満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

TRAVIS 『THE MAN WHO』

2007-05-28 | 新規投稿
      
人間の善性を刺激し、聴く者を善へと導く世界。個の内奥へと自らを誘い、外界の現実の悪の無効化を夢想する世界。こんな音楽が売れるという事はやはり、世界が病み、悪に覆われているからか。詞もメロも全てがピュア。濁りがない。ジャケットがいい。インナーのメンバー写真と風景写真も素晴らしい。一つの世界観を提示し、音楽が聞えてくる。イギリスの地方都市の後進性、寒さは、まだまだヒューマンな暖かさを育む土壌が残る文化地帯なのだろうか。これは英国のカウンターカルチャーの伝統だ。しかしこのトラヴィスはそんな事、外の世界の認識なんかどうでもいいという程の、静かな個人主義者だろうか。個が自律し、他を尊重する精神と両立させる世界はティーンエイジファンクラブがその最たるものだった。傷つきながらも横のつながりを求めていく。優しさをさらっと表現するのではなく、他者との共有を執拗に追求するのは、今のデジタル万能世界での最後の人間のあがきだ。ティーンエイジはそれをやっているという点で、大げさに言えば人間精神のトップランナーなのだと思う。トラヴィスはそのフォロワーだろう。虚無を断ち切ってカッコ悪さに陥る事も辞さない構えが感じられる。単なるスタイルでアルペジオを奏でる偽の叙情派などではないと確信できる。

しかし、その世界観や内面の深さに音楽性は追いついていない。つまりミュージシャンとしての才能は際だっていないと感じる。一見、泣き節や壮大なドラマがあるが、すごく良い曲はない。全てがそこそこという感じ。歌の表現力はある。伸びやかで劇的。しかも過剰でない。しかし、曲の中に印象に残るフレーズは少ない。ローゼスのファーストやライド、ティーンエイジの「サーティーン」には及ばない。
ベストトラックは7曲目「why does it always rain on me?」か。そうだ。この曲のようにサビを何回もしつこく繰り返す曲調を増やせばいいんだ。ティーンエイジはそうやってるじゃないか。それは作為じゃなく、ソウルがそうさせてるんだ。トラヴィスはソウルを放流させるより、一つの物語をコンパクトに構築するまとまりに意識を持っていってる感じがする。もっと大泣きしてもいい。もっと大声で叫び、乱れてもいい。そんな事を思ってしまう。ボーナストラックのカバー曲「be my baby」が最もそのイメージに近いというのも皮肉な結果か。

作曲能力の飛躍を期待し、新作を聴きたい。
  
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『WHEN WE WERE THERE』  藤井郷子4

2007-05-25 | 新規投稿
 
研ぎ澄まされた音が飛び交う空間。
静と動が交錯しながら場面展開を繰り返す物語性。
音が生き物のように現われ出て、消えてゆく。聴く耳を集中せざるを得ない状態に誘い込むような音楽。この引力とための安定感、それに連なる開放的感覚の連続は音楽への感性による参加という概念を想起させるものだ。よく即興演奏は演ってる方こそが楽しいものだという考えを耳にするが、そうとは言いきれない。自己満足的じゃない即興演奏は聴いていて本当に気持ちいい。そして楽しい。しかも自分の未知なる感性が鍛えられていく実感を伴うものとしての意義もあるだろう。

藤井郷子(p)田村夏樹(tp)マークドレッサー(b)ジムブラック(ds)の四人による藤井郷子4は彼女の数あるユニットの中でもメインの活動と言って良いのかもしれない。作曲されたものと即興演奏がブレンドされ、各演奏者の想像力が凝縮される。響きを見届け、音の入口に責任を持つ高い意識の持ち主達。この四人の演奏から私はそんな事を感じる。仮にフリージャズや即興演奏を鑑賞する為の力が必要だとすれば、藤井郷子4はそんな感性の領域を強引にではなく、必然的に開いてくれるだろう。それを可能にするイマジネーションが半端ではない。

ハービーハンコックが最近、「I-podは音楽を聴いた事にならない」と言っていた。私もそう思う。いや、正確に言えばI-podでは聴けない音楽がある。ダイナミクスがふんだんにある音楽だ。静かな音楽やうるさい音楽は聴きやすい。ボリュームレベルを設定し易いから。しかし場面によって音量が激変する音楽(即ちダイナミクスがふんだんにある音楽)は、それが容易ではない。私はI-podは持ってないがアイリバースのデジタルオーディオプレイヤーを愛用している。しかしショスタコーヴィッチ等を聴いていて「これは無理やな」と悟った。音の細部に聴き入る必要がある場面を持つ音楽にこんな装置は基本的に不向きなのだ。しかも急にバカみたいなフルボリュームになる局面あるし。家で聴いている時と違い、ぎょっとしてしまう事があった。もっともハンコックが言ってるのはもっと音楽の作品性、トータルなものとしての扱いがI-podのリスニング環境では軽減されてしまう事への危惧であり、それは実は深刻な問題なのだが、その議論はまたの機会にしたい。

藤井郷子の音楽はダイナミクスの極地である。海底から天上へ。それくらいの振幅がある。これは気軽な装置では充分には楽しめない。気合いを入れて音にこっちから向かって行かねばならない。そこに快楽がある。リズムの豊饒さ。それを自分の体で追いかけてみよう。リフの一つ一つを噛みしめながら自分の頭で反駁してみよう。この音楽、四人のリアルな演奏が自分と一体化するまで。この音楽を我がものにするまで聴き尽くし、演奏のイメージに参加しよう。そんな事を誘発させるような音の世界である。これは最高だ。

嘗てジャコパストリアスは渡辺香津美に「もっとダイナミクスをつけなきゃダメだ」とアドバイスしたらしいが、ああゆう上手い演奏者の音はハイテンションで一本調子が多い。音圧もずっと同じだ。私にとって渡辺香津美はダイナミックをダイナミクスとはき違えているのではないかと感じさせるほど、その演奏はつまらない。ピアノで言えば小曽根真なんかもそうだ。同じタイプだ。
藤井郷子の音楽に感心するのは勿論、その天才的な作曲能力や即興のバランス、音の間なのだが、演奏に貫かれるダイナミクスこそ、やはり際立つ素晴らしさなのである。
深い精神性を感じる。いやそれよりも純粋な職人気質か。心の安定をも感じる。苦悩や不安を内面から表出する負の表現ではなく、むしろ生活での心身の充実からくる音楽表現の喜びを私は彼女の繊細且つ激越な音楽から感じている。

個人的には前作『live in japan 2004』は日本ジャズ史上の傑作だと思っている。あのアルバムは恐ろしい位、凄い音楽だった。同時代の世界のジャズシーンでも際立ったものだっただろう。そして彼女は忙しいミュージシャンだ。この藤井郷子4の他に吉田達也(ds)、早川岳晴(b)を擁した藤井郷子クァルテット(これがまた凄い)に夫、田村夏樹とのデュオ、トリオ。オーケストラも四つ(NY版、東京版、関西版、名古屋版)やっている。毎年、何枚もアルバムをリリースしている。とんでもなく働き者だ。真面目な日本人の典型だ。

私は岐阜のドラマー、近藤君に電話して「藤井郷子ってどんな人?」と訊いた。近藤君は羨ましい事に藤井郷子オーケストラ名古屋版<NAGOYANIAN>の正ドラマーなのだ。
曰く「すごい人ですよ」と。そんな事は解ってる。しかも入手困難な名古屋版CDを送ってくれると言って、ずっと送ってこない。そんな奴だ。まあいいが。

ジャズは回顧のジャンルではない。ジャズライフやスイングジャーナル等の雑誌は古き良きジャズ、名盤を過剰喧伝する商売荷担の企業の片棒を担ぐ騙し屋だ。現在をもっとダイレクトに伝えるべきだ。もうオスカーピーターソンは記事にしなくていい。名人芸はほっていてもファンがいる。それより今を伝えるべきだ。今起こっている動きを直接、感じ、今、在る音を真剣に探し、先端を亜流と見ず、水先案内と捉えるべきだ。それをしないからDJ人種などにジャズをネタにされるのだ。ジョンコルトレーンを聴かないくせにアリスやファラオを‘スピリチュアル’等と言って、倒錯したマイナー探しで悦に入っているあの連中。そんなジャズを取り巻く末期的状況を脱するにはDJ人種からジャズを奪還して、本物を提示するべきだ。藤井郷子のようなアーティストこそジャズ雑誌は大きくページを割いて取り上げなくてはならない。

何の話か解らなくなってしまった。
とにかく藤井郷子。圧倒的に好きである。

2007.5.20

  

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『銀巴里セッションJUNE 26,1963』 / 高柳昌行と新世紀音楽研究所

2007-05-22 | 新規投稿
    
 1963年、日本ジャズ勃興期における当時の先鋭ジャズメンによるライブセッション。
相当、古い録音だが、単なる資料的作品に終わらないのは高柳昌行のギターの鋭角な響きと菊地雅章の唸り声のせいであろうか。こんな昔から唸っていたんだな。プーさんは。

新世紀音楽研究所は高柳昌行、金井英人、菊地雅章、富樫雅彦、日野皓正、山下洋輔などが結集した集団だ。今でこそ皆が大物だが、当時はマイナーだった。彼等の表現は世間への認知と芸術表現の純化、先鋭さの闘いだったのだろう。

しかし<新世紀音楽研究所>とはすごいネーミングだ。意気込みと生真面目さが感じられる。そう言えば現代音楽の武満徹や湯浅譲二が初期において活動の拠点にしていたのは滝口修造が命名した芸術集団<実験工房>であった。当時の意識的、開明的な表現者は集団を組織し切磋琢磨、協力する事で、閉塞的状況の打破を試みる事が多かったのだろう。個ではなく団体を組む事で拡がりを図るケースはよくある事だ。後年の<東京ロッカーズ>もまたしかりだろうか。

外来文化が流入した日本でのアーティストが欧米文化の摂取とそこからの脱却を目指す時、国内の土壌、その不毛との対峙がまず、ある。先駆者達はいわばモダニズムの超克を外来先鋭文化を吸収する事で目指す。そして本物に対するコンセプトを微妙にズラしながら、自らのルーツアイデンティティーとのミックス(あるいはカムフラージュ)を志向しオリジナルを完成させるに至る。

日本のフリージャズや即興音楽、ノイズミュージック、或いは暗黒舞踏などが、海外で認知される程のレベルの高さを見せるのは、身体性の万能主義を本来的に持つ欧米ジャズやダンスには敵わないものを精神性に向かう事で補いながら創造できるアナザーウェイを発見できた事によると思う。リズム感で黒人に負けても、観念で勝てばそれなりの表現ができる。そして独自のリズム話法と身体性を獲得すれば、超克も可能だ。
高柳、菊地、富樫、日野達はそれをやったのだと思う。彼等の仲間、渡辺貞夫は渡米中で不在だったという事実もなにかその後の活動の分岐点になっているようにも感じる。

フリージャズではない演奏の高柳昌行を私はここで初めて聴いた。有名な「greensleeves」だ。テーマは割と端正に、ソロはじわじわと逸脱してゆく。しかし私はテーマの弾き方にこそ、後の高柳が見せる爆発的即興演奏の発芽を見る。ダイナミクスがすごい。ンパ!ンパッ!と響く弦の鋭い音。弱く弾くその繊細さとの対比を見せる。ここに後年の彼の音楽に通じるもの、静と動の対比を一貫した持ち味にした独自の即興世界に連なる原初を見る事ができるだろう。

菊地雅章にとって音数とは表現上のテクニックではなく、もはや思想、内的なもののようだ。ここに僅か二十歳すぎのプーさんがいる。若気の至りでもっとガンガン弾くのかと思いきや、もう既に優雅さや風格さえ漂うフレーズの大人びた音を聴かせる。音の間がいい。何故みんな、こうゆう風にピアノを弾かないのか。音数少なく、情熱や優雅を感じさせるのは年の功じゃないみたいだ。マイルスのバラッド「nardis」を究極のリリシズムで表現しながら「ウェイ!ウェイ!ウェ!ウィ!」というカエルのような唸り声を被せる菊地雅章のパンクジャズ。

中古レコード店でたまに見かけていたこのアルバム。高かったから買わなかったのだと思う。いつも気にはなっていた。よって今回のCD再発は嬉しかった。何回も聴かないとは思うが、聴けて良かった。私にとってそんな好作品である。

2007.05.1

  

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続・フリクション観戦日誌

2007-05-13 | 新規投稿
何から書こう。
フリクションを観る事が叶わなかったこの11年間の空白から始めようか。『ZONE TRIPPER』リリース直後の大阪公演は95年11月。あの時も<復活>の感があり、以後の活動を期待はした。しかしその後、何と11年に及ぶ沈黙があった。
ただ、元より私達ファンは知っている。
レックは自分の要請に従う活動しかしない、本物のマイペースな自由人である事を。

<色々な人とスタジオは入っていたが、ライブはしなかった。単にそれだけ>なる意味の事をインタビューでも語っている。そうなのだ。ずっと以前から私達はフリクションに期待などした事はなかった。ライブ情報を見てライブハウスに出かけ、電撃を見舞われて家に帰る。その繰り返しだった。それで良かったのだ。
ただ、個人的な思い入れで言えば、1980年から91年の間、私はフリクションに<伴走>した。特に東京に住んだ85年から91年の間は関東圏での全てのライブに<出席>した。

つくばの29barという場所でのライブも「近いやろ」と思い込み、遠路はるばる行った。帰りの終電を逃し、朝の始発を待った思い出がある。
自分のバンドのライブ日程すらメンバーと決める時、「その日はあかん。フリクションがある。」という具合だった。何よりも優先されていたのがフリクションのライブだった。
あの頃、このように私を駆りたてたフリクションのパフォーマンスとは何だったのか。

日常生活の中にフリクションがあった。ライブの回数は決して頻繁ではなかったが、当時の私にとってフリクションは<今、共に居る>存在だった。自分の生活や感情のさまざまな局面を引きずって私はライブハウスに足を運び続けた。そしてそこで受けたインパクトを日常へフィードバックしていたと思う。そんなフリクションとは私にとってある時期から音楽性を批評したり客観的に良し悪しを判断するような対象ではなくなってきていた。もう存在自体を全的に受け止め、あとは自分が何をするのか、何ができるのかという事を自問し、表現へと向かう契機やヒントを得るための場がフリクションのライブであったと今、感じている。

極論すればそれは音楽を聴きに行っていたのではなく、自分の存在をフリクションに対峙させに行っていたのだ。「俺はここにいるぞ。俺もいるぞ」と私はレックに叫んでいたのだろう。馬鹿みたいだが。私にとってフリクションとは大げさに言えばビート=存在感をめぐる一つのアイデンティティーの認識の方法であった。

**********

この10年。何かがなかった。そう、フリクションが不在だった。
しかし私はその事を忘れてしまえる程、日常を駆け抜けてきた。脱サラ、バンド開始、CDリリース、転職、バンド活動の中断、自営の失敗、結婚、新たな仕事、本の出版・・・
数々の失敗と挫折、そして復活や達成があった。かなり忙しい10年だったであろう。
私の中でフリクションが希薄になっていた。あのレベルのビートをいつも必要としてきた私が、その不在を承知し、別の快楽軸へ移行していたのだろう。フリクションに代わる絶対的なビートを体現する存在はなかった。唯一例外はアルタードステイツだろうが、それとて音楽鑑賞的掌中の範囲を超えるものではなかった。フリクションは<好きなバンド>以上の存在だったと思う。音楽を聴く量が増える一方でありながら、何か不足感を感じているのはフリクションのような<無比の存在>足り得るものがなかった為だろう。しかし一方でその不在感を良しとする私自身の充実度が日々を支配していた事も事実だ。

そんな折り、レックが中村達也なるドラマーと二人編成によるフリクションを開始したニュースが伝わってきた。<二人だけ?すごいな。ルインズみたいや。>眠っていた私のフリクションビートが揺り起こされる日が近い事を確信、やがてそれは現実となった。


2007.3.11京都磔磔

当日券を買うため、早めに到着した私が遭遇したのは、リハーサルを終えて店の外へ一人現れた中村達也だった。軽く会釈する。すかさずサインを貰い記念写真を撮る客も。カリスマとの評判は知っている。しかし私はこのドラマーの演奏をこれまで観た事も聴いた事もない。楽しみである。やがて古い友人の大谷が現れ、近況や昔話に花を咲かせる。曰く「最近のカラオケはじゃがたらまであるで」だと。
満杯の磔磔。久しぶりに見るレック。歳をとって髪を伸ばすのは近藤等則と同じパターンか。いや、どうでも良いこと。一曲目の「raw power」をかまされた瞬間、フリクションの現在を体感する。まず発声レベルの鋭角さに感激。レックの変わらぬ意志のようなものを実感する。彼のベースギターはブンブンうなり、その大きなのうねりにドッタンバッタン絡むドラム。その印象は野性感覚だろうか。フリクションに嘗てあったシャープな切れ味、スタイリッシュなミニマルビートに替わり、レアな剥き出しなリズム、そのビートによる叫びのような感触がある。最小編成にまで行き着いたフリクション。だからこそ実現した魂のぶつけ合い。当たり前だがめちゃ本気だ。

イギーポップの「raw power」という選曲が意味するものがある。レックはビート信者でありリズムの達人だ。彼の偉業はロックの余剰を排し、シンプルなリズムの快楽を極めた点であろう。しかもそれは未だに世界中の誰も接近すらし得てない地平なのだ。(他に誰がいる?)フリクションのリズムの強さは究極であり、それは音楽の外形を綾取る一つの無比なスタイルとして機能していた。ダンス機能、トリップ機能、腰にくるそのリズムは身体性に貫かれたアクティブな音楽の本質を体現しきったものだったのだ。

逆に言えば私は今までフリクションの音楽に<内面>を感じた事はなかった。それがフリクションの快楽の特質だったと言える。

しかし今回、私はグループの新たな局面を見た。内向するドライブ感。ズレながら加速し、感情の揺れをビートで表現するような不定形なグルーブ。その印象は<裸体のリズム>であり、<剥き出しになったビートの核>だ。

つまり私はフリクションに<内面>を発見した。「raw power」にある<生>なビートの力。レックという人物による瞬間芸のようなリズム生成の現場に生身の人間が介在するスリルを観たと思う。ある意味、中村達也は異物だろう。彼の煽動、いや<叫び>が大きくエネルギーを作用している。腕の振りが大きい。スナップを効かせる技巧ではなく、体をぶつけるような技巧。身体表現のようなドラマーだ。昔、ペインキラー(ジョンゾーン、ビルラズウェル、ミックハリス)で観たミックハリスのような剛腕テクニカルなタイプだが、もっと内面をさらけ出すような<動性>を感じる。彼の演奏に私はビート以前にブルース、ソウルこそを感じた。そしてそれがレックに伝播し、そこに軋轢=フリクションが生まれた。
ある意味、この感覚は久しぶりだ。

不安定な演奏ながらも大量の汗を吹きだしてステージで燃焼していたラピス、或いはレックに<対抗>する基軸を形成していた流動体のハイテンション天才ドラマー、チコヒゲが想起された。簡単に言えばレックにケンカを売る相手が久々に現れた。それが中村達也だろう。

フリクションがソウルミュージックへと昇華してきた。リズムの強さをレベルアップし、やや混沌としながらも、その内面の魂が現れ出るような感触があった。
音楽の外形の好みを云々する余地はいくらでもある。つまり曲のアレンジ面やスタイルについて「もっとこうであればベターかな」等とそれはライブの最中にも瞬間的に思い当たる事があった。しかしそう思ってもすぐ、「いや、これでいい。このレアな感じには代え難い」と思い直すのであった。

レックの不変のライブスタンス。熱演である。
曲の合間に酸素チャージャーで酸素補給するのはご愛嬌か。いや、しかしこの潔さはどうだ。<良いギターがいないなら自分でやる>というシンプルな姿勢。かつてないほどのエフェクター操作を課しベースギターを演奏する困難に挑み、且つ、グルーブの健在を示すというのはもはや、神業か。恐れ入る。
後半演奏した「100年」「kagayaki」等はもはや普遍のビートとテーマも有する永久欠番的ナンバー。それは今だからこそ演奏されて価値が増す曲だろう。
フリクションは始まった。こうなったら新しい音源を気長に待とう。そのうちきっと現れる。それを私達は期待せず待つ。これがフリクションファンの流儀かもしれない。
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