Keysのギターに関してはトレブリーな存在感を際立たせている。マスターテープからマルチでリミックスしたような味わい深さがあるが、おそらくそこまでしていないのではないか。全体のミックスとマスタリングによる現在的蘇生によってここまでクールな真新しい音源となったに違いない。すべてのトラックが70年代初頭の録音作品だが、マイルスデイビスによる電気化とファンク化の時代に突入したブラックジャズの層の厚さを思い知らされ、またファンクという要素は16ビートという定型のみを指すものではなく、もっと広角で、はみ出すようなリズム、踊れないリズムをも含めた壮大な一つの形である事もここで窺い知る事ができる。少なくともあのレアグルーブと呼ばれた定型ファンクチューンをディグする方法をセオパリッシュはやはり、しなかった事に安心したのは、余計な心配だったか。センスの塊としか言いようのないアルバムである。

2013.10.3
 
コメント
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