満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

詩人、吉増剛造氏のパフォーマンスを久しぶりに目撃。

2024-05-03 | 新規投稿

詩人、吉増剛造氏のパフォーマンスを久しぶりに目撃。今野和代さんプロデュースで山澤輝人(sax.flute)中島直樹(contrabass)香村かおり(korean percussion)がバックを固める。7年前に観た時は床に広げた大判の紙に様々な色の絵の具を垂らし、鳴り物を鳴らすパフォーマンスを見せていた。今回、そのような大掛かりなアクションは見せなかったものの、ウォークマンで土方巽のボイスを再生させたり、周到に用意された各種小道具は吉増氏の発声するボイスと相まみえる。喋りと朗読がランダムに交差するのは真骨頂か。どこまでも動性な人だ。

10代から20代の頃、紀伊國屋書店の横にあった古本屋街(今でもあるが当時の面影はない)は常に彷徨く場所だった。シュルレアリスムに傾倒した頃、その関連する本を見つけたら高かろうが無条件に買っていたが、日本のシュルレアリスム的詩人として吉増剛造の本も見つけ次第、買っていた。その文面から感じたのは今にも動き出しそうな言葉と詩人自身の身体性だったと思う。雑誌「現代詩手帖」を通じて他の詩人も同時に読んだりしていたが、明らかに他と違うパフォーマンス的な生々しさが文体にあり、思い出しても「黄金詩篇」「王国」はロックやパンク的な初期衝動に貫かれた作品として愛読したと思う。やや内省的な「大病院脇に聳えたつ一本の巨樹への手紙」や学生時代、リアルタイムで刊行された「オシリス石の神」で吉増剛造がやっと世間で言うところの"普通の"詩人になったと感じた。

私が最も好きだったのは「王国」だったと記憶する。リザード=モモヨがメッセージの中核に据えたのも"王国"であったし、それは若かりし頃のルサンチマン的心情や現実逃避志向、理想への憧憬といった屈折した内面にメンタル的にフィットしたのが奇しくも"王国"というワン・ワードだったからだ。つまり私にとって詩人、吉増剛造は"こちら側の人"という確信の人であった。

 

85歳だという吉増氏は前回、観た時よりも、むしろ若くなっていると感じた。存在が鋭利であり、迸るような明晰な印象を満員の聴衆に与えたのではないか。紙に書かれた文字が動きだす。そんな動性をライブで再認識させてくれた。

 

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