満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

磯端伸一 レコーディング ウィズ 大友良英

2013-03-04 | 新規投稿
    

先月12日、ギタリスト磯端伸一の二回目のスタジオ録音は大友良英氏を迎えて行われた。
二人を結びつけるもの、それは両者が共に高柳昌行スクールの門下生同士であった事である。とは言え、同門であった80年代半ばから2005年の再会まで二人の交流は途絶えていた。その経緯については2009年に限定枚数でリリースされたアルバム「Isohata Shin’ichi × Otomo Yoshihide Guitar Duo× Solo」(GRID605)のライナーノーツの中で大友氏が自ら明かしている。当時、塾頭格であった大友氏は病気がちであった高柳氏の代行として塾生の指導にあたる事も多く、生徒の募集、教室の運営、その他、高柳氏の手足となって活動していた。(それどころか高柳氏のaction directと呼ばれる多数の機材を使用するノイズパフォーマンスのメサウンドシステムの構築に深く関与しており、メカニック担当という意味でもその音楽性に大きく貢献していた)しかし、いつしか大友氏は高柳氏に反発する形で、教室を飛び出し、高柳氏及び、残された生徒達との間に確執を生んでしまう。
実際、大友氏は以後、同門達に顔向けできないという感情に際悩まされてきたようだ。そのあたりの経緯についても、大友氏は先のライナーノーツに正直に記しており、ここではこれ以上、反復しない。

磯端氏によると久しぶりに再会した時、大友氏の音響的なターンテーブルの演奏に大きな感動を得たという事を私に語っていた。やがて東京でのduoによりライブが実現し、アルバム「Isohata Shin’ichi × Otomo Yoshihide Guitar Duo× Solo」に結実する。

私は今回、磯端氏にレコーディングの話を持ちかけ、当初、複数のゲストを提案したが、磯端氏は大友氏がOKしてくれるなら、共演者は一人で充分と言うので、それに従った。そして私達が大友氏のOKの返事に謝意を表したのは言うまでもない。

多忙なスケジュールの合間を縫って東京から来てくれた大友良英氏。
2月12日、私は緊張の面持ちで大友氏を新大阪駅に迎えに行き、吹田のスタジオYOUに向かった。車の中で1月に録音した磯端氏のソロテイクのラフミックスを聴いてもらい、「いい音だねえ」との感想をいただき、今日の録音もいいものになると期待したのであった。
スタジオに到着すると磯端氏は来ておらず、<ちあきひこ>という一人ユニットで活動する堀口さんがフェンダーのアンプを持ってきてくれた。実は大友氏のリクエストで用意したアンプで私と磯端氏で用意できず、彼に頼んだのであった。私は堀口さんに礼を言い、「少し見ていけば」と言ったが、控え目な彼は「いや、邪魔になったらダメなんで。夜のライブは行きます」と帰って行った。本当は興味津津であった筈なのに、謙虚な人である。彼は90年代、上沼田洋二というグループのリーダーで活動し、97年だったか、私は自分のバンド、時弦旅団で一度、対バンをしたこともあった。

やがて磯端氏が到着し、再会した二人の演奏が始まった。その高度なインタープレイは約七年ぶりというインターバルを感じさせない濃密なものとなり、阿吽の呼吸とでもいうべき、一体感を生んでいた。‘アンプを完璧に鳴らしている’ 大友氏に特に感心したというエンジニアの大輪氏の興奮もまた、この日のレコーディングが特別のものである事を表していただろう。
2月10日、二人は2005年の共演以来の再会を果たし、レコーディングに臨んだ。演奏の合間の会話は主にギターや使っている機材などの情報交換が多かったような気もする。アコースティックギターとエレキギターを持ちかえながら、約90分の演奏記録が残された。
この中からどの場面を収録するかという作業が待っている。大友氏は「磯端君に任せるから」と言って下さった。その信頼に応えなければならないだろう。

6時に録音が完了し、これから磯端氏の活動拠点でもある本町のギャラリーカフェ、シェ・ドューブルに移動するあわただしさの中、私は大友氏の機材を車に積んで、スタジオを出た。磯端氏と大友氏にはどこかで食事してから来てくださいと言い残したのだが、運転中、しばらくたって、大輪さんから電話が入る。なんとスタジオ料金の支払いをしていなかった。前代未聞の‘録り逃げ’であった。引き返すわけにもいかず、「今からライブなんでしょ」と許してくれた大輪さんに謝りつつ、明日、うかがう約束をする。

今回のライブは大友良英氏のギターインプロヴァイズが聴けるという事で、かなり貴重なイベントであるにも関わらず、磯端氏のマイペースな性格ゆえか、あまり、インフォメーションされておらず、私は少し焦っていた。せっかく大友氏が大阪で即興演奏のライブをするのだから、多くの人が後で「えっ、大友良英が来てたんや。知らんかった」てな事にならないようにしなくてはと‘使命感’に燃えていたのだ。直前にツイッターをやってる知り合いなどに情報を広げてもらったり、方々に電話したりした。皆、「えっ、それは行かねば」という反応ばかりであった。そりゃそうだろう。

結果、奥の小さなギャラリースペースで行われるいつものライブではなく、カフェ全体を使ったライブとなる。大盛況であった。二人のライブの素晴らしさは改めて言うまでもない。最初に磯端氏のソロ。次に大友氏のソロ。最後にDUOという構成であった。DUOの時、大友氏はお客さんに向かって「磯端さんとは、昔、怖い教室で一緒でした」と言って二人の出会いを説明してくれた。二人にとって高柳昌行とはどんな存在なのだろうと思う。直接のつながりとしては勿論、大友氏との方が密であり、その関係はもはや師弟関係であっただろう。ツアーにも同行し、機材の構成を直接、アドヴァイスする信頼関係というのは、もはや高柳音楽を土台から担っていたと言っても過言ではない。後の反発もその‘濃密すぎる’関係ゆえの事だったのかと邪推するのは容易いが、しかし影響という意味で巨大であった事だけは確かであろう。私は当ブログで以前、そのあたりの事を少し書いた事があった。一方、磯端氏はスクールの中で目立ちはせぬが、高柳氏の講義をまめにノートにつけるという真面目な一生徒であったようだ。彼もまた高柳昌行という厳しさに満ちたプロフェッショナルの話に熱中し、崇拝した一人だったのだろう。そんな二人の共通の出発点から生まれた共演。異なる個性がぶつかりながら、共に反応し合いながら流れていく放流のような演奏であった。レベルの高さをまざまざと見せつけられたというのが私の感想である。

磯端伸一と大友良英のスタジオ録音とライブという長い一日は私にとって恐らく忘れられない日となるだろう。大友氏をホテルに送り届けたのは12時過ぎであった。別れ際に握手を求められたのは光栄であったし、良い作品を頼むぞという意思でもあったと感じている。

2013.3.3
 
コメント
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