満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

E.D.P.S    『DECEMBER 14th 1983 MAY 27th 1984』

2007-07-29 | 新規投稿


ロックの要素を一言で言い表すとしたらそれは何か。エッジだろうか。ではロックの何が鋭角なのか、そして何が美しいのか。巷にはロックのようでロックでないものがたくさんある。それは主観の問題?いや、そうじゃないと思う。「本質的なものは好き嫌いを超えたところにあった。それは選択を許さぬ情け容赦ないものとして在った。」(間章) これからはロックと非ロックが明確に線引きされるかもしれない。グレイの事をロックとは誰も言わない。まして昨今のリスペクトブームともいうべきアーティスト間のべたべたした感性は何なのだ。ラブピース、ロングホットサマー思想の蔓延?

20年以上、聴き続けているLPがCDになり、買ってしまった。ロックとは?と訊かれたら「はい、これがそうです」と聴かせてあげればいい。そんな演奏である。洋楽の出る幕ではない。これが世界のロック。

フリクションを脱退したツネマツマサトシは1981年にソロアルバムを制作した。多重録音による興味深い音楽であったが、私はこれを聴いたとき、言葉の選び方、発声、創作リズムの独創性等が確実にフリクションを幹とする自己表現サウンドになっており、バンドへの発展を期待した。そのアルバムの中の一曲「E.D.P.S(エディプス)」をグループ名にし、始動したのは83年。フリクションの『SKIN DEEP』と同時期であり、この作品にあまり好感が持てなかった私はE.D.P.Sに過剰に入れ込んだ。残したアルバムは三枚。鮮烈な印象をシーンに残し、確か85年に早々と解散した。

『DECEMBER 14th 1983 MAY 27th 1984』はE.D.P.Sが残したライブアルバム。ロックトリオの極限を実現したような美がある作品だ。演奏は激しく決闘のようである。ツネマツ(g,vo)BOY(ds)バニラ(b)の三人はいつバラバラに弾け飛んでもおかしくないような純粋でリアルなロック演奏をしていた。これ以上無いと言うほどのギリギリ感がある。高く舞い上がるギター音。ソリッドファンキーなベースにヘヴィタイト且つ、揺れるようなグルーブのドラム。自己主張のぶつかり合いが相乗効果を生み、究極の一体感を実現させるかのようだ。

レックの事を「オレよりすごい奴がいる。」というライバル心でフリクションに加入したツネマツマサトシは演奏意識を対人関係における融合でなく、対峙とするタイプだろうか。確かにこんなギターは誰にも弾けるものではない。誰が来ても打ち負かすだろう。86年に渋谷ラママで観たジョンゾーンとのデュオでもツネマツに喧嘩精神を感じた事を覚えている。キムドクス(サムルノリ)が「セッションとは対戦である」と言っていたのもその頃だ。

ロックとは抽象的な観念の鋭角さよりも具体的な演奏行為に於ける必殺の精神、そのスピードだと思われる。そんな切り込みの行為がロックらしさであり、お互いがピストルで心臓を打ち抜くような瞬時に生死が入れ替わるほどの速度。それがロックだろう。曲の速さの事ではない。動性を感じさせる演奏がそこにあるか否かなのだ。E.D.P.Sの圧倒的なワイドレンジと中心に微動だにせず在り続けるエネルギーの磁場。最大風速を受ける快楽。まるで瞬時の夢のようだ。瞬きしたらもう過ぎ去っていた。残った私は元気が出てくる。何かをしたくなってくる。

 

2007.7.27

 

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美空ひばり  『ミソラヒバリ リズム歌謡を歌う1949-1967』

2007-07-24 | 新規投稿


70年代には<日本ロック>に関する議論がよくあったと聞く。外来文化であるロックを日本でいかに消化し、オリオジナルに昇華させてゆくか。私が中学の頃も内田裕也と細野晴臣の日本語ロックに関する対談を雑誌で読んだ。それは日本語という非ロックな言語をロックに乗せる正否に関するものだったと記憶する。今ではそんな議論さえない。そんな事にこだわっても仕方ないという空気。或いはそのテーマは既に乗り越えたという勘違い意識の蔓延。またはそんな問題意識そのものが存在しない年代に既に入っているんだろう。しかしその果てに今では奇形なロックもどきの集合的厚みだけが、日本のロックシーン(とも呼びたくはないが)を覆っている。ロックが本来、外来のものであるという自覚すべき基準が欠落している故の脆弱さばかりが目立つ。進みすぎた消費社会に於ける文化の幼稚的土壌のみが商業として成立し得るという悲観的状態は<ロックとは先鋭意識なり>という嘗ての不文律を無効化し、ロックはもはや、時代の一記号として相対化される。

日本語がロックになじまないのは、リズム感の不一致ではなく、言葉の思考性や言語表現の精度を目指す時の音楽上のフォーマットでの違和感だった。松本隆(はっぴいえんど)はそれをクリアしたのだが、フォークロック的フォーマットに限られた中でのサウンドと言葉の融合であった。一方、欧米ロックサウンドへリズム感覚で追いついても、日本語を英語もどきの発声で歌う事でロックへ疑似同化する事しか大多数のものはできていない。卑しい意識と敗残がある。<それらしく見せる>というコンプレックスは独自なロック言語を当然、生み出さず、行き過ぎた商売の泥沼に沈むだけだ。

私にとっての藤圭子ショックはパンクに匹敵するインパクトであり、それはロック的としか言いようのない内面的軋みを昇華させた表現世界だった。いや、これ以上のロックがどこにあると言うのか。藤圭子をきっかけとしてロック的感性で聴ける歌謡曲探求が始まる。結果、ちあきなおみを経て、美空ひばりに到達。頂点を知った。CDを手探りで色々買って聴いていたが、『コロムビア至宝シリーズ 美空ひばり 民謡お国めぐり』を聴いたときの衝撃は大きかった。1962年に発表されたものが2006年になってCD化されたものだが、リズムと言葉の洪水に圧倒され、しかも感情を抑えるミニマムな次元から最大級のこぶしまで爆発させる。凄すぎると思った。内面もビートも総体的に高域に表現される。その力が圧倒的で他に匹敵すべきジャンルすら見つけられない。
日本語をどうやってロックに乗せるのか等というまごまごした話はもはや美空ひばりを聴けば無効である事に気づく。1962年の時点で美空ひばりはロックを難なく体現し、しかもそれすら自分の内側に相対化し、もっと大きな表現の先鋭を顕していた。

『ミソラヒバリ リズム歌謡を歌う1949-1967』はブギやロカビリーやラテンやロックを総なめにしてしまう天才歌手の一端を伺い知る事ができる企画CDである。

「リズム感がいい、というようなものではない。」
湯浅学氏の解説は美空ひばりがリズムで四苦八苦する数多の歌手と違う意識で表現を行っていた事を示唆するものだ。どんなリズムであれ、それは<自分化>すべきもの。できて当たり前。これが美空ひばりの常識である。得てして歌の露出過多に陥る日本歌謡の中でこれほどビートを中核に持った音楽は、ない。

「おそるべき音楽人、美空ひばり。その凄さはまだまだ真に解明されてはいない。」
美空ひばりを<マルチアスリート>と呼ぶ湯浅氏の解説の締めくくりのこの言葉はこの天才歌手を聴き込む必要性を私に今更ながら、確信させた。そして分かったのだが、美空ひばりは現在リリースされているCDだけでは、全くその魅力は掴めないという事。コロムビアレコードからリリースされた昭和30年代後半から少なくとも昭和53年頃までのオリジナルを生み出すサイクルが途切れなかった時期のLPを一つずつ探して聴かねばならない。それだけで50枚以上あるのだが。勿論、一番いいのは順にCD化される事だが、切に願う。
  

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渋さ知らズ 『渋響』

2007-07-13 | 新規投稿


五年前、ニューヨークでサンラアーケストラを観た時、私は渋さ知らズの事を思い、比べていた。アンサンブルの分厚さ、迫力はサンラが上だが、混沌としたエネルギー、何が起こるか分からないスリルでは渋さ知らズが勝ってると思った。いや、そんな安易な比較を咄嗟にしてしまうほど、渋さ知らズのレベルが自分にとって一つの基準になっている事を自覚したと言った方が正確だ。そのサンラはコンサートの終盤、「space is the place」の大リフレイン大会が始まるとその祝祭空間は正に渋さ知らズ的な混沌としたエネルギーに満ち、観客とステージが一体化したのである。更にコンサート終了後、路上でサンラのメンバーの何人かが、尚も「space is the place」を手拍子を打ちながら合唱しているのであった。思わず駆け寄ってノッてしまった。それは終わりのない祭りのようだった。

祭りは終わる。確実に。
しかし渋さ知らズのライブが終わった時の寂しさ、あの残念な感覚は、数多のライブコンサートでの高ぶった気分がすーっと抜けて現実に戻っていく、あの冷める感覚とは違う種類のものだ。祝祭の強度がそれを体験する者の内側に残存し、徐々に抜けていく感じ。最後には記憶として確かに<残るもの>がある。だからまた行きたくなる。実際に行く。
逆に言えば祭りの終わりを強く意識する覚悟こそが、祭りの強度を生む。思えばその最たるものがじゃがたらであった。渋さ知らズはじゃがたらを受け継ぐ存在だろう。

シャイな人間をも踊らせる吸引力が渋さ知らズにはある。実際、オタクみたいな大人しそうな奴がタコ踊りをして狂喜している姿も見たことがある。精神が解放され、勇気を持つ事への扉を開かせてくれる。アルバム『渋響(しぶき)』に収録された「we are fisherman band」で叫ばれる「エンヤートットエンヤートット」の掛け声は大漁節の高揚感を皆で共有する楽しさそのものだ。

「藤圭子は大好きでね。アルバートアイラーが好きなら聴くのは当然だよ。あと森新一の<港町ブルース>ね。」リーダー不破大輔は大所帯のバンドアンサンブルの中で日本的哀愁や情緒を高速で歌い上げる。いいメロディを繰り返し、その高揚感を表現する。渋さ知らズに感化されるノリとはココロとカラダの一体化のノリだ。批評意識旺盛な洋楽耳で音楽を感知する習慣や、踊らせる事だけが最初から目的の音響に、そのまんま踊ってしまう下半身感知が習慣付いた次元から一歩、上に出られる契機になる種類のものだ。

阿波踊りや盆踊りでもそうだが、日本の踊りが手をよく使う事には関心がある。あれは音楽のリズムは下半身、メロディは心という二分法を超えて両者は不可分に一体化していると捉えている証拠なのだと思う。沖縄のエイサーも手の動きがカッコいい。足と手がつながっているような印象がある。渋さ知らズのライブでは曲のテンポやメロディに全身を併せながら鼓動を表現するダンスが望ましい。直立揺れダンスもあるだろうし、両手をゆっくり廻す舞踏もあるだろう。渋さ知らズはに日本芸能の根源的な豊かさを想起させる。何でもオープンに感情表現するのではなく、控え目な状態から全身に鼓動が伝播するような表現方法。これが日本人的特性かもね。

2007.7.10

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The Cinematic Orchestra 『Ma Fleur』

2007-07-06 | 新規投稿
    
ロバートワイアットの厳粛な歌の響きを想起させる1曲目「to build a home」。しかしアルバム全編を覆うのは、サウンドデザインとも言うべき緻密な音響世界である。そこは、やはりサンプリング世代による‘ポストソング’な感性が浮かび上がる。その意味で類似すべきはボーズオブカナダだろうか。良いメロを挿入できる力量。良いメロが書けるという貴重な才能が元よりあるソニックプログラマーとしての本質に加味された結果、映像的音響の静かな流れの中に、時折、歌の魂が顔出すような至上のバランス感覚を持った音楽が実現した。
「いつになるかわからないけど、『Ma Fleur』の映画はつくろうと思っている」というリーダーのジェイソン・スウィンスコーの意欲は映像と音楽が片方に従属する形ではなく、相互補完をも超えた地点に屹立する新たな表現形態を示唆するものだ。ブライアンイーノの『music for films』を発展させ、環境音に主体を含ませたような音楽世界がこの『Ma Fleur』であるとイメージする。

ただ、この作品も昨今のエレクトロ、サンプリングエイジのアーティストに見られる‘アコースティックへの恣意的アプローチ’の流れと無関係ではないと感じる。(それを批判的に捉えるところが私のひねくれたところだが)、ヒップホップやってた人が急に生音をバックに歌モノにチェンジしたり、テクノからピアノの環境音楽へ変身するアーティストがいる。<本物>に遠く及ばないパターンが多く無惨であり、あまり好きではない。音響や編集を必要としない裸の歌の原型質的なものや上手い演奏との比較に於いてエディット世代のつくる<歌>や<演奏>は多くの場合、底が浅いと感じている。
嫌な見方を敢えてすれば『Ma Fleur』の素晴らしさ、その完成度はジェイソン・スウィンスコーが今回、起用したシンガーソングライター、パトリック・ワトソンの力に負うものが絶大であると感じる。彼が作り、歌った4曲の挿入がこの作品全体のソウルを決定した。
解説に<音楽的なバックグランドやアティテュードに距離感がある事から、彼とのコラボレーションに多少、不安があったようだが、・・・>と記されており、私が感じた相違感を裏付けてくれた。しかし、その<距離感>こそが吉と出た。

The Cinematic Orchestra=ジェイソン・スウィンスコーは『Ma Fleur』で静かに燃えるような感情、静謐ながら濃密に展開する物語を体現した。‘愛と喪失’がテーマであると自身が解説しているが、そのサウンドから想起させる映像は感情が悲劇に向かって放流されるようなセンチメンタリズムではない。むしろ喪失感という深い感情をも夢幻な高みへと静かに至らせるような恒常的な世界だ。あるいは‘愛と喪失’の様々な場面が絵画のように美しく静止し、そこに時間概念や負の感情すらも無効になるようなスタティックな空間。更に言えば各々の場面が独立し、ズームアップとフェイドアウトを繰り返しながら自律した瞬間画像となり、前後のストーリー性からも脱却したかのような審美眼を持つ映像がイメージされる。

聴く者のイマジネーションを鍛えるような音楽は嬉しい。こんな音楽が今、不足しているとも感じているので尚更、そう思う。The Cinematic Orchestra=ジェイソン・スウィンスコーはミュージシャンでなく芸術家だ。その美への触覚がこのような類まれな極点の結晶物のような音楽を創造せしめた。ダダ的発想(反=音楽コンセプト)から音楽的昇華へと結実させる力量は正しくブライアンイーノ以来と言えば過大評価だろうか。今後も注目したいアーティストだ。

2007.7.6
    
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『ウェブ人間論』 梅田望夫 平野啓一郎 PART 1

2007-07-03 | 新規投稿

  
2000年に初めて買ったパソコンはプーキュルルルと鳴って接続するアナログ回線で、ウェブを見るにはやたら画面が重く、無論、動画は見られない。音も鳴らない。これがちょうど良かった。パソコンにハマらずに済んだのだから。パソコンを見るのは三日に一度と決めていた。いや、ちょっと自分でも無理をしていたのは事実だろう。私は恐れていた。このおもちゃにハマリ込む自分を。電源入れるのは三日に一度。それは私の警戒心からくる対処法のようだったと思う。

私には好きになった事にとことんのめりこむ習性がある。
十代の頃、私は映画を捨てた事を思い出す。音楽狂の私は学校の勉強を葬り去ってその魔力に取り憑かれていた。しかも本も同様に好きであり、音楽と読書が日常を支配し、忙しい事この上なかった。聴かなければならないレコード、読まなければならない本が山ほどあった。もう一つ熱心だったのが阪神タイガースで新人掛布登場でその熱中ぶりに拍車がかかる。
私は忙しかった。音楽、本、阪神。これらに没頭する私の日常には他のものが入り込む余地がない。しかしゴダールなどのヨーロッパ映画に感化されたある時期、私は焦った。まずいことに身近に映画マニアがいた。年間100本以上映画を観る奴が。やばい。これにハマルともうパンクする。私の情報処理能力は限界まできていた。
私は映画を捨てる決心をした。以後、私は映画に関しては適度の鑑賞ペースにとどめる事により、音楽ライフの満タン状態をキープしている。

危機の時期はあった。1985年、社会人になり自由な時間が大幅に縮小されるという悪夢のような現実を目前にして、音楽時間は減る事を余儀なくされたが、しかしちょうどその頃、阪神への情熱が喪失しており、私の音楽熱は質、量共に充実し、危機を乗り越えた。皮肉にもその年、阪神は20年ぶりの優勝を果たしたのだが、東京に越しており、サンテレビも見られない状況もあって私の熱は冷めていた。結果、私の生活は音楽と本という二つの大きな熱中物に収斂した。

二回目の危機は自転車にハマッた時だ。ロードバイクに目覚めた私は、生駒山越えや岡山までのロングライドを繰り返し、その有酸素運動に熱中した。音楽雑誌は自転車雑誌に替わり、ツールドフランスのビデオに見入っていた。しかし淡路島一周を予定していたある日、仕事中にガクっと左膝が崩れた。靱帯を伸ばし、骨を傷つけたのだ。以来、私の膝はおかしい。「乗りすぎやな」医者の言葉は啓示だったか。ロングライドは永久中断となり、今では通勤時や近場のライディングに留めている。

自動防御装置のようだ。私の音楽ライフを浸食する何か新たなものが迫ってくるとそれを押し返す力が働く。さしずめパソコンはミレニアムに現れた第三の刺客だっただろうか。

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梅田望夫「今の僕は朝四時に起きてトータルで一日八~十時間位ネットにつなが っ ていて、ネットの世界に住んでいるという感覚なんです。」「ネット上の僕の 分身が僕のブログだから、そこはまず行きます。何か異変が起きていないかを、まず確かめに行きたいんですね。」

機械につながった人かな。
SFみたいだ。昔、クラフトワークが提示した<マン=マシーンシステム>の到来だろうか。パソコンにつながったのがこの人で、音楽を流すスピーカーやヘッドフォンにつながった人がこの私。どちらも大差ない。快楽の道具が違うだけだ。と言ってしまえばパソコンの重要性を相対化しすぎか。

  平野啓一郎 「ネット時代になって、みんな情報の価値をこれまで以上に実感し始めたんじゃないかと思うんです。(略)そこで検索エンジンというのは決定的な意味を持ったんじゃないですかね。」
梅田望夫「世界の結び目を自動生成する機械なんですね、検索エンジンは。リアルタイムでどんどん更新されているすべての情報を、常時取り込んで整理している・・・」

私のオンボロパソコンはいわば辞典だった。アストルピアソラやショスタコヴィッチにハマリかけた頃、その膨大な作品群の入り口や聴くためのガイドラインをウェブサイトで情報を整理した。重い画面に耐えながら根気よくサイトを開き、表面上の情報をかき集め、自分で中心点を見つけながら、鑑賞の為の基軸を見出していった。
昔だったらレコ屋の気むずかしい親父に話を聴くか、数少ない音楽本を頼りに、間違ったレコードを買ったりして失敗を繰り返しながら暗中模索していたものだ。その労力は今とは全く違うのは事実だ。情報は自分で掴みに行く。足を使って。コケながら。そんな時代は昔話か。でもその方法の方が身につくものは多いとも思うのだが。

  平野啓一郎「テクノロジーの進歩は人間の本質を変えることはできない、人の「心」は変わらないんだ、という考えを表明する人が、特に保守的な思想の持ち主の中に見受けられますが、やっぱり、変わるでしょう。どうみても。(略)テクノロジーが発展すれば人間の生活の条件は大いに変わるし、人間自体も劇的に変容するでしょうね。」

するでしょうね。
ロバートフリップが嘗て、「アコースティックギターとエレクトリックギターは全く別の楽器である」と言ったのは、音響の効果が聴覚にもたらす影響が人のメンタリティーの変容に直結するという意味を含んでいる点で、結構、深い意味があった。フリップはジミヘンドリックスを念頭に語っていたと思われるが、ジミヘンの創始した電磁波音響こそが、人間の快楽原則を大きく拡大させたものだ。あの法則は音楽世界を拡大し、その音響中毒者を量産させた。おそるべく伝播の仕方だったようだ。あの時、人が別の人になった。

梅田望夫「(略)人間が生まれた時に放り込まれたコミュニティというのは、その人が本当に心地よく生きられるコミュニティである保証は全くないわけです。その齟齬のようなものが、家族の中にも、学校にも、地域にも、日本という国にもあり、物理的な大きな制約になっている。でもネットでは、自分がいたい場所が選べる。人との出会いも含めて可能性空間がバーンと広がっている。」
 
家族制度や学校社会での窮屈感は私を夢想体質に変えてたな。タンジェリンドリームやクラウスシュルツ等のジャーマンエレクトロを大音量で聴いて瞑想トリップしていたのは心地よさを得るための秘儀であり、時空を超えた王国の建設だった。でもリアルでの窮屈感は消えず、その境界線にぼんやりと生きていた。そこには可能性空間と不可能性のせめぎ合いがあった。例えネットがあったからって何も解決しなかっただろう。「可能性空間がバーンと広がっている」等とはそれこそバーチュアルリアリティ(仮想現実)。しかもコミュニティでの窮屈感はいずれ血肉となるのだ。それを避ける事で失うセンスの方が大きな損失だと思う。

平野啓一郎「これからはみんな、「生まれた時に放り込まれたコミュニティ」で交わされる言葉や価値観と同時に、ネットの世界のあらゆる場所の人々と交流する言葉や価値観に影響されながら、成長してゆくことになる。地方独自の伝統や慣習はそうした中で、どうしても相対化せざるを得ないでしょうね。」

日本の北と南の端っこから出てきた友川かずきや三上寛、嘉手苅林晶、糸数カメ等の無比な強力さは地方の閉ざされた空間故に発生した前時代の賜だろうか。ネット空間は言葉を均質化し、思考形態をも標準化させるのだろう。強い表現を生む背景が削られてゆく。今、エスノシティも方言も、地芸能も相対化される時代。強さが薄まる。友川かずきが秋田弁で叫び、歌う時、そこには決して相対化され得ない危険度があった。それこそが表現の強さだった。後継者が出ないのは必然的な時の流れ。

梅田望夫「ネットの魅力の感じ方って、リアルな空間での自分の恵まれ度に反比例すると思うんですよ。リアルの世界で認められてる人やいい会社に勤めてる人達に、いくら僕がネットは面白いよと話してもなかなかわかってもらえない。(略)リアルで完全に充足してるから、別の世界なんて必要としていないわけですからね。」

いや、ネットの有用性とはリアルで充足している人はそのリアルの虚構性に気づく契機となり、ネットこそがリアルとなってしまった人造人間キカイダー(古すぎ)は別価値の創造をリアルに向けて発信するべきだろう。等と高みからモノ申す私の如く偏屈者は早く反省し、ネット時代における恵まれ度とあらゆる<べき論>を併存するべし。ブライアンイーノの『another green world』(78)は<もう一つの理想郷>を現実に対峙させた究極の平衡感覚を持つ音楽。30年前にして普遍的未来世界。このバランスを至高とすべき。

平野啓一郎「僕もブログを書いている友達はいるんですが、実際に会って喋っている時の印象と書いている彼との間には、やっぱり、齟齬がある気がします。」
梅田望夫「そうゆう時に僕は違う印象を持つんですよ。「こんな違う面もあったんだ。この人ってこんなにすごいところがあったんだ。」と思うわけ。リアル世界で付き合っていても相手の全てがわかるわけじゃない。両方合わせて一つのアイデンティティで、「ああ、人間って面白いな」って思ってしまう。」

昔、親父ギャグのようなつまらない話を連発しながらゲラゲラ笑う中島みゆきのラジオ番組は衝撃的だった。これが『生きていてもいいですか』(80)の歌手の素顔だったのだ。楽観的な陽性の女性が暗い歌を歌っていたのか。怨念じみた暗い女性が「いや、こんな面もあるんです」と馬鹿笑いしていたのか。どっちが先なんだ。いずれにしても表現とは発する本人を拘泥し影響を及ぼす。アンビバレンツが本人を切り裂き、本質が交錯する。自分の内面との距離感そのものを含めての自分であり、それは多人格にならざるを得ない。重層化する内面を整理する意味でも、誰もが表現、大いにすべしという事か。
『詩は万人によって書かれなければならない』というロートレアモンの金言がネット時代によって実現したのか。特権意識を相対化する意味はある。HPやブログ世界はさしずめ表現の根無し草、その共産化による表現の質の低下という過渡期を経て首尾良くレベルアップへ向かうのだろうか。パンクムーブメントは表現を万人に開放した革命で、以降、その種が高度な表現へ結実した好例。ダメなものは自然淘汰された。


平野啓一郎「リアル社会で自己実現できていないとか、自分の言いたいことを自由に言えないとか、そうゆう不満の結果として、匿名で、ネットの中に思いを吐き出している人達もいる。彼らにはリアル社会とネット社会という二分法があって、その境界線が主体の内側に内在化されていて、前方に一つのリアルな世界が開かれ、後ろ側にももう一つの別の世界が開けている。その結節点に、主体が形成されているんじゃないかという印象なんです。」

私もそんな奴だと思う。
2ちゃんねるとやらに便所の落書きみたく殴り書きしている匿名連中と一緒にされたくはないしリアル社会にも大して不満はないが、より濃密な快楽を求める結果、外に流れている時間と別の時間軸が私の内部にできた。70年代マイルスデイビスの快楽性にハマってからはその傾向が一気に強まったと実感している。マイルスは中毒だ。あのミニマルミュージックの反復性に時折、棘がビュっと出てくる覚醒感覚が拮抗し、完璧な錬金術的空間を創っていた。アレにヤラれた私には以来、リアル世界と後ろ側の別世界が開かれており、その境界線が私の内側に内在化され、いつでもそこに行ける。たまに音源なしでも行ける事がある。ナチュラルドーピングに近いかな。強いて言えば別世界とリアルを往来する強さと双方を浸食するスリルをマイルスから得たか。それはやはり、強い主体意識だろう。匿名でモノ言う快楽とは随分、病的な快楽だ。早期治療を施した方がいい。

平野啓一郎「(略)彼らがネット世界である種の癒しを得て、満たされることがあればあるほど、リアル社会に対する彼らのパワーは収斂されることなく霧散していくんじゃないかという気がするんです。(略)ネットにはリアル社会や「エスタブリッシュメント」をシニカルに笑い合っているような雰囲気が一部にある。(略)だけど、その笑いは結局、リアル社会や「エスタブリッシュメント」を全く動揺させないし、むしろサブシステムとしてその安定に手を貸していると思うんです。図らずも。」

全ての反体制運動や表現が体制を補完するものでしかないという状況を目の当たりにした
間章は嘗て‘ジャズを契機とする闘争集団’<日本リアルジャズ集団>を組織した。今も昔もジャズやロック、ポップは西側では安全パイだ。体制が唯一、敵視したのはアメリカでは実はレノン&ヨーコなのだ。ニクソンは本気でレノンを危険分子とした。
東西冷戦時代にインターネットがあれば、社会主義陣営の崩壊はもっと早かっただろうか。ソ連監視下でのチェコのハベル(後の大統領)は獄中のロックバンド、プラスティックピ-プルオブユニバースの支援活動を出発点に民主化運動を展開した。共産党一党独裁からチェコを解放し、東欧革命の口火を切った。あまり語られないがこれはロックが現実的な力になり得た希有な実例。

  梅田望夫「今の日本の権力の状況や個人の自由の問題が、一般的に言ってそれほどとんでもない事にはなっていないからだ、と見る事もできませんか。もっともっとそういう事に大きな問題のある環境下では、ネットの力を利用した対抗の可能性や、リアル社会を動かし得るパワーが現れる余地は今でも十分にあると思います。」

アメリカに亡命した天安門民主化運動のリーダーは「あの時、ネットがあれば」と回想している。ネットが武器になるとしたら、それは抑圧的な政治体制を採る一部の国の国民だろう。国民のネットやメールを監視してそれを削除したり書き換える為の職員を何万人と擁す国家がある。ご苦労な事だ。グーグルさえも軍門に下らせたこの国家。間違いなくネットによる民主革命とリアルな暴動がリンクした形が表れてくるだろう。しかし自由や言論が抑圧された場所で強い表現形態が生まれるのもまた、事実。その方が言葉も深化する。北京ロッカー、崔健の歌詞も暗喩に富むものだった。深い芸術性には強力な抑圧が必要?

平野啓一郎「モノにたいするフェティシズムって、本よりもレコードの方がはるかに強かったんだと思うんです。レコードはジャケットに対する力の入れようが本と全然、違っていて例えばピンクフロイドの『狂気』というと、ヒプノシスがデザインしたプリズムのジャケットが思い浮かびますけど、三島由紀夫の『仮面の告白』の単行本の装幀なんて、誰も思い浮かばないと思うんです。その魔力はCDにダウンサイズされて一旦、削がれたあと、今度はネットで音楽をダウンロードする時代が訪れて。今やジャケットもアイコン程度の意味しかなくなりつつある。」  

音楽は売る為にジャケットが重要だからこそ大いに発展し、芸術性も加わった。「レコードを買って所有しなければ音楽を体験した事にならない。」と昔、言っていた阿木譲の<極論>が今こそ、叫ばれるかな。いや、誰も相手にしないか。もう今は音楽を聴き込むのではなく、自分に合うかチェックして流す時代。大きなジャケットのインパクトはその音楽の味わいを深化させる切り離せないものだった。先日、店でジョンコルトレーン『至上の愛』の<でかジャケCD>というのを見たが、解るよ、それを作る気持ち。LPジャケットにCDを入れる。いいじゃないか。コルトレーンの鋭い横顔を大きな絵で見るべきだ。世界遺産クラスの音楽なんだから。他のつまらないCDと一緒に並べる方がおかしいんだから。ダウンロードした音楽から何が聞こえてくるのか。それは音楽じゃなく情報だろうな。私はしない。

  平野啓一郎「僕はネットで何時間も費やした後って、本を何時間も読んだ後みたいな充実感はイマイチないですけど、(略)ただ、時間はあっという間に経っていきますね。ネットは何故飽きないかというと、自分で情報を取捨選択してるからなんでしょう。本は面白くない箇所もありますから、途中でイヤになることもあるけれど、実はそここそが、肝だったりする。ネットはどうしても、面白いところだけをパパっと見ていく感じでしょう?確かに刺激はありますけど、なんとなく血肉になりきれない感じというか、(略)」

我慢の後にこそ深い快楽はある。その手続きを踏まなければならない。面白くない箇所をトバしてはならない。昔、ジェネシスを聴き込んだ事が今、ショスタコーヴィチを堪能できる肥やしになっていると感じる。あれは手続きの多いものを味わう為の訓練だった。何でも早くイケば良いってものじゃない。起承転結を全部、通過して初めて絶頂が得られるものがある。I-podが犯罪なのは、曲順をシャッフルしたりトバしたり、ごちゃまぜにして聴く習慣を増やした事だ。そんな流れがあるから昨今のロックやポップのアルバムは良い曲は最初の2.3曲までで残りはダメというパターンが多い。昔はLPのB面ラストに良い曲を持ってきていた。順番に全部、ちゃんと聴けという事だ。ディランの『blond on blond』だって最後の「sad eyed lady of the lowlands」だけ切り取って聴いても何もならない。最初から通して聴いて初めてあの曲の大感動が待っているのだ。


梅田望夫「今の十代、二十代の人達に「教養とはこうあるべし」なんて言っても届かないでしょう。例えば、彼らの情報処理の仕方って、「流しそうめん」みたいなんですよ。(略)情報への感覚は、そうめんはずっと流れてるんだから、ちょっと食べたいなと思った時に取ればいい。それ以外は流れていくままに放置して、どんどん捨てていくという感じです。(略)ありとあらゆる情報がネットには流れているんだから、必要に応じてグーグル行くとかユーチューブ行けばいいという事で、自分のところへわざわざ持たない、私有しない。」
平野啓一郎「ただ、実際のところ何か物を考えようと思ったら、まずその元となるような知識、要するに記憶があって、それに従って考えるしかないわけですよね。そうした時に改めてそれを理解するような映像なり情報なりがいつ消えるか分からない不安定な状態よりも、手元にあった方がいいと僕なんかは思うんですけど。」

「私有しない」というフレーズを聞いて歪んだ条件反射をするのは(旧)共産主義者だろうか。しかし所有、備蓄とは物を能動的に生み出す為にあると考える。司馬遼太郎記念館に行った時、その膨大な資料に驚いた。人を病みつきにさせる司馬文学は作家の資料の収集と精読、その組織化によって生まれていたのだ。それは量ではなく質がどれだけ生かされるかという事だろう。消費する濃度があってこそ、何かが生み出される。瞬間的消費とは体験の蓄積を内部に刻んではいかない。一本のそうめんを味がなくなるまで味わい尽くさなければならない。カナディアンでありながらアメリカ音楽の絶対基準を創造したザ・バンドにはアメリカ音楽の古典を咀嚼し内的に備蓄する質実さがあったのだろう。深く愛す濃度が半端じゃない事が外来人による土着文化再生に至った。


平野啓一郎「身体性から切り離されたところで、あらゆる人間が活発に活動するようになったというのが、ウェブ登場による一番の変化なんだと思います。(略)「分身」をウェブの世界に放り込むような感じですね。そこからさらにそうしたアイデンティティからも切り離された「書き言葉」そのものが、匿名化されてダイナミックに流動化し始めたのがウェブ2.0以降なんでしょう。(略)多くの人が自分で自分を言語化してゆくようになった。その中で自分が今までよりもよく分かったり、逆に自分を錯覚してしまったり、固定化してしまったりする。」
梅田望夫「そうですね。アイデンティティが固定化されると、同じ事を考えている人との共振があって、趣味や専門の「島宇宙」化していってそのコミュニティの充足を目指していく。(略)ネットというのはみんなが島宇宙に充足する方向を加速する道具であると思います。そうなると、どうなるんだろう。世の中全体は。」
平野啓一郎「人がただ、自分のことしか考えなくなってしまう、自分にとって心地よいことにしか関わり合わなくなるという危惧はやっぱりありますけど。(略)結局、政治的な問題だと思いますけど。(略)」
梅田望夫「政治家になろうと思う人が一人もでなくなる」
平野啓一郎「そうですね。政治家にならないまでも、選挙にも行かないとか。」

自分の中に内宇宙ができたらまず、身の回りの事、全てが面倒になってくる。風呂が面倒くさいという私は白日夢十代の病が未だに完治していない証拠でもある。心地よい空間を邪魔されたくない。そうなると関心外の事に意義を見出すことが困難になる。音楽の魔力は私にとってすさまじいものだった。だから音楽仲間は友人じゃなく、同志だった。この島宇宙から脱出するのは容易ではない。政治や社会の話は好きでも選挙なんて30代まで行った事がなかった。面倒なのだ。
あの奇天烈、フランク(エロ)ザッパが「選挙に行け」と説教くさい事言っていたのは面白い。ライブ会場にも投票箱を置いた。ザッパのハイブリッド精神は物事に優劣をつけない理想的合一を示唆している。全ての音楽を聴き込み、アート全般、思想領域にも精通した超人ザッパが、決してスノビズムに陥らなかった要因が彼の機会均等的な物事への対処法だったのではないか。音楽への敬意すらいつでも足下まで引きずるおろせる眼差しと覚悟。高踏的スタンスを回避し、地に足をつけた生活感覚の重要性とアートがまさしく等価だったのだろう。中途半端なスノッブが彼によって総否定される。恐るべきその精神レベルはザッパの雑派たる(幅広すぎる)音楽性にこそ表れる。政治を論じてもそれだけじゃダメ。選挙は必ず行け。はい、分かりました。

梅田望夫「テクノロジーが人間に変容を迫ってるという事は、もはや逃れようがなく、個がネットの力を使って、ある種の島宇宙的充足の方向に向かうのは不可避だと思うんですよね。そうゆう前提で、社会改革の方法論が大きく変わっていく可能性に僕は期待したいです。既存の社会を前提に政治家になろうという人が減っても、ネット上の一つの島宇宙としての社会貢献活動が活発化するみたいなイメージかな。オープンソースという現象だって、その萌芽と見る事もできます。」

島宇宙としての社会貢献活動か。今ひとつイメージしにくいが。
まあ、あらゆる市民運動も同好の士の集まりから始まるものだし。草の根運動は支持する。嫌いなのはカリスマなオーガナイザーが運動を牛耳ったり、左翼活動家が紛れ込んで運動をイデオロギー色に染めてゆくよくあるパターン。ネットにはまると世間知らずになりそうだからそんな洗脳が怖いね。最悪はロックスターのよくやる慈善事業。すぐ他人を巻き込む。金がある奴は黙って寄付活動に徹すればいいのだ。こんな事やってるんだとPRするな。個人で秘密にやればいい。
ネットによる社会貢献活動が可能な基盤は精緻な情報にかかっているのではないか。新聞では認知できない客観的事実をどれがけ集約し、発信できるか。その情報に基づいた個別の思考や行動がわき水のように発生すればいい。TVやマスコミが第三の権力と言われるならその監視機構が必要だ。その役割をネットが担っていくのだろう。それは良いことだ。面白おかしいデマが乱舞するのはその副作用。見抜く目も必要な時代になるね。

  梅田望夫「ウェブ進化はまだ始まったばかりである。本当の大変化はこれから始まる。次の十年、二十年、今以上に激しいスピードでウェブ進化は続いていき、私たち一人ひとりに変容を迫っていく」

イヤだなあ。迫るなよ。
しかし、先日、ついにパソコンを買った私もウェブ進化の尾っぽにくっついて行っているんだろう。抵抗しながらも。自分のブログを見てビックリした。こんなにきれいな画面だったのか。ハマリそうだ。いや、大丈夫。何故かと言うとそろそろバンド復活させるから。そうなるとまず、読書が減る。そのしわ寄せはパソコンにいく。そうすれば今まで通りパソコン見るのは三日に一度になる。この予定でいこう。これしかないね。

2007.7.1


コメント
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